ヤキモキトラップ

森山卓の下で研修中だった陽葵は相良浩介という外科医がやって来てから独立し正式に堂上総合病院の外科医となった。
堂上総合病院。今や民間病院のトップクラス級の病院だ。
それは相良浩介という男が来てからなのだと陽葵は思っている。いや、そう考えているのは自分だけでないはずだ。
相良浩介の医者としての腕は間違いなく天性に優れていて尊敬はしている。
患者を第一に考えるその使命感は共感できるし陽葵もその考えだ。
しかしそんな相良に対して時折、陽葵は怖さを感じた。人間じゃないような、そんな笑顔。
ニコニコしている相良の笑顔。患者に対しては優しい笑顔であることは間違いない。
しかし森山を始めとする“チーム森山”たちやナースたちに見せる笑顔はどこか不気味なのだ。
幸い、正式にこの病院に採用されるようになってからあまり顔を合わせることはない。
まだ研修中を脱出したばかりの陽葵は外来にいることが多く大きなオペは担当することがない。
時折、カンファレンス時やナースステーション、医局室で顔を合わせるくらいだ。
会話らしきものもこれといってあまりない。「正式にこの病院で働くことになったんだって?おめでとうございます、日名先生」くらい。
それでも嬉しかった。“先生”呼びを初めてされてとても。純粋に嬉しかった。
しかしどこか相良は謎めいていて今ひとつ真意が読み取れない。

「謎過ぎる…」

「謎過ぎる、ですか」

近くで声が聞こえ、陽葵は思わず缶コーヒーを取り零すところだった。

「さ、相良先生…!」

フェンスに片手をかけ、相良は笑みを浮かべながら下を見下ろした。
滅多に人が来ない屋上になぜ相良がいるのだろう。

「おっと、驚かせてしまいましたか。こんにちは、日名先生」

「こんにちは、相良先生」

反射的に挨拶を返し、息をそっと吐く。

「それで」

「はい?」

グッと顔を近づけられ、息が詰まる。

「何が謎なんです?」

まさか本人の前で言えるわけもなく陽葵は視線を泳がすまいと見つめ返した。
笑顔を崩さない相良。しかし射抜くような強い目だった。思わず息を呑み、呼吸を止める。

「何か企んでますか、相良先生」

質問で返せば相良はこのとき初めてほんの微かに目を丸くした。
よく確認してみようとした時にはいつものように芝居がかったように驚いてみせ、肩を竦める。

「何ですか、もう。人をまるで腹黒い医者みたいに」

ははは、と軽快に笑っている相良。

「面白いこと言うなあ、日名先生は」

「からかわないでくださいよ」

じろりと睨めば相良はやはり笑顔を崩さずに眉根を下げて笑っている。
参ったな、と言っているようなそんな表情。
しばらく笑っていたかと思うとスッと笑顔を引っ込め、顔の距離がグッと近くなった。
空気がピリリと緊迫したようなものになる。オペとは違う緊張感に陽葵は背後にあるフェンスを掴んでいるのに精一杯だった。
これだ、自分が恐れているのは。この目の前にいる相良が怖い。

「質問してるのは…僕ですよ」

「べ、別に私が何考えようが自由じゃないですか」

相良先生は侮れない。

「後輩が僕に口答えするわけ、か…」

いつもの相良とは思えない発言に唖然とする。
相良は笑った。いつもと違う笑顔にゴクリと喉を鳴らした。
身長の高い相良は追い詰めるように顔の距離を縮め、陽葵を見下ろす。

「ひょっとして僕のことでも考えていたんですか?日名先生」

「え、いや」

「図星かー、成る程ねえ」

顔が一気に熱くなる。
まるでそれでは自分が相良を好きみたいじゃないか。

「違い、ます…!」

「ええー怪しいなあ」

「何一つ怪しくありません」

ムキになってそう返せば相良は片眉を上げて笑みを浮かべた。

「本当ですかー?」

「はい、本当です!」

「まあ、それならいいんですけど」

相良はあっさり離れて隣りのフェンスに寄りかかった。
ドキドキと心臓が落ち着かない。あんな至近距離はさすがに心臓に悪い。
相良は一体何を考えているのだろうか、本当に。チラリと彼の横顔を盗み見る。
薄く微笑んでいる相良はどこか一点を見据えていた。そのままジッと見つめ続けていると視線がこちらへと移される。

「僕の顔なんて見ちゃって。日名先生一体どうしたんですか?」

ふふ、と笑いながら相良は双眸を細め、陽葵を見下ろす。

「別に相良先生を見てたわけじゃありません」

「素直じゃないなぁ…」

「いやいや素直も何も私は事実を言ったまでです」

「あんまり君みたいな女性に見つめられると流石の僕も照れちゃうよ」

ははは、と軽快に笑い飛ばしながら相良は白衣のポケットに手を突っ込んだ。
飲み干した缶コーヒーを傍らに置き、手のやり場に困った陽葵は自身の名札を弄った。

「背高いな、って思ったんです」

「背?…ああー、僕は一応、男ですからね」

「森山先生も高いですよね」

気のせいか相良の表情が少し硬くなったように見えた。
しかしそれも一瞬のことですぐに笑みを浮かべ、「気にしたこと、なかったなあ」と洩らした。

「でも森山先生より僕の方が少し高いんですよ」

「あ、考えてみたら相良先生いつも森山先生とお話されるとき見下ろされていますね」

翻弄される森山が面白くていつも遠目に眺めていたのを思い出した。
笑うことは流石にしなかった。森山は自分の師であるからだ。性格に難はあるが技術は確かなもの。
彼を悪く言えないし言うつもりもない。

「日名先生って」

相良の体がこちらへと向いた。

「はい」

こちらもきちんと向き合えば相良は目を細めた。
首を傾げれば相良は白衣のポケットに手を突っ込んだまま上半身を傾けて視線を合わせてきた。

「森山先生のことを悪く言わない数少ない病院スタッフだ。きちんと尊敬さえしてる」

「え?」

急なことに思わず戸惑い、眉根を下げた。
相良は微笑むと再び横を向き、伸びをした。

「羨ましいなぁ…」

森山先生は、と続ける相良。彼の真意は何だ――?どこにある――?
探るように横顔を見つめても考えが読めなかった。

「森山先生が、ですか?相良先生だって技術はトップレベルですし何より患者さんに対して丁寧で真摯に向き合ってるいいお医者さんだと思いますよ」

「いえいえ、僕なんか。でも、ありがとうございます」

照れたように相良はほんの少し表情を緩めた。
それが本物の笑顔に見えて仕方なかった。何の邪気も含んでいないそんな笑顔。
自分も相良に騙されているだけなのか、それとも。いや、そもそも騙す騙してないなどわからないではないか。

「いえ、生意気なこと言っちゃってすみません」

会釈をすると相良は腕時計に視線を落とし「そろそろ戻りますか」と声を掛けた。
頷き、缶コーヒーを拾い上げて相良と共に扉へと向かうと扉が突然、大きな音と共に開いていた扉が閉まった。
隙間から見えた白衣と拗ねたような表情の…

「え…え!森山先生!?」

追いかけようと一歩踏み出したが相良に肩を押さえられ、叶わなかった。
どういうことか相良を見上げると相良は微笑んだまま扉の方を見据えていた。

「ヤキモチ妬くんですねー、森山先生も」

愉しげに目を細める相良は笑った。そして陽葵は悟った。
相良が始めから森山が聞いていることを知っていて会話をしていたのだと。
そして自分は訳がわからないその罠にまんまと引っ掛かったことを。

(続く、かもしれない?)



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