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まぶたの裏に窓から差し込む光を感じて、わたしは目を覚ました。

卒業してから何年も――時間を巻き戻されている時を含めたら数十年に及ぶかもしれない年数が――経ってはいるものの見間違えはしない、白を基調とした部屋が目に入る。ここはホグワーツの医務室だ。

恐る恐る自分の身体を見下ろし、両手を見つめる。元の身体に比べ、信じ難いけれどやはり幼い。ベッドサイドに鏡があったのでそれを手に取って覗き込んでみた。驚愕に声を上げそうになって、慌てて口を抑える。そうしてそのままゆっくりと頬のラインをなぞって――間違いない。幼い頃鏡を見た時と、同じ顔をしている。

「……ナマエ?」

ハリーの遠慮がちな声が聞こえる。わたしはどう答えるべきなのかわからず、沈黙を返してしまった。しかし、「入るよ?」と続いたので、慌てて布団を肩まで引き上げて横向きになり目を閉じた。

カーテンが引かれる音がし、マダム・ポンフリーの「すぐに済ませてくださいね!」という忙しない声が降ってくる。横を向いて目を閉じているため見ることはできないけれど、わたしの周りを何人かが囲んでいるようだった。

「君、本当にナマエに何もしていないんだろうな」

ああ、リーマスの声だ。わたしはその聞き慣れた声に一瞬で気づいた。

「こんな幼い子に私が手を出すとでも?――いや、今のは呪いをかける、という意味で、だが――。もちろんそう言う意味でも手を出してなどいない。本当に初対面だったんだ!」

その声にわたしは思わず泣き出しそうにまでなった。あまりにも非現実的なことが起こりすぎて、全て夢を見ているのではないかとすら思っていた。けれど、そこにシリウスがいる、ただそれだけでわたしの胸にあたたかさと現実が戻ってくる。

「みんなが覚えてるかどうかは知らないけど――僕はずっとその場に居たんだ。足を噛みちぎられそうになった後でね。ナマエはまるで、シリウス・ブラック――シリウスの昔からの知り合いみたいだった。シリウス!って彼を呼んで、熱烈に抱きしめていたんだよ。シリウスは最初から戸惑っているようだったし、僕が見ていた限りでは彼はナマエに何か呪文をかけただとか、そういうことはしていなかった」

この声はロンだ。少し遠くから声が聞こえる。もしかしたら、彼は隣のベッドに寝ているのかもしれない。それにしても、あんな風に言われるとなんだか恥ずかしくなってくる。シリウスと再会した時には、彼の他に何も考えられなかった。けれど、人目というものを気にするべきだったかもしれない、と今更になって思う。

「思い出してみると、ナマエと僕たちが出会ったところから少し奇妙だった。ナマエは城の敷地、暴れ柳の近くに倒れてたんだ。それで、僕に今は何年か、って尋ねた。そのあとシリウスが――犬の姿のシリウスが現れて、そのあとをナマエがすごい勢いで追いかけていったんだ。僕たちが追いかけるより、ずっと早く」

そう冷静に言うのはわたしたちの可愛いハリーだった。後半でまた少し羞恥心をくすぐられる羽目になったけれど、先ほどのロンの言葉よりはましだ。

「……ハリーの言う通りかもしれない。ナマエは錯乱していたというより――なんと言えばいいかわからないが、確かに奇妙なことを言っていたが、全てに筋は通っていた。それに、何より、彼女はペティグリューがネズミだとわかっていたんだ。そして、強力な呪文で奴の正体を暴いた」

その言葉で、わたしを囲んで交わされていた議論に一瞬、考え込むように沈黙が訪れた。まったく、説明がつかないだろう。わたしだって、わたしがここにいるということ以外何もわからないのだから。

「彼女が――ナマエが、奴らに操られているという可能性は?」

リーマスの言葉に、誰もが息を飲んだ。わたしでさえ、驚きに思わず言葉が出そうになった。

「ルーピン先生、流石にそれは……」

ハリーがそう言ったけれど、「すべての可能性を考えるべきだ」というリーマスに口をつぐんでしまう。

わたしはどうすべきか考えた。今起きて、そうではないと否定しても誰が信じてくれる?彼らから見た叫びの屋敷でのわたしは、明らかに正気ではなかったというのに。どうしよう。もし、その疑いがかかったままになったら?わたしはいかにも怪しい行動をしてしまった。冷や汗が流れる。わたしは、ただ彼を――シリウスを、救いたいだけだというのに。

「リーマス、確かに、そうかもしれない」

その時だった。シリウスが、静かにそう言ったのは。その言葉に、わたしは心臓を掴まれたようになった。シリウスも、わたしを疑っている。それだけでなんだか脱力してしまって、目頭まで熱くなってくる。どうしたらいい?わたしが身を委ねることができるのは、彼しかいないというのに。

「けれど、私は彼女を信じたい。少なくとも、あの場で私を最初から信じてくれたのは彼女だけだった。私のために君たち全員を説得しようとしてくれたのは彼女だった」

静まり返ったこのカーテンの中に、シリウスの声が響いていた。わたしはとうとう目尻に溜まった涙の雫をぽろり、とこぼしてしまって、誤魔化すために枕に頬をこすりつけた。彼はわたしを信じてくれている。もうそれだけでいい、とすら思った。突然体が縮んで、彼の命を救うことができるかどうかもわからず、居場所を見失った感覚ばかりがわたしを不安にさせていた。けれど、わたしは思い出したのだった。シリウスが、わたしの居場所なのだと。

シリウスの言葉に、その場にいた顔触れはまた黙り込んでしまったようだった。

「そこで何をしている、ブラック」

ぴしゃりと割くような声が、カーテンの開く音とともに降ってくる。セブルスだ。

「貴様の容疑が晴れたわけではない。部屋で大人しくしていろと命じられていたはずだが」

「少なくともそれはお前に言われたわけじゃない、スネイプ」

目を瞑って聞いていても喧嘩腰の二人を、リーマスがとりなして、三人で医務室から出て行った――というより、マダム・ポンフリーに追い出されたようだった。それまでハリーとハーマイオニーも、もう寮に戻るように彼女に言い渡されている。

すると、わたしの手をあたたかく柔らかい手が握った。

「ナマエ、心配することはないわ。わたしもハリーも、それからロンも、あなたのことを信じてる。あなたの味方よ」

ハーマイオニーだった。彼女の囁き声に、起きているのを知っていたの?と思わず彼女を振り返ると、優しく微笑んだ彼女がいる。ハリーはわたしが目を覚ましていることに気づいていなかったようで、ベッドから離れようとしていたところを慌てて戻ってきた。

「ナマエ、気分はどう?」

ハリーが心配げにそう覗き込んでくる。優しい子だ、と思った。今まで彼の様々な一面を見てきた。シリウスを失った時も含めて。大きな使命を背負った彼のことを、シリウスが息子のように思っていることを知っている。そして、それはわたしも同じだった。

「少し寝すぎたみたい。でも大丈夫よ」

わたしがそう言うと、ハリーは何か迷った様子を見せて、口を開いたりつぐんだりしている。きっと、わたしの叫びの屋敷での変わった様子について尋ねたいに違いない。けれど、しばらくそうしていたハリーはその誘惑を振り切ったように、「今日は安静にしていた方がいい。君も大変だったろうから。それからロンもね」と言い残して、ハーマイオニーを連れて出て行った。隣のベッドにいるらしいロンは、やはり好奇心を隠しきれない様子だったけれど、ハリーの言葉に従って眠ったようだった。

マダム・ポンフリーは医務室を出て行ったようで、わたしが目覚めた時と同じ静寂がこの場所を包んでいた。医務室にはわたしとロン以外に誰もいないらしい。もう一度眠るにはあまりに長くねすぎた、とわたしは体を起こして、ベッドから足を下ろした。

とにかくわたしは、今自分が置かれた状況を把握しなければ。そう思い立ったからだった。わたしは引かれたカーテンをこっそりと開いて周りを見回し、誰もいないことを確かめた。あてはないけれど、ベッドにいたところでできることは何一つないと悟ったからだった。

医務室のドアを音を立てないようにゆっくりと開け、ロンが起きていないか確かめようと振り返り、もう一度前を向き直ったところで――わたしはあっと声を上げそうになった。そこにふさがるように悠然と立っていたのは、他ならぬダンブルドアだったからだ。

「目覚めたようじゃの、ナマエ。君が倒れたと聞いて心配していたのじゃ」

――抜け出すほど元気になったようだし、私と少し散歩をしよう。

彼の言葉にわたしは頷くほかなく――というより、それが最良の方法に感じたので、彼の後ろを素直に歩き始めた。廊下は静まり返っている。もう消灯の時間なのかもしれなかった。

「さて、ナマエ。私に何か、聞きたいことがあるのではないのかね」

ダンブルドアの言葉に、わたしは思わず全てを打ち明けようと口を開いて、そしてまた閉じることになった。今までどのような結果に終わったのかを思い出したからだった。誰かに助けを求めることはできない。わたしだけが、彼の未来を知り、彼の命を救うために動かなければならないのだった。

「先生は、どう思いますか。今日のわたしについて」

「そうじゃのう、今日の君、というのはあと一分ほどで昨日の君、ということになる」

ダンブルドアは楽しげに言った。その言葉によって、わたしは今が真夜中だということを知ったけれど、彼が何を言いたいのかは分からなかった。

「今日はずいぶん不思議なことが起こった。存在しないはずの生徒が現れ、一匹の無実の動物の鎖を解き、そしてひとりの魔法使いまでもを救った――。もしかすると、その生徒は、このホグワーツで命を落とす罪のない命を助けるためにやってきたのかもしれぬ」

感慨深げにそう言ったダンブルドアの言葉に引っ掛かりを覚えたわたしは、思わず月を見上げているらしい彼を仰ぎ見た。まるで、わたしに起こっている出来事を、知っているかのような口ぶりだ。

「先生、それは――」

わたしがダンブルドアに真意を尋ねようとすると、ダンブルドアはすっかりとぼけた顔をして「昨日のことはもう忘れてしまった」と言葉を残して去っていった。後に残されたわたしは呆然と立ち尽くしたままだ。

ダンブルドアの言葉が本当だとすると、わたしはバックビーク――シリウスを助けるはずだった、処刑を控えていたヒッポグリフだ――を逃したあと、あの丘に倒れていた?しかし、わたしがいなくてもシリウスとバックビークは助かったはずだ。ハーマイオニーの逆転時計によって。

今回はイレギュラーが多すぎて、頭がついていかない。静まり返った時計台の前で腰掛けると、先ほどのダンブルドアのようにわたしは月を見上げた。

しかし、悩んでいても仕方ない、と、それだけは分かっていた。『私は彼女を信じたい』。そう言ったシリウスの声が頭に浮かぶ。

どこにいても、あなたの恋人でなくても、わたしはあなたを救いたい。

迷うことは何一つないのだ。シリウスが、あの太陽のような人が、地面に倒れ伏すことのないように、必ずわたしが救ってみせる。

そう決意して、わたしは立ち上がった。

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