Take my hand and come with me
わからない。さっぱり状況が理解できない。
そのはずなのに溶け込み、把握しているような自分。
シリウス兄さんは?レギュラス兄さんは?母上は?グリモールド・プレイス12番地は?クリーチャーは?フクロウは?
自分の命である杖でさえも手元にない。魔法のないマグルの世界。混乱しながらホットケーキにシロップを垂らした。
「僕は食事はいらない。食べている場合か、ジョン!ティファニー!事件なんだぞ」
シャーロックは自身のコートを素早く着込み、手袋をし始めた。
慌てたようにジョンは立ち上がり、ナプキンで口元と手を拭う。しかし自分はまだ化粧していない。
ティファニーは座ってのんびりとベーコンを切りながら言った。
「後で病院で会いましょう。私は朝食をとってから職場へ向かうわ」
「わかった」
シャーロックはあからさまに残念そうな顔になり、腰を曲げて屈んだ。
何かと視線を遣ればシャーロックは顔を近づけ、ティファニーの頬へ口付けた。ポカンとしているとシャーロックはそのまま気にせず家を出て行った。
一階へ下る靴音と「事件、事件」と浮かれたように連呼される言葉が遠ざかっていく。
ジョンが「じゃあまたね」とシャーロックの後を追っていった。
しん、と部屋が静まる。あの2人がいないだけで生活音も小さい気がした。
「あの2人がいなくなると静かね」
ハドソン夫人は言った。
苦く笑い同意するようにティファニーは頷いた。
*
「ジョン、まただ」
シャーロックは前を見据えたまま言った。
訳が分からず「何が」と聞くと彼は溜息をついて「ティファニー」とぶっきらぼうに言った。
その意味がイマイチ理解できずにシャーロックを見つめた。
早足で歩きながら前方を気にしつつ、シャーロックへ視線をチラチラとやる。
「また彼女の記憶が混乱しているんだ」
「また?」
ジョンは顔を歪めた。
今まで何度もあった。彼女は混乱しつつそれでも自分たちのことを知っている。知らないようで知っていてそれでも知らないおかしな現象。
いつも彼女は後から打ち明けるのだ。私貴方たちを知っているようで知らないの、と。
何度も打ち明けられ、始めこそシャーロックは相手にしていなかったが流石に無視はしていられなくなった。
疑う病名はたくさんある。精神疾患なのか、ただの錯乱か。
しかし精神に異常はどこにもない。もちろん、彼女は錯乱もしていない。だからこそシャーロックは戸惑い結論を出せずにいるのだ。
「ジョン、君は有り得ない現象が起きたとしたらそれを信じるか?」
「目の前で起きたら信じるじゃないか?でもどうだろう。君はきっと疑うことから始めるだろうね」
シャーロックは笑った。
「ティファニーの件は誰も困らないから余計に困る」
「確かに」
そう、彼女は確かに自分やシャーロックのことを記憶している。
ただ不可解なのが彼女自身の記憶が曖昧なことなのだ。彼女にとっては完全になくなったわけでもなく完全な形で記憶がそこにあるわけでもない。
正しい記憶なのかでさえわからない。それに支障はないが混乱している彼女は不安に違いない。
「僕に確信があるわけではないんだ、僕の脳はまさに混乱している」
「“推測”はしているんだね」
良かったら聞かせてくれないか。
その言葉にシャーロックは足を止めた。つられてジョンも足を止め、シャーロックを振り返る。
彼は地面をじっと見つめ、やがて顔を上げてジョンを見た。
「ジョン、君はきっと僕が可笑しくなったと思うよ」
「とっくに可笑しいと思ってるよ。いや可笑しいと思ってるというか…いいんだ、慣れてる」
「僕自身もこの結論を可笑しいと思ってる」
「何だよ?言えってシャーロック」
焦れったくなって急かすようにそう言えばシャーロックは「異世界の移動」と短く答え、歩き出した。
シャーロックがジョンを追い越し、ジョンはすぐには動けなかった。
“異世界の移動”だって――!?
慌ててジョンはシャーロックの後を追った。
「それで?」
「それでとは何だ」
「君のその論でもっと話を聞きたい」
シャーロックにしては筋の通っていない論理だった。
科学的に有り得ないことを発言している自分にもシャーロックは腹立っているようだ。
苛立ちながらシャーロックは顔を歪め、口を開いた。
「意識だけが世界を行き来しているんだ。その間に前にいた記憶はわかるが前々回の記憶は失う…ああ!やめようこの話は」
「そうだな、悪かったよ」
「いいや、いいんだ。僕はもうこの話はしたくない」
わからない問題にイラつき、どうしようもないことがわかっている様子だった。