貴方一人じゃ物足りない
――カタカタ
「シャーロックさん」
低く感情を感じさせない声でアリスはシャーロックを呼んだ。
聞く人によっては冷たく聞こえるだろうがこれがいつもの彼のスタイルだ。
シャーロックはあれこれと理由をつけてアリスをベーカー街においている。
シャーロックはほぼ軟禁に近い状態でアリスを手放さない。外出も許されていないアリスは何日外に出ていないのだろう。
アリスがここへやってきたのは本当に最近だ。
「何だ」
「僕から離れてくれませんか」
ほら。今だってシャーロックはアリスを抱いたままiPhoneを弄っている。
ジョンは呆れ顔でシャーロックたちへ視線をやった。視線に気づいたシャーロックは「何だ」と再度言った。
「アリスから離れてやれよ。困ってる」
シャーロックは仕方なさそうに離れた。
離れてくれたシャーロックを一瞥しアリスはどこかホッとしたような表情だった。
それでも彼がシャーロックに逆らえない理由がわからない。それはシャーロックとアリスしか知らないだろう。
*
「doctor Watson」
畏まったように名前を呼ばれ、ジョンはたじろぎながら「何だ?」と返した。
ジョンの指はキーボードに乗せられたままで。
「シャーロック…シャーロックさん、どこへ行ったか分かりませんか?」
どこか落ち着かない様子でアリスは問うた。
彼をあんなに疎んでいたのにこれは一体どういうことだろう?ジョンは「あー」と言い淀み、咳払いをして答えた。
「彼なら…“boring(つまらん)”とか呟きながら外へ出掛けていったよ」
気になるのか、と続けて問えばアリスは「別にそんなんじゃないです」と即答した。
表情を伺えばいつものポーカーフェイス。ジョンにはそれが取り繕ったように見えた。
いつも疎むような素振りは照れ隠しなのだろうか?
どちらにせよ、彼がシャーロックを気にかけているのは明白だった。
「hmm…I see…」
(成る程ね…)
「何が“成る程”なんですか?」
素早く独り言を拾われ、ジョンはキュッと唇を結んだ。
睨むように向けられる視線に肩を竦める。
「いいや、何でもないよ。シャーロックならそのうち帰ってくるんじゃないか?」
「…別にシャーロックさんの帰宅時間なんて気にしてませんよ」
「そうか?僕には気にしているようにしか見えないけど」
「…ジョンなんか知りません」
プッと思わず吹き出し、やはり睨んでくるアリスに向かって笑いながら首を振る。
やはり彼はシャーロックのことを気にかけているのだ。案外分かりやすいのかもしれない。
「ただ…」
聞こえてきた控えめな声にジョンは顔を上げた。窓へ視線を向けたアリスが眉根を下げそっと独り言のように続けた。
「寒いからシャーロックさんが風邪を引かないか心配で…」
確かに白い粉のような雪が既に窓の縁に微かに積もっている。これは本格的に降り積もりそうだ。
唐突に鳴ったジョンの携帯端末。これはシャーロックからのメールだ。
それを予測できたのだろう。何事かとアリスはこちらへと視線を向けていた。
すぐに受信ボックスを開きメールの内容を確認する。
from:Sherlock Holmes
(シャーロック・ホームズ)
title:untitled
(無題)
text:
I forgot money and umbrella.
(金と傘を忘れた)
come to the station immediately.
(今すぐ駅に来い)
ジョンは無言でそれをアリスの前に掲げた。
彼は素早く目を走らせ、そして考え込むようにジッとしばらくそれを見つめ徐に立ち上がった。
準備を始めることから彼がシャーロックを迎えに行くのがわかる。マグカップに口を付けているとふと合う視線。
「what are you doing John…」
(ジョン、何をしているのですか)
「what are you talking about?I'm just…drinking some coffee」
(僕?何のことだ?コーヒーを飲んでいるだけだけど)
「yeah,I know that.just “please” get ready」
(そんなの見れば分かります。さっさと支度して下さい)
当然のように呆れ顔でそう返されジョンは支度を始めるしかなかった。
コートを着込み、アリスが促すままに傘を手に取る。焦れったくなったのか彼はジョンの手首を引いてフラットを出た。
辺りに出たときには灰のように雪がチラついていた。
「hurry up John.we must not let him waiting」
(早くして下さい、ジョン。シャーロックさんをお待たせしてはいけません)
「lesten to me.No problem if you go alone.right?」
(だったら君一人で行けばいいんじゃないか?何も二人で…)
アリスは眉を寄せ首を振った。
「3人じゃないと嫌です、ダメですか?」
不覚にも男にときめいた瞬間だった。
ジョンは頭を振り、「君がそう言うなら僕は構わないけど」と返す。彼は満足そうに頷いた。
「急ぎましょう、ジョン」
「了解」
皮肉っぽくそう返しジョンは彼に引かれるまま駅で待っているであろうシャーロックの元へと急いだ。