悪癖
「先輩、少しだけ……」

目の前が彼の制服の布地で塞がっている。これ以上視線を上げられない、なんてうつむいていると、それに気付いた彼がわたしの顎をすくうようにして持ち上げた。途端、彼のうつくしい相貌が、視界いっぱいに広がった。ど、どうしてこんなことに。わたしはただここで──。



通いなれた図書室の、奥まった一角でこんなことになった経緯を説明するには、少し時を遡らなければならない。



わたしはスリザリンの7年生、最高学年にあたる年だ。スリザリンに組み分けされたとはいえ平々凡々な半純血であり、魔法使いの母親も半純血ということもあって、全く目立つ存在ではないことを、自信を持って宣言することができる。

しかしそんなわたしの人生を一変したのが、2年離れて入学した、一人の男の子との出会いだった。

彼はスリザリンに組み分けされるや否やめきめきと頭角を現し、今ではこのホグワーツでトム・リドルを知らない人間はヤブだと言われるであろう程度には、この魔法学校で有名な生徒である。彼がもてはやされる理由はさまざまあるけれど、そのうちのひとつ(そしてそれがとても重要なのだ)が、彼の美しい容姿だった。

彼の微笑みといったら、まるで薔薇の花のよう、そしてその瞳は……なんて口走ることからもお分かりのとおり、わたしは彼の一ファンだったのである。だって、あの鼻梁ときたら!どれだけ同じ寮に組み分けされたことを感謝したか。一生分の運を使い果たしたかと震えるくらいには、過ぎた幸運だった。

しかし、彼とわたしの間には同じスリザリン生であるという共通点があるのみで、それ以外の接点はないに等しかったのだ。

それが一転、彼とのつながりができたのは……わたしが六年生の冬、図書室に落ちていた一冊の日記帳だった。

図書室に通うのはわたしの日課で、その日も授業に関連した本を探そうと、誰も訪れないような隠れた場所へ足を踏み入れたのだ。そして、本を一冊引き抜いた時、机に何かが置きっぱなしになっていることに気づいた。何の気なしに手にとると、それは黒革の日記帳だったのだ。忘れ物かしら、と表紙を観察すると、なんとそこには「トム・マールヴォロ・リドル」と書いてあるではないか。ぎゃっと声を上げかけて、自分のいる空間を思い出しなんとか踏みとどまったことを褒めて欲しい。これ、トム・リドルの日記だわ!彼が日記を綴るタイプだなんて思ってもみなかったので、わたしは中をめくってみたい好奇心と戦って──そうして、その甘い誘惑に泣く泣く打ち勝った。なぜかというと、わたしの日記にはトム・リドルのどこが素晴らしいかを熱烈に綴ってあり、それを人に見られたらと思うと湖に身を投げねばならない、そんなずいぶん利己的な良心がとがめたからである。己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。昔読んだアジアの本で、そのような言葉があったような気がするし……。

けれどわたしはどうしても、彼との間に小さな記念のようなものを残しておきたくて、ローブのポケットにしまってあったメモ帳を取り出した。
図書室に置き忘れてありました。中身は見ていないと、わたしの杖に誓います。ご安心ください。よい夜を。

わたしは夕食前に急いでふくろう小屋のふくろうに日記帳と、それからメモを持たせた。たったそれだけのことなのに、なぜだかどきどきして、ちいさな秘密を作ったような気さえしていたのだ。名前は書かなかった。恩を着せるようなことが憚られたのと、単に、気恥ずかしいこともあって。

しかしたった一度の偶然の幸運かのように思われたその出来事は、思いがけず春の風の気まぐれのように、それきりでは終わらなかったのだ。

次にわたしが図書館に向かった日、以前と同じように奥まった棚の隅へと足を踏み入れた時だった。それを見つけた時、わたしはとうとう、「えっ!」と声を上げてしまった。わたしが借りようとしていた本、その棚の近くの小さな机に、また黒革の日記帳が、無防備に置かれていたからだ。どうして?思わず小さなささやき声が漏れたけれど、それでも相変わらず日記帳はそこにある。そして、その日記帳の下には、半分におられた羊皮紙が置かれていた。

どうしよう。わたしはしばらくその場を動けずに、固まっていた。しかし二度重なった出来事が偶然とは思えず意図も分からないため、わたしはおずおずとその日記帳に手を伸ばした。そして、その下の羊皮紙を、ゆっくりと開いたのだった。
日記帳を届けてくれてありがとう。思慮深い配慮にもお礼を言いたい。もしよければ名前を聞いても?

──結果として、そのロマンチックなきっかけになりそうな手紙への返信に、名前は書かなかった。それだけの勇気はなかったのである。わたしの中で、彼はすでにどこまでも遠い人だった。彼にこのようなことで名前を知られて、なんだ、彼女だったのかなんてがっかりされたら……。そんなことを思うと、とてもじゃなくても書けなかったのだ。
どういたしまして。丁寧にありがとう、でもこんなところに日記帳を置くのは不用心だと思うわ。名前は書かないでおきます。よい週末を過ごしてね。

そんな些細な手紙のやり取りをして、しかしそれでもこの奇妙な文通は、なんと半年間続いた。もともと日課だった図書館通いに明確な目的ができてしまい、いつもの場所に日記帳がなければ密かに落胆して──。小さな心の揺さぶりが日常になってきたころ、唐突に彼は姿を現した。

「っ!」

わたしが驚きに声をつまらせると、彼は少し微笑んで、そっと唇の前に人差し指を立てた。そうして遠慮なく距離を詰め、ほとんど体がくっつきそうなほど近づいてくる。

「なまえ先輩、やっとこうして会えましたね」

まるでわたしがくることを知っていたかのように、耳に唇を近づけてそう囁く。わたしはもはやキャパオーバーで、その場で固まるほかない。

「な、なんでわたしだって──」

絞り出すようにそう言うと、「最初から分かっていました。あなたの痕跡はわかりやすい」と事もなげに告げられ、文通の中で大胆に彼のことを褒め称えたことを思い出し胸がはちきれそうなほど羞恥心が沸いた。こんな仕打ちってないわ!そんなわたしのことなどつゆ知らず、彼は穏やかな様子でわたしを見つめている。普段通りの優しい笑みを浮かべているのに、なぜかその瞳にいたぶるような色がかすめるのは、気のせいだろうか。

「先輩、少しだけ──」

腰を抱かれて、わたしたちの間に距離など存在しないほど、ぴったりと体が重なっている。わたしは目を逸らしたいのに、彼の黒曜石のような瞳から目が離せない。ゆっくりと近づいてくる彼の美しい顔から逃げることができないのだ。その口の端が獲物を手に入れた獣のように弓なりに歪んでいても。まるで魔法にかけられたように。

「少しだけ、悪いことをしてもいいですか?」
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -