Your face flitted through my mind


ティファニーは野菜を切りながらぼんやりと宙を見つめた。
テーブルではジョンがタイピングをしている音が聞こえる。こぽこぽ、と沸騰する音。ガタガタと窓は風に震えている。今日は風が強いみたいだ。
とても平和的。心の中は穏やかでないことを感じながらティファニーはそっと溜息を零した。
リズムよく階段を上る音が聞こえ、彼が帰ってきたのだとわかった。切り終えたジャガイモを鍋の中へ投入し、洗った人参を切りにかかる。

「退屈だ!」

ドアが開いて第一声、彼の声。
ここのところ平和で彼は退屈で脳を持て余している。靴音がすぐ後ろで聞こえ、椅子を引く音。

「なんて平和なんだ、なんて退屈なんだ。ジョン、アメリカの政治なんて興味ないしそれを知ったところで無意味だ。
さっさとその退屈な文章が並び立てられた新聞をしまってくれ、興味ない、面白くない、退屈だ。暗記してしまいそうだ!」

シャーロックはヒステリックにそう叫んだ。
わかったよ。渋々と新聞を折り畳む、ジョン。

「痛…!」

ティファニーは鋭い痛みに包丁をまな板に置き、指を上げた。じんわりと血の玉が漏れ、赤が真っ直ぐ伸びていく。

「大丈夫か?」

ジョンの心配そうな声に振り返り、ティファニーは苦笑を漏らして頷いた。
血が垂れる前に水道の蛇口に指を近づけ、水で洗い流す。
絆創膏を取りに行こうとすればジョンが軽く処置をしてくれた。これくらいの傷であれば魔法で治してしまえるのに。
そう思うと息が詰まり、魔法界が恋しくなる。しかし分からない。もしかしたら自分は元々こちら側の住民だったかもしれない。
こちらの世界の方が平和的だ。刺激的だが魔法界と比べたらずっとここは平和だ。
闇の勢力も何もない。いるのは犯罪者くらい。それを追う刑事である自分に探偵に軍医。何とも不思議な巡り合わせ。

「ティファニー、手伝おうか?」

絆創膏を巻いてくれたジョンは気を遣ってそう言ってくれた。
ここは甘えておこう。ここの世界では自然と料理出来るが向こうの世界ではほぼ魔法を使って作るから不安だった。

「じゃあ、オーブンの中見てもらっていい?」

「わかった。何だかいい匂いがするな」

チーズが焼けた香ばしい匂い。ミートグラタンを作ってみたがどうだろうか。
オーブンを開けたジョンは「もう良さそうだ」と顔をこちらへ向ける。同じようにオーブンの中を覗き込めば顔に熱が伝わる。
うん、チーズも丁度よく焦げ目がつき、引き上げて良さそうだ。
ミトンを手渡し、ジョンはそれを嵌めるとテーブルの上の鍋敷きに丁寧に置いた。スープは煮込めばすぐ出来るだろう。味付けをし終え、ティファニーは鍋に蓋をした。
後は簡単にサラダとドレッシングでも作ろう。考えて立ち止まっている暇はない。この世界のティファニーらしく行動しながら考えるしかないのだ。

「ジョン、野菜刻める?」

「ああ、任せてよ」

ジョンと談笑しながら野菜を切っているとヅカヅカとシャーロックがやって来た。
見下ろしてくる仏頂面の彼を困ったように見上げれば「僕も何かやる」と言った。

「少しは気が紛れる」

と付け足したシャーロックにそれじゃあ、とドレッシング作りを任せてみた。
彼は丁寧に計量カップとスプーンを使いながら科学実験さながらに作り始めた。
目分量でいいのに、と思ったが言ったらきっと彼はあれこれ言って否定出来ないような意見を並べるに違いない。
素人の自分にはその内容まで想像することすらできないが。
そうして出来上がったディナーを乱雑したテーブルの上に並べ、席に腰を下ろすがジョンもティファニーも戸惑っている。
ジョンもティファニーも何か話そうと思うのだが気の利いた話題など思い浮かばず結局は手と口のみを動かし、食事をしながらシャーロックの話しに相槌を打っているのみだった。
始めはティファニーの作った料理に対しての賛美(他人を褒めない彼にジョンも自分も驚いた)、次に記事になっていたちょっとした事件の真相を退屈そうに一方的に語り、話題がなくなると過去の事件について語りを繰り返していた。
いつの間にか食事は終わり、シャーロックはテーブルの上に突っ伏した。唐突に倒れこむようにして突っ伏し、動かないシャーロックを見てジョンもティファニーもギョッとした。
シャーロックをジョンに任せ、食器を片付けるとジョンは心配ない、と言った。

「ただの疲労だ。君が倒れてさっさと事件を片付けるとまた何日も何日も事件を請け負って睡眠も食事もロクに摂ってなかったから」

いつものことだけど、と付け足したジョンはコーヒーを一口飲んだ。
ティファニーは気になって彼の寝室へと足を踏み入れた。ベッドに横になるシャーロックの元へと足を運ぶ。小さなランプがついていた。
彼の巻き毛へと手を伸ばし、撫でた。目を閉じたシャーロックはぐったりとしている。

「無茶、しないで…」

彼のことをよく知らないはずなのにティファニーは祈るようにそう呟き、頭を撫で続けた。
その顔立ちのハッキリとした寝顔に愛しさを感じる。
本当にこの世界のティファニーは彼を心から愛しているのだ。胸の中で燻る自分の感情に驚きながらそっと唇を彼の頬に落とすとスッと腰に手が添えられた。
腰に添えられた手に驚いていると彼の双眸がスッと開き、ティファニーを捉えた。

「シャーロック」

腰に添えられた手にグイっと引き寄せられ、彼と密着し覆いかぶさるような体勢になる。
そのまま抱き締められ、どうしていいかわからない。

「あの、」

唇に冷たい唇が押し付けられる。
少しカサついた唇の感触が離れ、今度は鼻に落とされる。最後にリップ音と共に額に口付けられ、擽ったさに目を閉じ笑いを洩らした。

「擽ったい」

瞳を細めて笑いながらシャーロックを見上げれば、彼はじっと自分を見つめ頬を撫でた。

「ほら、疲れているんでしょう?ちゃんと寝なきゃ」

彼の添えられた手に触れ、宥めるように離させれば機嫌が悪そうにじっと見下ろされた。

「そんな顔したって無駄。自分の体を大事にして」

「嫌だ」

子どもみたい。思わず小さく笑ってしまった。
怪訝そうに見つめ返してくる彼に「ダメ」と言った。

「貴方がいなくなったら」

君には。シャーロックは目を閉じて遮った。
口を閉ざし、彼の言葉を待つ。
シャーロックはゆっくりと目を開けた。

「君の中にもう一人いる」

その確信めいた言葉にピタリと動きを止めた。
凍りついたようにそろそろと顔を上げればジッと自分を見下ろしてくるシャーロックの眼差しとぶつかった。
彼の表情を見ても読めない。視線を揺らし、そのまま彼から外した。まさか、自分が自分でないとわかっているのか。いや、紛れもなく自分は自分。訳も分からずこの世界で目覚めただけだ。
彼の言葉になぜだか悲しくなった。自分の感情が疑われているという哀しみ。
何。一体、何なの。この世界のティファニー。貴方は悲しいの?ティファニーは首を横に振った。

「知らない…私、知らない、わからないの」

シャーロックがどんな顔をしているのか確かめることは出来なかった。




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