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やがて景色の中に家の姿が確認できるようになった。
車はそのまま進み、一つの煉瓦の建物の近くへ停車した。シャーロックが降りた後に、ジョンとアリスはそれに続く。
すぐそこには人々が集まっていて、若い男が話していた。
「ツアーは1日に3回です。気軽にご参加を。命が大事なら夜は湿原に行かないで」
そこを通り過ぎたところで若い男が声を上げる。
「そこの美人なお姉さん!」
若い男とばっちり、目が合う。アリスはキョロキョロと辺りを見回した。間違いない、この男は自分に話しかけている。
セールストークだと分かっていても顔が熱くなるのを感じた。立ち止まり、首を傾げて確認するように自分を指させば若い男は笑った。
「そう、貴方のことさ」
「はい?」
「良かったらツアーに参加しません?」
「あ…えっとー」
どのような言葉で断ろうと思案していると割り込んでくる影。
「間に合ってるので結構」
シャーロックは微笑を浮かべてそう答え、アリスをエスコートするように背中に手を添えて押した。
ジョンも苦笑を浮かべながら横を歩く。
「何、捕まってるんだ」
シャーロックは呆れ顔でそう言った。
「仕方ない、アリスは『美人なお姉さん』なんだから」
「何言ってるの、ジョン」
ジョンは肩を竦めた。火照った頬を覚ますように吹いてきた風を顔を上げて受ける。
シャーロックはコートの襟を合わせた。
「寒い」
そして煉瓦の造りの建物へと入っていく。アリスは看板へと目を遣った。
“Boutique Rooms & Vegetarian Cuisine”(宿泊とベジタリアン料理)とある。
部屋割りはリヴァプールの一件と同じでアリスに一部屋、シャーロックとジョンで一部屋だ。コストも掛からない上に妥当な部屋割りだろう。やはり誤解されたようだが。
「ダブルベッドじゃなくて悪いね」
オーナーに鍵を渡されるジョンを見て、アリスは思わずニヤけてしまった。
ジョンは振り返って、アリスを軽く睨んだ。部屋の鍵を投げて渡され、笑いながらそれを受け取る。
「僕らは別に……これで」
代金を支払うジョン。
「すぐにお釣りを」
お釣りを受け取りながらジョンは彼へと聞いた。
「湿原の地図にあるドクロ印は何だ?」
「ああ…あれね」
「海賊?」
アリスは面白がるようにそう言って身を乗り出した。
「グリンペンの大地雷原と呼ばれてる。バスカヴィルの試験場だ。80年前からある。何があるのか誰も知らない」
「爆発物か何か?」
「それ以外にも何かある。吹き飛ばされるだけならまだマシだよ。散歩のときはご用心を」
「ありがとう、覚えておくわ」
「観光にはマイナスさ。魔犬は救世主だよ。あの番組は見た?」
男はグラスを出して飲み物を用意しながらこちらを振り返った。
アリスとジョンは互いに目を合わせた。
「ああ、見たよ」
「ヘンリーと魔犬に感謝だ」
「目撃したことはある?」
「俺はないけどフレッチャーが。魔犬観光ツアーをやってる。彼が見た」
見遣れば、先ほどの若い男だ。彼は携帯で話をしている。
「商売にはプラスだ」
「確かに忙しくなったな」
別の髭の生やした小柄な店員に男が話しかける。
「ああ、見物客が押し寄せてる。最近はネットで簡単に話題が広まる」
シャーロックが何気なく出ていく姿を確認し、フレッチャーという男から情報を聞き出そうとしているのがわかった。
「ドリンクが切れた」
大柄の男に対してそう言い、小柄な男は言葉を続けた。
「魔犬に、不気味な研究所。夜も眠れないよ。そうだよね?」
「俺はスヤスヤ」
大柄な男はそう言って小柄な男の肩に手を添え、微笑んだ。
「よく言うよ。彼、イビキがすごくて」
大柄な男は慌てたように小柄な男の体を軽く叩き、「しっ」と言葉を制した。
ジョンはお返しとばかりに微笑み、口を開いた。
「君の彼氏も?ドリンクもらうよ。アリス、君は?」
「ええ、私もお願い。シャーロックのところ行ってるわ」
シャーロックは既にフレッチャーという男を上手く捕まえて話していた。
途中で入るのも気が引ける。入り口でジョンを待つことにした。ジョンはすぐにやってきて、「遠慮する必要ないのに」と笑った。
「だって何だか気まずいもの」
ドリンクと共にシャーロックの元へと行けば、彼は唐突に「賭けはなしだ」と2人に向かって言った。
「え?」
「賭け?」
強く反応を示したのはフレッチャーだった。
「僕の計画は日没後に…」
「待って。賭けってなんだ?」
「ジョンと賭けた。君が証明できないとね」
その様子にジョンとアリスはようやく理解した。これは情報を引き出すために重要なことだと。
そうと分かれば簡単だ。ジョンは口を開いた。
「確かに見たとか」
フレッチャーはニヤリと笑ってシャーロックを見遣った。
「あんたの負け」