優秀形態の法則

森山卓は顔を歪めながら医局室へ足を踏み入れコーヒーを淹れた。
淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを口元へと運び、眉間に皺を寄せる。

「苦い」

コーヒーに次から次へと角砂糖を投入し飲んだ頃にはすっかり甘くなっていた。
森山は満足げに頷いた。ん、旨い。独りごち、森山は自分のデスクへと戻った。
誰もいない医局室は何だかほんの少し広く感じる。内科の皆川、チーム森山一同、愛弟子であった日名陽葵もいない。
ああ…また、相良浩介。不気味で掴み所が今ひとつわからないアイツもいない。

「相良め…」

屋上のフェンスに、もたれかかる陽葵に覆い被さる相良。
あの光景が忘れられない。ふつふつと込み上げてくる怒りと声。

「んんんんんん」

お気に入りのオモチャを盗られたようなそんな怒り。
彼女は相良を褒めていた。いい医者だと。技術がトップレベルだと。丁寧で真摯だと。
一方、森山は――?
全く褒められたことがない。褒められていたとしても“すごい”だの“勉強になります”くらい。
相良のようにあんな風に褒められたことがない。
いや年下の後輩女外科医に褒められたいとは思わないが日名の技術に目をつけ、育て上げた森山としてはやはりいい気分ではない。

「日名は僕の弟子だぞ、何で相良が褒められるんだ」

「聞いていらしたんですか?」

森山先生、とどこか茶目っ気が含まれた声に森山は勢いよく椅子ごと振り返った。
予想通り相良が白衣のポケットに両手を突っ込み含み笑いを浮かべていた。
最近の相良は当初と比べてさらに胡散臭い。具体的にはわからないがどこか危険な匂いがした。危険と言ったら大袈裟なのかもしれないが。
人の良さそうな作り笑いを浮かべたまま、相良は自分のデスクによいしょと腰を下ろした。

「いやぁ、日名先生、外科医として成長してますねー」

「当たり前でしょう、僕が育てたんだから」

フン、と鼻を鳴らし森山は落ち着き無くコーヒーを一口啜った。
背後から相良の視線を感じ「何だよ」と振り返って睨む。

「今度のオペの第一助手。日名先生にお願いしようと思うんです」

コーヒーを口に含んでなくて良かった。でなきゃきっと吹き出してニコニコ笑う相良に惨事が及ぶところだっただろう。
いや、相良なら惨事が及んでもいい気味だった。

「待ってくださいよ、相良先生。日名の経験値じゃあまだ任せるには早すぎるんじゃないですか?」

日名は正式に外科医となってから日が浅い。
オペの執刀医はやらせたことがあるもののその殆どが難しいものではない。
比較的、簡単なものをやらせてきた。院長も彼女をとても心配し難しいオペを担当させないように手を回しているようだった。
日名が担当の患者が重度の病の場合は他の外科医に回す。

「いえ、寧ろ積極的に参加させてあげるべきですよ。森山先生、日名先生のオペ見たことないでしょう?」

「……」

確かに見たことがないかもしれない。
教育を施したにも関わらず彼女がオペをやっている姿は見たことがなかった。

「そういう相良先生はどうなんです?見たことがあるんですか?」

相良は笑みを深めた。

「はい、あります。僕、日名先生のオペ見たんですけどねーなかなかいい腕持ってますよ、彼女」

最初は身体の中身を見ただけで貧血で倒れてしまうくらいなヒヨコちゃんだった日名が?
疑わしそうに片眉を吊り上げた森山から視線を逸らし相良はニッコリ笑った。

「彼女はもう立派な医者ですし、堂上総合病院の外科医だ。助手くらいどうってことない。いいですよね」

森山先生。そう言い切った相良の表情はやはり笑顔だった。

*

陽葵は外のベンチでおにぎりを食べながら考えに耽っていた。
外科医となってもう1年経つというのに執刀医を任せられることがあまりない。
業績やキャリアを考えたら妥当だろうがそれでも納得できない。
時折、ミスはしていないのに患者も担当を外され、森山や相良に変更されたりする。相談もなしに、だ。

「気のせい、なのかなー」

意図的に院長が手を回しているような気がしてならない。
以前問い詰めたところ、院長たまきと事務長桃井が揃って怪しい動きを見せた。

「やっぱり怪しいなー」

「僕のことですか?」

危うくおにぎりを落とすところだった。
ビニール袋を片手に相良が上半身を傾けて顔を覗き込んでくる。その顔にはやはりあの笑顔が刻まれている。

「違います、相良先生じゃなくて…院長と事務長」

正直に答えておにぎりを頬張れば相良は「へえ」と言いながら隣に腰かけてきた。
思わず反射的に腰を浮かせて相良から距離を取って座ってしまう。
キョトンとこちらを見遣る相良と目が合った。

「あ、その…すみません」

「ちょっと、悲しいなあ」

悲しそうな顔を見て良心が痛む。
それが芝居だと気づかない陽葵は慌てて謝った。

「すみません!つい反射的に。相良先生だからとかそういうの関係なしに反射的に――」

「――じゃあもっとくっ付きましょう」

「はい…え!?」

白衣の上から座られ、動こうにも動けなくなってしまった。
それに気づいているのかいないのか相良はガサガサとビニール袋を探る。
膝と膝がぶつかってる、恥ずかしい。
ビニール袋から出てきたのはコンビニのシュークリームだった。
そのシュークリームのパッケージを破りながら相良は「それで?」と聞く。

「はい?」

「だから院長と…ん、事務長が怪しいって話」

もぐもぐ美味しそうに食べながらそう続ける。「ん、旨い」と声を上げる相良。
白衣を踏まれ動けない。逃げることも叶わない陽葵はその質問に答えるしかなかった。

「何か手を回してる気がするんですよね、院長と事務長」

「手を回すって何を?」

横を見遣り思ったより近いことに気づいた。すぐ傍に相良がいる。
ドギマギしながら見つめ返し陽葵は首を傾げた。

「担当してた患者さんとか、下ろされちゃうし。オペもあまり執刀させて頂けないみたいだし…」

「成る程ねえ…日名先生はやりたいの?オペ」

「やりたいというか…患者さんを私は自分の力で治したいんです」

相良は真剣な顔になり黙り込んだ。変なこと言っただろうか。
不安になって口を閉ざすと相良は正面を向きシュークリームを口元から遠ざけてどこか一点を見据えた。

「続けて」

陽葵は戸惑いながら返事をし、ゆっくりと口を開いた。

「森山先生も相良先生も佐々井先生たちも…みんな立派な外科医でオペの執刀医をされます。でも私は…あの相良先生」

「はい、何でしょう」

相良は背を伸ばしてこちらへと顔を向けた。
眉根を下げ不安げに相良を見上げる。

「私って…信頼されていないんですかね?」

「日名先生、それは」

「私、まだまだ自分の技術が足りないことはわかっているんです。私の技量じゃ相良先生や森山先生、佐々井先生たちに劣ることくらい…及ばないことくらい…」

膝に乗せた拳を握り、視線を地面へ落とす。
隣りの相良が口を開くよりも早く陽葵は「でも」と続けた。

「責任とか覚悟とか患者さんを治してあげたいと思う心は劣らないと、誰にも負けないと、自負できます。胸を張って断言できます」

強く言えばニッコリ優しく笑った相良と目が合う。

「それだったら大丈夫。日名先生は立派な医師です、自信持ってください」

「え、あ…はい!」

「その言葉聞けて安心しました。うん、任せても大丈夫そうだ」

はにかんでいた陽葵はその言葉に怪訝に眉を顰めた。
相良はニコニコと笑ったまま陽葵を見遣り、立ち上がって陽葵の頭をポンポンと撫でる。

「僕が担当してる患者さん知ってますか?」

「ええ、一応ほとんど頭に入ってます」

頭に手を乗せられたまま答えれば相良は笑顔を崩さずに続けた。

「今度のね、斎藤さんのオペ。執刀医は僕、第一助手に僕は君を選ぶことにしたんだ。お願いできますか?日名先生」

「…相良先生、それって…」

「難しいオペです、それをわかった上で僕は君を選んだ。覚悟はありますか?」

さらり、と相良の手が動く。
髪を梳くように撫でられ恥ずかしくなった。
でもそれよりも手術に立ち会える、第一助手として自分を採用してくださるのだ。
とても嬉しくて感激が先立ち陽葵は微笑み頷いた。

「ぜひ私にやらせてください」

「よし、期待してるよ。日名先生」

返事をしようと開けた口に相良の手が動き何かが押し込まれた。
ほんの少しだけ冷たくてその物体は甘い。物体に近い液体が口許につく感触。
それを見て相良は可笑しそうに笑った。咀嚼すればその正体はすぐにわかった。

「シュー…んむ、クリーム…」

「あーあ、勿体ないですよ」

口の端についたクリームを相良は指で拭い、ペロリと舐めとった。
フリーズ、フリーズ、静止。この男は一体、今何をした――?
信じられず見上げれば相良は無邪気に微笑み「それじゃあ」と会釈をして病棟の方へと戻っていく。
その背中を呆然と見送り、陽葵はようやくシュークリームを飲み込んだ。

「か、かか間接キス…」

シュークリームは相良の食べかけ。

「やっぱり相良先生なんて訳わかんないよ〜!!」





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