硝子の障壁


クリスは警備員に向かって軽く会釈をし、地下室へと足を踏み入れた。
並ぶ鉄格子の部屋を通り過ぎ、そのまま奥へ奥へと足を進める。
そして頑丈な明らかに他とは造りが違う部屋の前で足を止めた。
扉の前に机が置いてあり、そこで監視をする男にクリスは視線を送った。

「またアンタか。アンタも物好きだね」

「それは毎度のことだろ」

毎回、ここを訪れる度に嫌味を言われクリスはうんざりしていた。
監視役の男は短く鼻で笑い、「それもそうだな」と呟いた。

「…一応、確認だ。上からの許可証は?」

クリスは皺くちゃになった書類を乱暴に机の上に置いた。
男はそれをよく見ようとせず、クリスに向かってぶっきらぼうに「入っていい」と言った。
その言葉をもらい、頑丈な扉にポケットから取り出したカードをスキャンした。
ピピ、という電子音の後に扉は開く。
クリスは部屋の眩しさに目を細めた。辺り一面、真っ白な部屋。
冷たい空間から歌声が聞こえた。透明感のある柔らかな歌声。
クリスは部屋の内部まで進み、強化ガラスすれすれまで距離を縮めた。
『彼女』とクリスの間に隔てるガラスの壁。
『彼女』は振り返った。そして魅惑的な笑みを浮かべる。

「こんにちは?クリス」

「陽葵」

彼女の名前を呟く。自分しか知らない彼女の名前を。
何の気まぐれか陽葵は会いに来てくれるクリスに名前を教えた。
国籍や住民票が一切、存在しない彼女自身の名前を。
陽葵については謎が多い。

「政府って警戒し過ぎだと思わない?」

クスクスと可笑しそうに肩を揺らしながら陽葵は言った。
確かに、とクリスも思う。
感染者であることはデータが示しているがそれでもゾンビに変化していない。
その兆候も見られない。

「政府はね、口実をつけて私を閉じ込めておきたいだけなのよ」

「なぜだ?」

「政府はとっくに私が体内でウィルスを殺したのを知っているわ。閉じ込めておきたいのは
政府にとって私が危険な存在になるかもしれないからよ」

か細い体をしているというのに政府はそのようなことを考えているのだろうか。
クリスは顔を歪めた。
ガラスに手を添え、ギュッと握る。白い手がクリスの手をガラスの上から包んだ。
視線を上げれば、彼女の双眸と合う。
ニコリ、と陽葵は笑みを浮かべた。
そしてどちらからでもなく、唇を寄せた。この障壁があるせいで彼女に触れられない。
腹立たしかった。壊してしまいたかった。

「クリス…」

吐息交じりに呼ばれる自分の名前。
切なげに陽葵は眉を寄せ、しっとりとした黒の瞳でクリスを見つめた。

「いつか貴方に触れたい」

こつん、とガラス越しに額を合わせる。

「…俺も、だ」

たったそれだけの願いでも、叶うことはないだろう。
それはどちらも痛いほどわかっていた。




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