焦がれて、叶わない
叶わない恋だってわかってましたよ…
出会ったときから痛いほどにね。
それでも想いは止められるものではないでしょう?“名もなき恩人さん”
*
「ねえ、名もなき恩人さん」
陽葵は武器の手入れをしながら黒いコートの男を振り返った。
彼女の命の恩人である彼は気の向くまま移動しては商売をしている。
大きなリュックサック、コートの内側にはぎっしりと武器が格納されている。
青白い炎を灯した松明が彼の店の看板だ。
「なんだい?お嬢ちゃん」
いつまで経っても彼は名前を教えてくれない。
そして陽葵のことをお嬢ちゃんとしか呼んでくれなかった。
「母さんと父さんに殺されそうになったときもこんな雨の日だったよね」
ポツポツと降る雨。
灰色のどんよりとした雲を仰ぎながら彼女は言った。
名もなき恩人――武器商人としか名乗らないミステリアスな彼は目元を細め、同じように空を仰いだ。
目元しか見えない彼だが目で何となく感情が読み取れた。
「そうだったな」
ぶっきらぼうにそう返して彼は武器磨きを再開させた。
「名もなき恩人さんが助けてくれた日だよ」
彼の動きが止まる。
構わず陽葵は続けた。
「あの日からあたし、名もなき恩人さんのことが…」
「お嬢ちゃん」
彼の制する一声に陽葵は下唇を噛んだ。
彼と共に商売することを許されるにはルールを守らねばならなかった。
私情は決して挟んではならない。
告白など言語両断。
すれば、その日から陽葵と彼は別れることになる。
「名もなき恩人さん…こんなときもあたしの名前を呼んでくれないんだね」
いつの間に雨が止んでいた。
彼はすっかり晴れた空を見上げながら、荷物を手早くまとめ始めた。
そして、赤い双眸でこちらを見やり、無造作に陽葵の頭を撫でた。
「陽葵、その先は言ってはいかん。さ、行くぞ」
撫でられた頭に触れ、陽葵は哀しげな眼とどこかホッとしたような顔で名もなき恩人の背中を追った。