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ささやかな祝いの席の後、シリウスは役人とともにホグワーツから去っていった。わたしに、彼の屋敷の住所のメモを渡して。

わたしは、思い出の中の彼の筆跡と寸分違わないそれを見下ろして、様々な思いを巡らせていた。できる限り、彼の望みを叶えたい。自由になった彼は、ハリーと過ごしたいはずなのに――。

意気消沈しているハリーに何か言わなければ、と、帰省の準備で慌ただしく生徒たちが行き交っている談話室に行くと、ハリーは一人でそこにいた。まるで、わたしを待っていたように。わたしの姿を認めると、ハリーはシャツを伸ばしたり握り込んだりしながら近づいてくる。まだ何を言えばいいのかもまとまっていないのに、とわたしが思わず立ち尽くすしていたのを、ハリーは伺うように覗き込んでくる。

「ナマエ、よかった。ハーマイオニーに呼んでもらおうかと思ったんだけど」

よく見れば、奥の机には何やら書き物をしているハーマイオニーがいた。「 “今に出てくるから、待ってらっしゃい”って。ハーマイオニーが。」そう続けるハリーに、わたしは内心唸る。ハーマイオニーにはすべてお見通しってわけね。

「あの、ハリー、わたし……」

わたしがそう切り出すと、ハリーは慌てて手を振りそれを遮った。

「僕から言わせてほしい。シリウスのことで、ナマエが気にしてるのはわかってる。でも僕、もちろんシリウスと一緒に暮らせたらどんなに素敵だろうって思うけど、そんなにすぐうまくいくとは思ってなかったんだ。それに、君が両親を亡くしてるのも知ってるしね。僕には、あんな最低の家でも、一応帰る場所はあるんだし――。

僕はナマエがホグワーツから帰っても、一人じゃないことに安心してるんだよ。これは、ハーマイオニーもロンも同じ気持ち。だから僕に遠慮したりしないでほしいんだ。もし君が良ければだけど、夏休みの間にシリウスの家に遊びに行ったっていいんだ……」

わたしはその言葉に、ジェームズとリリーの息子であるハリーの優しさをひしひしと感じてしまって、思わず「なんて優しい子なの!」とハリーを抱きしめた。くしゃくしゃの頭を撫でると、一層ジェームズが思い出される。安心したやら親友たちの息子が誇らしいやらでしばらく彼を離さないでいると、いつの間にか後ろに立っていたらしい誰かに背中を突かれる。

「あのー。熱烈にハグしてるのはいいんだけどさ、もうそろそろ出なきゃ間に合わない時間だよ。コンパートメントを二人だけで貸し切りたいってなら邪魔しないけどさ」

それは一年間でどれだけ増やしたのだろうか?と疑問に思うほど大きな荷物を抱えたロンだった。彼の言葉でいつになくぎくしゃくとしたハリーは、あわてて男子部屋に駆け込んでいく。わたしはもうカバンを手にしていたので、ハーマイオニーの隣に座った。彼女はこんな時でも勉強していたらしく、羊皮紙にはレポートとして宿題で出されたらしい内容で、すでに半分以上埋まっていた。

「ハーマイオニー……本当に悪いんだけれど、夏休みの宿題について教えてくれない?メモした紙をなくしたみたいなの」

なくした、というより、目覚めた時以前の記憶が全くないので、学校生活を送ること自体危ういのだ。そもそも、どんな交友関係を築き、どのような生徒だったのかすらわからない。けれどハリーたち三人の態度から、わたしは彼らと共に行動していたようだ。

「もちろんよ。リストアップして汽車で渡すわね」

優等生の彼女の優しい言葉に思わずその小さな手を握ると、「わたしにはハグしてくれないのね」と彼女はいたずらっぽく笑った。

「だって、インクが付くでしょう……」とわたしは未だに手から離れていない羽ペンを指して一緒に笑う。こうしていると、大人として彼女たちに接していたときと、また違う一面を見ることができた気がしてくる。

「お待たせ、みんな!」

ハリーが汗だくで戻ってきたのを合図に、わたしたちはほとんど駆けているようなスピードで歩き出した。そうして、汽車に乗り込もうとしている生徒たちの背中が見えた途端、ほっと息を吐き出す。乗り遅れるなんてことにならなくてよかった。

そうして、四人ともコンパートメントに入るなりどっかりと席に座って窓を開け放った。

「ルーピン先生のことは残念だったわね」

しばらくして、ハーマイオニーがそう言った。ハリーは「ずっといて欲しかったのに」とこぼし、その言葉にロンが深く頷く。

「あんなに楽しい防衛術の授業は初めてだったよ。そりゃあ、後頭部が例のあの人だったり、おバカなロックハートと比べられちゃたまったもんじゃないかもしれないけどね」

わたしもリーマスの授業を受けてみたかった、と思いながら彼らの話を聞いていると、空いていた窓から小さなフクロウが滑り込んできた。その足には手紙がくくりつけられている。その送り主は、なんとシリウスだった。もうすぐロンドンに着くというのに、待ちきれなかったらしい。

『まだ人目を避ける必要があるので、私とは分からない容姿で迎えにいくつもりだ、君たちと会えるのを心待ちにしているよ』で締められた手紙は、ファイアボルトの出所 ( でどころ )を伝えると共に、ロンを狂喜させた。ピーター扮するネズミを失ってこともあり、フクロウのプレゼントはロンにとって願ってもないことだったのだ。

穏やかなホグワーツ特急での時間はあっという間に過ぎ、汽車はキングズクロス駅に到着した。荷物を両手に持って降りるときに、ハリーはこっそりとわたしに耳打ちしてきた。

「ダーズリーたちに、シリウス・ブラックが名付け親だって言うつもりなんだ。そうしたら奴ら、一ヶ月は僕を腫れ物扱いしてくれるだろう?」

大量殺人鬼のレッテルは、マグルの世界ではなかなか解消されないだろう。わたしはくすりと笑って、「きっとシリウスもそうしてほしがると思うわ」と囁き返した。

わたしたちが列車を降りて、シリウスの姿を探していると、物陰から黒いかたまりが思い切り駆け込んできて、わたしは思わず硬直してしまう。しかし、バウ!と元気よく吠えるその犬は、一目で彼だとわかった。ロンがどこか一歩引いているのは、あの夜のトラウマに違いない。彼の後ろからは、少しあわてた様子でキングズリー・シャックルボルトがこちらへと向かっていた。シリウスは彼と二人で待っていたらしい。さすがにまだ疑いが完全に晴れたわけではないシリウスを、一人にするわけにはいかないのだろう。

「なんで手紙をよこしたのか不思議だったけれど、言葉を話せないからだったのね」

そうハーマイオニーがシリウスの頭を撫でながら言った。やっと追いついたキングズリーは「突然走るのはやめてくれ、 “スナッフルズ”……」と肩で息をしている。

しかしやっと息を整えたのか、歩きながら話そうと彼が促して、わたしたちは駅の出口まで歩き出した。

「そういえば、彼からハリーに伝言だ――。 “ダーズリーたちが君をいじめたら、すぐにフクロウを飛ばすように”と」

わたしとハリーは思わずそれに吹き出してしまい、目配せをした。

「大丈夫だよ、シリウス。僕はシリウスの名前に守られてるからね」

黒い犬の姿をしたシリウスはその言葉に首を傾げたけれど、どこか嬉しそうに尻尾を振っている。名付け親らしいことがやっとできることを、喜んでいるに違いなかった。

出口にはハーマイオニーの両親と、ウィーズリー家、それからもっと遠くにハリーの叔父が彼を待っていた。わたしたちはしばらく別れを惜しんだけれど、それぞれ帰宅の途につく。

「実は車で来たんだ。彼を犬の姿のまま付き添い姿くらましするのは大変だからね」

「え?キ、あ…ミスター・シャックルボルト、車の運転が?」

「どうぞ、キングズリーと呼んでくれ――。時折マグルの首相への用事も済ませるのでね。この通りだ」

そう言って彼は免許証を振って見せた。わたしが助手席に、シリウスが後部座席に乗るのをエスコートすると――シリウスの場合、一人では到底乗れないのだけれど――キングズリーはエンジンをかけた。そして、わたしは思い知ることになる。普段慎重な印象を受ける彼が、結構なスピード狂だということを。

到着したとき、心なしかぐったりしたわたしは、けれどその懐かしさに、胸がいっぱいになった。グリモールド・プレイス12番地、彼の家だ。

「君が戻る前にと片付けたんだが、なかなか手が回らなくてね。ずいぶん長い間放っておかれた家だから、辛気くさいのはしばらく辛抱してくれ」

いつの間にか犬の姿を解いていたシリウスがそう言うので、わたしは思わず彼を見上げた。シリウスは身なりを小綺麗に整えていて、ホグワーツで会った時の死人然とした雰囲気が一掃されており、ずいぶん昔の面影を取り戻している。わたしがあまりに彼を見つめるので、シリウスは照れ臭そうに笑った。

「久しぶりにまともなシャワーを浴びたよ。この前はひどい格好だったろう」

「今の姿をハリーたちに見せてあげたいわ。さっきは犬の姿のままだったから」

キングズリーに続いて中に入る間そんな会話をしていると、喚き声が聞こえ始めた。シリウスは辟易したようにわたしの隣から歩みを早めると、思い切りカーテンを閉める。それは彼の母、ヴァルブルガの肖像画だった。

「あれは私の母だが、気にしなくていい――」

シリウスは憎々しげにそう言って、わたしのためにテーブルの椅子を引いた。そうしてその隣に座ると、向かいに同じく座っているキングズリーに目を向ける。わたしを迎えに来る前に、手順は確認してあったようだ。

「ここで君たちが住むにあたって、魔法省で取り決めがなされた。シリウスはほぼ無罪放免が確定されているが、まだ裁判は先の話になりそうだ……今はペティグリューの件で魔法省は大混乱でね。事実確認や証言の取り直しなど、二進も三進もいかない状態だ。シリウスには申し訳ないが正式に決定されるまでなるべく行動範囲は狭めて、人目につかないよう気をつけてほしい。

そして、裁判の結果が出るまではシリウスはまだ重要参考人という形になる。そのため、毎日一度はシリウスの状況を確認せねばならない。私の手が空いているときは私が来るが、今の魔法省の慌てっぷりだとなかなか難しいこともある――そのため、助っ人を頼んである」

「それが私だ」

突然別の声が割り込んだので、わたしは思い切り振り返った。そこにいたのはなんと、リーマスだった。わたしの椅子の背もたれに手をかけた彼は、柔和な笑みを浮かべている。

「私はシリウスの友人だから、ひいき目が入ると疑われるのでは?と辞退したんだが、この通り強引にねじ込まれてしまってね。ちょうど失業したばかりだから、少しの仕事とはいえ助かるといえば助かる――おっと、これはジョークだ、哀れまないでくれ……」

リーマスは隣に座ると、わたしの視線に気づいたのかそう付け加えた。

「こんなにすぐ会えるなんて思ってませんでした、先生。ハリーたちも、先生が辞めてしまうのはさみしがってました」

「もう “先生” はいらないよ、ナマエ。あの晩のように、リーマスと。堅苦しい話し方もやめてくれ」

リーマスがそうやって蒸し返すので、わたしは思い切りテーブルに顔を伏せた。「あの日のことはもう言わないでって言ったのに……」わたしがそう言うと、「あれ程の衝撃は忘れられないさ」と涼しげに返してくる。

「私はシリウスが君をたらしこんで城に侵入したのだと思い込みかけたよ」

「バカなことを言わないでくれ、リーマス。ナマエは13歳だぞ」

君も言ってやってくれ、と言わんばかりの視線がシリウスから送られたので、わたしは何も言わずにこの話題をやり過ごそうとしていたというのにしぶしぶ口を開いた。

「きっと、あの時のわたしは誰かに錯乱の呪文をかけられてたのよ……もうこれでおしまいにして」

「シリウスがナマエをたらしこんだ?何の話なんだ」

そこでキングズリーが余計な詮索をするので、リーマスはどことなく嬉々としてあの時のことを話し始めた。キングズリーがリーマスの話を聞きながらちらりとわたしを見るたびに、わたしの心が削られていく。

「そして、ペティグリューを人間に戻した後、ナマエは気絶してしまったと?」

「そうなんだ、スネイプはナマエがシリウスを見た恐怖で混乱してたまたま呪文を放ったと言ったけれど、私はあの時のナマエは、正気だったと今でも思っているよ」

その言葉に、わたしはふと思った。もしかして、今口にしてみたら言えるのではないか?と。わたしは未来から来ていて、あなたたちとは学友で、本当にシリウスの恋人で、シリウスを死から救いに来たのだと――。わたしは震える唇で、「実は」と、やっとのことで口にした。

しかし、その二の句を継ごうとした瞬間、後ろから思い切り口を塞がれたように、言葉が発せなくなった。わたしが何を言うのかをじっと聞いている三人の手前、わたしは「……シリウスが怖かったのよ、本当よ」と言うしかなかった。

「……まあ、どうであれ私は君に感謝しているんだよ。シリウスを憎んでいるスネイプまであの場にいた中で、ああやってペティグリューの姿を暴いてくれたのは一気に私たちのシリウスへの猜疑心を解いてくれた。君のおかげだ」

リーマスはそう言ってわたしの髪を撫でると、「そろそろ私たちはお暇しよう」とキングズリーを誘って帰っていった。散々からかわれたせいで少しばかり気まずい沈黙が訪れたけれど、シリウスがクリーチャーに「夕飯の用意をしろ」と命じたのを皮切りに、取り繕ったような体裁はあるものの、元どおりになった。

「君の部屋は二階だ。片付けておいたんだが、どうにもインテリアが若い女の子が住むには悪趣味すぎる。また休みのうちにでも買いに行こう。私は誰かの姿でも借りることにするから」

シリウスは私を案内しながらそう言った。彼がわたしに与えられた部屋を開けると、そこは十分すぎるくらいの広さと、豪華絢爛を体現するようなデザインが広がっていた。確かに、これは……ある意味住みにくいかもしれない。しかしその部屋に一つだけ、白い木でできたドレッサーが置いてある。それだけがシンプルで女の子らしいので、この部屋にはそぐわない感じがした。

「君が気にいるといいんだが。一緒に選ぶのが一番だとはわかっていたが、ないと困るだろう?」

わたしはその滑らかな木の触り心地を確かめて、「素敵だわ、」と漏らした。

「ありがとう、シリウス。何から何まで」

「こんな家に一人きりの生活は耐えられそうにもないから、君が来てくれて感謝しているよ。何か不便があったら遠慮なく言ってくれ」

疲れただろうから夕飯まで休んでいるといい、そう言い残したシリウスの背中が階段の下まで消えるのを、わたしは見つめ続けていた。恋人でない、しかも年のずいぶん離れてしまった彼との接し方を、わたしはまだ掴みあぐねているけれど。でも、彼の変わらない優しさに、愛しく思う気持ちは止められないのだった。

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