蜀國公主 二

主君が出立されてから数日が経った。この地にいる武将は趙雲と魏延のみで精鋭兵士が僅か5万。
勿論のこと主君劉玄徳の親族もこの地に留まっている。主君の奥方と数人の姫君と若君。
魏の曹操、呉の孫権がいつ攻めてくるかわからない。それを口にしたところ軍師である孔明はその心配はないとハッキリ断言した。
考えがわからないが軍師殿に任せておけば大丈夫だろうと趙雲は信頼し留守を務めていた。
それは魏延も同じだが趙雲には主から直々に承った命がもう一つあるのだ。とても簡単なようで難しい命令が。

「またいらっしゃらない…」

溜息と共にそんな言葉を吐きだし、「将軍!」と呼ばれ振り向いた。
血相を変えた兵士が慌てたようにこちらへとやって来る。兵士は趙雲の前で膝を立てひれ伏した。
息を切らした兵士に眉を顰め、何事かと問うと滴り落ちそうな汗を拭うこともなく若い兵士は「姫君が!」と声を上げる。
問題を起こす姫といえば一人しか思い当たらない。

「何だ?続けろ」

「陽葵様が馬に乗られ、門を突破し一人で城を出て行かれました」

「何だと?」

馬鹿な。優秀な兵士たちに門の見張りは任せているはずだ。
それを突破した…?しかし納得がいく。だからこれだけ探してもいないのだ。
趙雲は息をつき「私が一人で行こう、任せた」と言った。
兵士が返事したのを聞き、趙雲は馬小屋へ急いだ。自分の愛馬なら姫君に追いつけるだろう。

*

しばらく馬を走らせていると竹林へと入った。
こういう場ではゆっくりと馬を走らせたいものだ。涼しい雰囲気に手綱を引きそうになった。
しかし姫君捜索は優先だ。大方行き先の検討はついている。
少し進むと竹林から抜け、伸び放題の草地に辿りついた。立派な黒い馬が木に繋がれている。
間違いない。陽葵はこの近くだろう。この立派な黒い馬は姫の愛馬だ。
美しい見事な毛並みの馬の傍に趙雲は自身の白馬を繋ぎ、草地を進んだ。草は手入れされておらず道がない。
しかし人が先へ進んだ痕跡は確かにある。趙雲はそれを辿った。いつ山賊に襲われてもいいように剣の柄に手を添えておく。
しばらく進むと湖を熱心に観察なさっている姫の背中が見えた。黒い上質な羽織物を纏い髪は下ろし簡単に結われている。

「陽葵様」

静かに呼びかければ姫は振り向き、素早く人差し指を唇に押し当てた。

「しー」

「…?何です?」

首を傾げれば陽葵は微笑を浮かべ、手招きをした。
失礼、とお辞儀しゆっくりと近づく。このような近い距離で主君の親族に近づくのは滅多にない。
姫が指差す箇所を辿れば水面に二羽の白鳥が優雅に泳いでいた。互いに寄り添い合っているところを見ると雄と雌か。
陽葵は熱心にそれをご覧になっている。そんな姫の横顔が思ったよりも近いことに内心動揺していた。

「綺麗…」

目を細められる姫に視線は釘付けになる。貴方の方が綺麗だ、なんてそんな台詞口に出来るはずもなく。
視線がこちらへと動かされ、目が合う。姫は恥じるどころか視線を返してきた。
視線を交わし、しばらく我を忘れて見入った。姫からは品のあるいい香りがした。お香の匂い、だろうか。
とてつもなく触れたくなった。激しい熱っぽい衝動が湧き上がり、思わず溜息を零す。
姫君の吐息がすぐ傍に感じる。すぐ、傍に――?
その瞬間シャボン玉が弾けるように趙雲はハッと我に返った。同時に二羽の白鳥は空に向かって羽ばたいていく。

「あ…」

白鳥を名残惜しそうに見届け、姫は悲しげな顔をした。
慌てて趙雲は陽葵から距離を置き、跪いた。両手を合わせ、「失礼しました!」と顔を伏せる。
自分は何と言うことをしたのだ。主君の娘に口付けをしようとするなんて。自分の失態が腹立たしい。

「どうか私を軍令にてお裁きください」

その権限はこの姫にはない。しかし君主に言いつければそれは叶う。
自分を罰しないと趙雲の気は済まなかった。

「趙雲殿、私は別に――」

「そうでなければ…罰を受けなければ私の気が収まらないのです」

「趙雲殿、面を上げられよ」

陽葵の凛とした声に趙雲は思わず顔を上げた。姫は真っ直ぐ趙雲は見下ろし傍まで寄ってきた。
慌てて顔を伏せれば陽葵に頬を触れられ、伏せることを許されなかった。

「では貴方の望み通り罰してくれましょう」

「姫様のご恩義に深く感謝――」

唇の横に柔らかい感触が押し当てられ、趙雲は固まった。
遅れて華のような香りがした。気づいたときには姫は離れていて悪戯っぽく笑っていた。




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