盗まれた心


酒場独特の騒がしさの中、ピアーズはゆっくりとグラスを傾けた。
家族と言える仲間たちが楽しそうに弾けて談笑している。

「ピアーズさんはどうなんっすか?」

「ん…?何がだ?」

首を傾げてピアーズは若い訓練生の一人に視線を向けた。訓練生たちの視線が一気にピアーズに集まる。
どれも純粋な好奇心が含まれていて僅かながらピアーズは慄いた。
クリスが苦笑を零しながら「所謂、恋愛話ってやつだ」と投げやりに言った。
ああ、成る程。きっと訓練生たちに質問攻めにあったのだろう。
若さ故の話題であり彼らに悪気はない。
それに訓練所には女性教官もいなく、訓練生にも少ない。
クリス教官お疲れさまです、と心の中で呟きながらピアーズは一人の元上司であり先輩後輩関係である女性を思い浮かべた。
任務のときと打って変わって穏やかで柔和な表情になったピアーズは訓練生の興味をそそり話のネタの標的らしい。
しかしピアーズは彼らに話す気にはなれなかった。
普通の恋愛であれば話していただろうがこればかりは自分の胸の内に秘めておきたい。

「俺は…訓練ばかりの毎日だったし出会いもなかったからあまりそういう話はないんだ。すまないな」

訓練生たちは一斉に不満そうな顔をした。
眉根を下げながら再度謝りピアーズは酒を一気に飲み干した。
一気に全身が熱くなる感覚に思わず瞼を下ろして目を閉じる。
同じだ…。あの人を想って抱き締めたときの感覚とそれはよく似ていた。思えば自分は大胆なことをしたものだ。
クリスからの視線を感じ取り視線を上げて曖昧に笑いながら首を横に振る。
クリスは察してくれたらしい。

*

「アイツ等のこと悪く思うなよ?」

「はい、クリス。わかっています」

はは、と笑いながらピアーズは壁にもたれ掛かった。蛍光灯の光がチカチカと目を刺激する。
自動販売機が無機質な音を立てていた。
クリスはICカードを読み取りカーソルへ翳し飲料を買った。ガコンと音を立てる自動販売機。
ミネラルウォーターを手渡されピアーズはお礼を言ってキャップを捻った。

「今でもアイツのことを想っているのか?」

ピアーズは口を閉ざした。想っていないと言ったら嘘になる。
しかし“あの人”に対しての想いは断ち切ったつもりでいた。
黙り込むピアーズを気にせずにクリスは口を開いた。

「まあ、お前の代の歓迎会のときにアイツは一際目立っていたからな。主席だから挨拶をしていた」

「はい、そうですね」

「始めからお前はアイツを男の目で見ていた」

クリスの表現にピアーズは飲みかけていた水を危うく吹き出しそうになった。
噎せながらゴクリと飲み込みピアーズは困り顔で口元を拭った。恥ずかしさからか顔が熱い。

「クリス…!」

ニヤリと笑い「何だ、違うのか」と返される。違うわけではない。
確かに自分は彼女のことを一目見て落ちた。
壇上に立ち一人一人の顔を真剣に見つめ時折緊張を和らげるように微笑む姿は今まで会った女性たちと大きく違っていた。
この人は違う。別格であり上にのし上がるようなそんな高潔な方だ。すぐにピアーズはそう思った。

「陽葵係長は俺のこと可愛い部下としか思ってくれたことないんだ」

「お、ついに名前をあげたな」

悪戯っぽく笑うクリスに向かってピアーズは再度彼を睨み上げた。
くすくすと笑うクリスはとても余裕そうだ。悔しさを感じながらピアーズは息をついた。

「本当にクリスには敵いません」

「ずっとお前たちのことを見てきたんだ。それくらいわかる」

「……。」

「あまり怒るな、ピアーズ。それじゃあ俺は当直だからもう行くぞ」

「お疲れさまでした」

立ち上がりビシッと敬礼するピアーズに向かってクリスは敬礼を返した。
そして立ち去り際に「そういえば」と思い出したように再度ピアーズへ向き直る。

「アイツ、今度ここに視察に訪れるらしいぞ」

「……!!」

「お疲れ、ピアーズ」

肩にぽんと手を置かれそのままクリスは去っていく。
ピアーズはミネラルウォーターを手に自室へと向かった。

――訓練生時代

エイムを覗き込みピアーズは一気に引き金を絞った。タタン、と軽快な音が響き渡る。
次々とターゲットである的に当て弾を装填しながらピアーズは駆けていた。
当ててはいけない的《一般人》から銃口を外し敵となる的へ次々と当てていく。
毎日その繰り返しだ。
それにこの代の主席となり陽葵の直下の訓練生に立つのが目標であるピアーズはとにかく真面目にひたすら積み上げていった。

「ピアーズ!そろそろ休憩とれ!」

教官からの声にピアーズは足を止めることなく声を張り上げた。

「自分はまだやれますっ!!」

「ちゃんと考えてやれよ!!」

「了解です!!」

呼吸を整えながら木の影に体を寄せ手の鋭い痛みに顔を顰めた。グリップの握り過ぎで皮膚が裂け出血してしまったのだろう。グローブからそれを感じた。
しかし止まることは許されない。実践であれば殺られてしまう。
ピアーズは歯を食い縛りカシャンとセーフティを外した。
そしてコンクリート造りの建物に突入し最後の標的を一掃した。

「こちらピアーズ。目標殲滅。mission complete」

インカムに向かってそう言えば耳元から無機質な声が聞こえてきた。

『よくやった。模擬演習を終え、帰還せよ』

「roger」

息をつきながらピアーズはロッカールームへと向かった。
先へ出て行く訓練生たちに「お疲れ」と声を掛けながら自分のロッカーを無造作に開ける。
男にしては小ざっぱりとしていて綺麗に整頓されたロッカーだ。

「あら綺麗に整頓されているわね」

思わずロッカーを勢いよく閉め、ピアーズは自身のロッカーを背に後方へ向いた。
目を丸くした女性が驚いた様子でピアーズを見つめ返してきた。
紛れもなく自分が憧れている陽葵・日名である。慌てて敬礼しピアーズは直立した。

「失礼しましたっ!自分は――」

「ピアーズ。ピアーズ・ニヴァンス」

「どうして俺の名前を…」

「ふふ、さあ?なぜかしら」

スッと綺麗な敬礼を返され、ピアーズは手を下ろした。
指先まで綺麗な陽葵は本当に軍人なのか疑ってしまいそうになる。銃を握る手とは思えなかった。
そして罰が悪そうにピアーズは眉根を下げた。

「陽葵先輩ここ男性のロッカールームですよ…」

「ええ、知ってる」

予想外の返事にピアーズは言葉を失った。
動揺することなく変わらず微笑を浮かべる陽葵にピアーズは口を閉ざしてしまった。

「貴方しかいないんだからいいじゃない」

くすくすと笑い長椅子に腰を下ろす彼女を呆然と見つめピアーズはようやく口を開いた。

「変わった人だ」

「よく言われる」

「着替えられないんですが」

「その前に…ん。」

手を差し出され、ピアーズは戸惑うように彼女を見つめた。
急かすように再度「ん」と短く言い陽葵はやはり細長い綺麗な手を差し出してくる。

「誤魔化そうと言ったって無駄よ?この私の目だけは欺けないんだから」

「先輩、本当に何のことだか」

「何されても文句は言わないで頂戴ね」

流れる動作で陽葵はピアーズの右手首を持ち上げ、サッとグローブを取り払った。
至近距離に彼女がいる。
ピアーズはそのことばかりに気を取られていた。

「やっぱり」

血で汚れた右手に自分でも驚いた。
まさかこんなに怪我の程度が酷かったとは。
顔を歪める陽葵はどこから出してきたのかサッといきなり消毒液を吹きかけてきた。

「痛……!」

「無茶するからよ」

彼女の手当はすぐに終わった。
いや長かったのかもしれないがピアーズには短いように感じた。
ずっと陽葵の真剣な顔つきを眺めているうちにいつの間に手当が終わっていたのだ。

「もう無茶はダメよ、ピアーズ」

「はい、すみません」

初めてきちんと話したのに出だしがこれとは最悪だ。怪我したのを見抜かれ、そして手当される。
自分のプライドがそれを許すハズがない。
況してや憧れ、好きな女性にそれを見られてしまうとは。

「でも真面目なその姿勢は評価に値するわ。いい軍人になれるわよ、きっと」

くすりと笑う陽葵に褒められたのだと気づくのに時間がかかった。
ポカンと見つめていると陽葵は微笑を浮かべ「憧れられるような、ね」と言い足した。

「は、はい!」

「それじゃあ、そろそろ行くわ。また機会があれば」

ひらひらと手を振り去っていく彼女の背中を見つめる。
彼女の艶やかな黒髪が動きに合わせて揺れ抗えないような衝動が込み上げてきた。
手を伸ばしかけたがそれを押さえ込み手をゆっくりと下ろす。

「いつか必ず追いつきます、陽葵先輩」

独り言のようにそれは呟かれた。

*

ピアーズは廊下を駆けていた。先輩たちに怒られながらも足を懸命に動かす。
だが自然と表情が緩んでしまう。“あの人”に会える。
それだけでピアーズの胸の中は満たされた。
驚いたような訓練生たちの視線を感じながらついに視界が彼女を捉える。呼吸を落ち着かせピアーズは口角を緩く上げた。

「やはり俺は貴方の背中を追うことになるんだな」

艶やかな黒髪は変わらず動きに合わせて揺れていた。
しっかりとしたスーツを着込み隣にいるクリスと談笑している。

「狡いな…クリス教官は」

歩みを進めながら笑い、独り言のように呟く。そして足を踏み出し息を吸い込んだ。

「陽葵係長!」



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