其の黒髪ぞうるわしき

――また、か。
赤く腫れた頬を押え、レオンは自嘲じみた笑みを零した。目の前には涙を浮かべた女性がいた。
告白されては付き合い、相手がレオンの仕事の忙しさに寂しさを感じ我慢出来ず別れを告げられ捨てられる。その繰り返しだった。
そんな女性たちに本気になれるはずがなくレオンはただそれを受け止め涙ぐみながら去る女性の背中を見送る。
追う者拒まず去る者追わず。まさにそんな言葉がレオンには合っているのだろう。
この年齢になるといっそのこと誰とも付き合わずにただ年齢を重なるのを待てばいいのではないか。
恋など人生を彩るちょっとした調味料、スパイスでしかない。少なくとも本気で恋愛できない今のレオンはそうだった。
それとも無意識に“彼女”の影を追っているのか。触れたときの感触。
もう何年も前のことだが全てが鮮明に思い出せる。
妖艶に湛えた笑み。掴めそうで掴めない、わかるようでわからない。
そんな曖昧な関係で。
彼女は実は自分が作り出している幻で現実にはいない人間なのではないか。
時々そう思うこともあったが何より彼女は任務のときにいつだって助けてくれる。(たとえ彼女にとってそういう意図がなかったとしても)

「貴方とっても酷い顔してる」

「what…?」

それは飲んでいるときだった。突然、声がした。
レオンは眉を顰めて隣りへ視線をやる。いつの間にか女が隣りのカウンター席に座っていた。
スラッとした足を組み直し女は薄く笑った。それが“彼女”――エイダととてもよく似ていて。

「酷い顔してるわ、“色男さん”」

「どうも。悪いがその“酷い顔”は元々なんだ」

琥珀色の酒をグラスへと注ぎ、グイっと一気に飲み干す。
喉に熱いものが通り、じわじわと全身を熱くさせた。
一人の男に声を掛けてこない女はいない。今夜もそうだったわけだ。
レオンは皮肉っぽく笑い溜め息を零した。

「悪いがナンパなら――」

「貴方なんかに興味はないわ」

スッパリと言われ、レオンは一瞬口ごもった。
しかし負けじと反撃に出る。

「一人の男に声を掛ける一人のladyならそう勘違いしても仕方ないだろ?」

「ダメね…一般常識や先入観の囚われすぎは良くないわよ、坊や」

くすりと笑い、女は頬杖をついてレオンを見つめた。
やれやれ。“色女”はどっちだか。レオンは苦く笑いながら首を振った。
言い返す言葉が見つからない。しかし“お遊び”に振り回されるほどレオンも青臭くはなかった。

「…俺は“一般人”なんでね。悪いが高度な思考はできないんだ」

「あら…“特別なエージェントケネディ”なのに?」

途端、空気が変わった。否、レオンが変えたのだ。
殺さんばかりに鋭く見つめ返す。
女はレオンの態度が変わったのを何とも思っていない様子だった。相変わらず薄く微笑を浮かべたまま、頬杖をついたまま。
そしてカウンターテーブルの下で突きつけられる銃を見つめても彼女は何とも思っていないようだった。
レオンはカチリと安全装置を外して本気なことを示した。

「why did you know my name?」
(どこで俺の名前を…)

声音を低くし「answer me」と脅せば、女は小首を傾げ笑ってみせるだけだった。
引き金にかけた指に力を込める。
それでも女は恐れを抱かない。笑みを深めるだけだった。

「大丈夫よ、機密情報は漏らさないわ。私は別に貴方を敵に回すつもりはないの」

「どうして俺に近づいたんだ?」

銃口を外し、ホルスターに収めても女は特にリラックスする様子も何もなかった。
ただただレオンを観察するように見つめているだけだった。その目からはほんの少しの好奇心を感じる。

「理由なんている?」

「は?」

「私の気まぐれよ。ああ…でも強いて言うなら…興味?かしら」

双眸を細め愉しげに笑う女は本当にそっくりだった。
惚れっぽい自分の性格を何とかしないと、な。と心の中で独り言ちてみる。
既にレオンはこの女性に対する興味でいっぱいだった。
アルコール効果のせいにしてみるがアルコールが入ってなくても興味を持っていたに違いない。
どちらにせよ考えるのは無駄だ。考えても思考が止まらないだろうし、答えなどきっとない。

「最初に君は“貴方なんかに興味ない”とか言わなかったか?」

興味を振り払うようにレオンはわざと突き放した言い方をした。
それと同時にレオンは彼女がどう出るか興味を持ったのだ。

「ええ、ないわよ」

ほぼ即答した彼女に戸惑うように視線を返す。
レオンの視線を受け彼女は勝ったとでも言うように口元を吊り上げた。
相手に動揺を見せてしまったことをレオンは悔やみすぐに顔を引き締め直した。

「しかし今――」

「私があるのは“観察対象”としての興味。貴方の“人間性”とか“男”だとかに興味は全くないわ」

さすがに傷つく言葉だ。と同時に煽る言葉。
彼女に認めてもらいたい、このままでは男としてのプライドが許さない。
くらりと確かにレオンは傾いた。

「…それで?君は俺に名前の一つもくれないのか?」

「その挑発に乗ってあげないこともないけれど…そうね、こちらが名前を教えないのはunfairね。いいわ、教えてあげる。私の名前は」

女はそこで言葉を切り、ナプキンに文字を書き込んだ。
彼女はそれを畳んでレオンのジャケットのポケットに入れて微笑む。

「また会えるといいわね…good night,“色男さん”」

女はレオンの飲んでいたグラスの酒を一口飲むとヒールの音をあまり立たせずにその場をゆっくりと去っていった。
溜め息を零して首を振り、レオンはグラスの縁に付いた口紅を見つめた。
息を吸い込めば花のような香りがまだそこに残っていた。
香水ではない、洗剤でもない、蜂や虫を惹きつけるような花の甘い不思議な香り。
嫌いではなかった。
そしてふと思い出したようにポケットに入れられたナプキンを取り出す。折り畳まれたナプキンを一瞥しそれからそれを広げてみる。

「big surprise…she wrote a phone number to me」
(あの女…親切に番号まで残しやがった)

短く笑いレオンはそれをポケットに入れ直す。
そしてその名前を口にしてみる。

「陽葵」

それが本当に彼女の名前なのかは分からない。コードネームや偽名を用いたのかもしれない。
どちらにせよ彼女はそう名乗った。
また会えるかどうかさえも分からないがレオンはほぼ確信していた。
陽葵と名乗り謎めいた女と再び会えることを。



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