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大歓声が、日暮れのクィディッチ場に響いている。昨日は結局、一睡もできなかった。ハリーはもはや、中央のひらけた待機場所で、セドリックとともに──そう、セドリックと共に、バクマンの合図を待っている。

「ナマエ……顔が真っ青だ」

隣に立つロンが、ぞっとした顔で言った。「きみ、今にも倒れそうだよ」心配そうに顔を覗き込んでくるロンを、安心させる言葉すら思いつかない。あと数時間で、彼が死ぬ。頭を占めているのは、そのことだけだった。

「ロン、ハーマイオニー──悪いけど、わたし、医務室に行ってくるわ」

わたしのその言葉に、二人とも心底納得したようだった。ハーマイオニーの、ハリーの身を案じて握りしめられ、髪のように真っ白になった手より、ひどい顔色をしているらしかった。

「マダム・ポンフリーもあそこにいるわよ、ナマエ…わたしが付き添いましょうか」

ハーマイオニーの気遣った声に首を振り、「大丈夫よ、ちょっとした貧血なのは自分でもわかっているから」そう言って階段を降りる。少し喧騒から離れれば、そこは静寂に包まれた暗闇だった。

ハリーから迷路の話を聞いて以来、わたしは人目を盗んで何度もクィディッチ場に足を運んでいた──。わたしがこの幼い体になる前、ハリーが名前を呼んではいけないあの人の復活を主張したとき、何度も繰り返し、その場で起こったことを聞いていた。優勝杯は移動キーにすり替えられ、恐ろしい墓場に二人は降り立ち、そしてセドリックが“ワームテールの死の呪文”によって命を落とす。何か手は──。

結局、当日になるまで何の策もひらめくことができなかったわたしは、こうして、胸元に頼りない──しかし唯一の望みを抱えて、暗闇の中迷路の続くクィディッチ場へとひとり向かうことになったのだった。どこか、生垣にほころびがあれば──そこから入ることができるだろう。あるいは──これは最悪の手段だけれど──周囲を見張る教師たちの目をかいくぐって、わたしひとりぶん通ることができる穴を開けることも、考えていた。わたしは足早にクィディッチ場を見回った。あまりに広大な面積に、絶望する間もなく。

「おい、そこで何をしている」

厳しい声に、はっとした。振り向くことすらためらわれる。もっと早く、使っておくべきだったのに。胸元に手をやり、しかし呼び止めた魔法使いの方が素早く動いたので、わたしはあっけなく肩を掴まれてしまった。

「…ミョウジ。一般の生徒は、スタンドで観覧するように聞かされているはずだ。なぜここにいる」

そう言ってわたしを見下ろしたのは、ほかでもない、セブルス・スネイプだった。いつも通り脱ぎにくそうな黒衣に身を包んだ彼は、闇によくなじむ。遠くで、バクマンがハリー、それからセドリックの点数を、ソノーラスで敷地中に響かせているのが聞こえた。時間がない。ないのに。

「その──セ、…先生、どうしても、ハリーが心配なんです」

「きみがここでうろついてどうなるというのだ?ポッターを手助けすることはできまい。早くスタンドに戻れ。これ以上会場に近づくのを許すわけにはいかない」

「お願いです、先生。見逃してください」

「なぜそれが叶うと?早く戻るんだ」

彼はわたしが胸元に抱えたものをちらりと見とめた。彼はすぐさま、それが何かを悟ったようだった。わたしが何か意図をもってこの場にいることを確信したセブルスは頑なだった。それは、彼の職務を考えれば当然のことだった──。そのとき、ホイッスルが鳴り響いた。ハリーとセドリックが、生垣に入る合図だ。手に力が入らず、爪の先まで冷え切っているのがわかった。まるで、天文台のてっぺんから、身を乗り出したような、宙に体を投げ出されたような、そんな感覚だった。

「さあ、早く──」

「今夜、生徒の一人が命を落とします」

体は苦しいほど震えているのに、その声だけは暗闇の中で、はっきりと響いた。セブルスが思わず、わたしの肩を掴んでいた手の力を失うほど。

「何だと?」

「今すぐ優勝杯がある場所へ向かわなければいけないんです。わたしがいったところで、彼の運命は変わらないかもしれない、でも、行かなければ彼は必ず死んでしまう。わたしが行かなければいけないんです。彼が死ぬ前に!」

一気にまくしたてたせいで、わたしは息を荒くしていた。けれど、この数日間──いや、第一の課題が始まったときから、わたしの心の中で澱のようにたゆたっていた不安、恐れ、怒り、焦燥感──そんなものを全て吐き出したせいで、止めることができなかった。セブルスの様子を伺う余裕もなかったわたしに、彼は黙ったままだった。「先生、」わたしはもう一度、彼を説得しようと試みて口を開いたけれど、その瞬間、逡巡した様子の彼が、わたしの口を閉じさせた。

「あと30フィートほど歩いた場所の生垣に、少しくぼみがある。そこに杖を当てれば、通り道が開かれる──救出用の道だ。まっすぐに優勝杯のある中央へと続いている。障害物に出会うこともない」

わたしは彼の早口に固まって──ようやく、それが、窮地に陥ったわたしに提示された手立てであることに気づいた。

「先生──」

「早く行け。私はダンブルドアに警告せねばならない」

わたしはその言葉に頷いて、駆け出した。30フィートもいくと、すぐにその場所は見つかった。ホイッスルが鳴り響いてから、時間は矢のように過ぎていく。時間がない。早く彼の元にいかなければ──。

わたしは胸元から、それ──ハリーから借り受けた、透明マントを取り出し、きつく体に巻きつけた。そして、セブルスが言った通り、杖をそっと押しつける。生垣が、まるで生きているかのように、わたしに道を譲った。ためらうまもなく、その小さな亀裂に体を押し込む。

迷路の中はまるで壁のような霧がかかっていて、来るものをひるませる、ひりつくような空気が流れていた。しかし、それはわたしの足を止める足枷にすらならなかった──。せく気持ちのままにわたしは足元の悪い、ただ一本の道を急いだ。誠実と優しさを友とする、ひとりの青年を追って。


「きみが取れ。きみこそが優勝すべきだ。きみは僕を二度も救った」

生垣にはばまれながら、そんなくぐもった声を聞いた。セドリックの声だった。ずいぶん長い間離れていたような、そんな気さえした。

「きみの方が、早くたどり着いたんだ。それに、僕のこの怪我をした足では取れっこない。それはきみのものだ」「できない」「取れってば──」

彼らの声が、だんだんちかくなる。わたしの足音が響かぬよう、なるべく慎重に、足を進めた。もう、彼らは目と鼻の先だった。知るべくもなかった、優勝杯の譲りあいに、彼らの高潔さを感じて胸がいっぱいになる。彼らの栄光の象徴を、絶望の切符に変えた卑怯なデス・イーターへの憎しみが募った。

「ふたりで一緒に取ろう。引き分けだ──さあ、三つ数えて、いいね?いち──に──」

彼らが手を伸ばすのを見た。あと一歩で、そこに手が届く。「さん──」優勝杯の台座に、指先が触れた。その瞬間、あの特有の──身を無理によじられるような、ひどい感覚を味わった。わたしの身体は、ハリー、セドリックと共に、名前を呼んではいけないあの人の用意した舞台へと、降り立ったのだった。



「ここはどこだろう?」心底不思議そうに、ハリーがそう言った。わたしは透明マントの中で、そっと杖を取り出した──。指先から血の気が引く感覚が、先ほどより強く、わたしを襲っていた。怖い。恐怖を一度認めてしまうと、膝まで震えるようだった。わたしは今から、彼らと共に“名前を呼んではいけないあの人”、その人と相見えるのだ。シリウスと不死鳥の騎士団に入ったとき、もちろん、その覚悟はできているはずだった。しかし、実際には──こうして、透明マントに隠れているにもかかわらず、あまりの恐怖に身がすくんでいた。

「誰か来る」

杖を構えたハリーが、突然言った。そして、その姿がわたしにも見えた──何かを抱えている。自分の心臓の音が、耳元で聞こえているかのような感覚におちいる。ハリーが痛みをこらえるようにうずくまったのに気を取られたけれど、「余計なやつは殺せ!」そんな恐ろしい声に、わたしはとっさに反応していた。セドリックの背中に杖の先を合わせたのは、一瞬だった。

アバダ ケダブラ!

緑の閃光が走る。セドリックがびくりと体を揺らして倒れた刹那、彼の後ろの石像が砕け散った。「セドリック?」ハリーが放心したようにそう呟いた。ハリーの足元には、大の字に倒れたセドリックの体が横たわっている。「セドリック、セドリック──!」うわごとのように彼の名前を呼びながら、ハリーはピーター・ペティグリューに引きずられていく。ハリー!その様を見たわたしは思わずそう叫びそうになったけれど、すんでのところでそれをこらえる。わたしが手を出して、ハリーが自らの力で切り抜ける場面を歪ませてしまったら。魔法界の希望ともいえる──そして、何より、友人二人が命懸けで守った、大切な彼の命の火を消すことにつながってしまったら。

わたしはセドリックの身体の隣にしゃがみ込んで、そっと彼の首筋に手を当てた。ひどく遠くに、けれど確実に、彼の鼓動が感じられた。わたしにゆるされる干渉は、きっとここまでだ。もはや、これすら、踏み込み過ぎたことかもしれない。けれど、わたしは先ほど確かに、死の呪文に倒れるはずの青年の運命を、たぐり寄せることができたのだった。

極限まで張り詰めていた緊張の糸が切れたせいで、どっと疲労感に襲われる。しかし、最後まで気は抜けなかった。セドリックの声を聞いたというハリーが、彼の体をホグワーツへ連れ帰ったという話は知っている。けれど、今回セドリックの魂のかけらが、ハリーに語りかけることはない。ハリーが、フラーの妹を救ったのと同じく、セドリックの体をホグワーツに帰すという使命感のままに行動してくれることに賭けるしかないのだ。万が一の場合は、わたしがセドリックの体を抱えてホグワーツへ姿現しをしなければならないけれど──わたしにその気力が残っているかと言われれば、決してそうではなかった。自分自身が、五体満足で、正しく望んだ場所に帰ることができるかさえも、怪しいのだ。

セドリックにいたずらに呪文をかけるデス・イーターがいないかを警戒しつつ、わたしはハリーが名前を呼んではいけないあの人にいたぶられるのを、唇をかみながら見守ることしかできなかった。まだ若い、若すぎるハリーに与えられる試練に、恐怖に打ち震えた先程の自分が恥ずかしくなる。

とうとう、ハリーとあの人の一騎打ちが始まり──わたしは奇跡を見た。あの人の杖先から、次々と影のようなひとびとが現れたのだった。名も知らぬマグル、バーサ・ジョーキンズ、それからいくつもの影が現れ、そのあとには、リリーとジェームズがハリーを守るようにして寄り添った。その、なつかしく切ない姿に、頬が涙で濡れるのを感じた。リリー、ジェームズ…。失われた時間を惜しまずにはいられない。今すぐ彼らの元へ駆け寄りたかった。そんな衝動をおさえるのは、ずいぶんな気力を要した──。

ハリーがあの人とのつながりを断ち切り、一斉に影たちがあの人へと群がった。ハリーが猛然と、死喰い人たちの追手を連れながらこちらへ向かってくる。その姿に安心しつつ、わたしは気づかれないよう注意を払いながら、死喰い人たちに妨害呪文を放った。あの人が恐ろしい声でハリーに呪文をかけようとした瞬間、ハリーがしっかりとセドリックを抱き締めながら、優勝杯を手にした──。

あっというまにハリーとセドリックがその場から姿を消した後には、名前を言ってはいけないあの人の咆哮だけが残った。わたしはもはや立ち上がるにも膝が震えたけれど、この恐ろしい場所にいつまでもとどまることは決してしたくなかったので、最後の気力を振り絞って、ホグズミード駅を強く念じながら、姿くらましを試みた。



──バシッ、そんな音と共に、目の前に現れたのは、見慣れた「ホグズミード駅」と書かれた看板だった。ほっと胸を撫で下ろしたけれど、その途端膝が抜けそうになって、とっさにレンガの壁に手をつく。ホグワーツ城へ戻らなければならない。ハリーとセドリックの無事を確かめなければ──。

「ナマエ!」

聞こえるはずのない声が聞こえて、顔を上げると、そこにはこちらへ駆けてくるシリウスの姿があった。思わず、「どうして…?」とつぶやく。彼の姿を見るともう、たまらなかった。とうとう役目を終えたとばかりに力の抜けた足の支えを失って倒れ込みそうになったわたしを、彼が抱き止める。

「こんなところで何をしていたんだ?ずいぶんきみを探していたんだぞ!」

彼の言葉通り、ずいぶん長い間探していたのだろう、彼のセットされた髪が乱れて、額にかかっている。

「きみの姿が見えないから、きみの友人たちに居場所を聞いて医務室に行ったというのに、もぬけの殻で──どこかで倒れているんじゃないか、何か妙なことに巻き込まれているんじゃないかと気が気でなかったんだ──ナマエ、一体どうしてこんな姿に?」

一度言葉を切ったシリウスはわたしの体を検分するように上から下まで見て、すごい剣幕でそう言った。迷路の中を走ったのと、墓場で動き回ったせいで、足が切り傷だらけ、ローブもひどい有り様だった。

「シリウス、」

わたしは彼の胸に身体を預けたまま、頬を押し付けた。彼がわたしのかすかな声を聞き取ろうと、耳を近づけたのを気配で感じた。

「何も聞かずに頭を撫でて──いまはねむらせて──」

彼の香りと体温につつまれて、途端にまぶたが重くなった。大きな手が、胸に押しつけるようにして、頭をそっと撫でてくれるのを感じながら、わたしは引きずられるように眠りに落ちた。

第三の課題
「#エロ」のBL小説を読む
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