I didn't lost yet

短期間で全て変わってしまった。
弟のショーンは死に、それがきっかけで血の繋がりが偽りであったことがわかり、そして翌日ショーンの恋人ミッシェルが死に。
アリスは潤んだ瞳を伏せ、歩き続けた。自分に泣く暇なんて与えられなかった。ただただ不安と恐怖だけが常に付き纏った。
フレイン教授が狙撃され、同僚のアベルが巻き込まれて怪我し、その上シャーロックやジョンだって巻き込んで危険な目に遭わせた。
ずっと友だちだと思っていたティナ、そして自分の知らない大きな組織が事件の背景にいた。ティナは自分の妹。
そんな大事なことを幼い頃の悪夢で――トラウマで記憶から消してしまった。
彼女は罪を償っていくと言っていた。自分はそんな彼女を待つと言った。待ち続けると。
なのに…

「何で…」

自分を守る為にどれだけの人たちが犠牲を払ったのだろうか。
どうしようもなく苦しくて自ら命を絶ちたいと思ってしまう自分がいた。
しかし一方でもここで自分が死んで犠牲になった人たちが何のために身を呈したというんだ、と強く諭す自分もいる。
そう、自分は死んではならない。生き続けなければいけない。痛みを伴って。

「っう…く」

堪えきれず嗚咽が漏れる。口元を手で押え、足早に道を歩く。
通りすがりの人たちはそんな自分をギョッとしたように見つめたり心配そうに視線を送ってきたりしていた。
それに答える余裕なんて今はない。
行く宛てもない。ただ足に任せて歩いているだけだ。潮の匂いが強くなっていく。
煉瓦の道からアスファルト、木の感触、足元がついに沈んだ。砂だ、そう思ったときには既に足元が冷たくなり始めていた。
目の前は海だけ。地平線に真っ直ぐ伸びた金色の帯。日が昇り始めた。

「アリス!」

名前を呼ばれた。誰だろう。自分を引き止めてくれる人間は。
そんなの、そんなのいない。誰もいやしない。全て失ってしまったのだ。
ゆっくり。ゆっくり進み続ける。膝まで冷たさはきていた。刺すような冷たさで全身の感覚が失われ、崩れ落ちる。小さな飛沫が上がった。
再び立ち上がり進もうとすると腕を掴まれた。ぼんやりと振り返る。息を弾ませ、眉根を顰めたシャーロック。
なぜ、彼がここにいるんだ。もう事件は終わったはずなのに。いやもう関係ない。もう自分も終わるのだから。
アリスは気にせず、その腕を振り払い、名前を呼ぶ彼に構わず進んだ。

「止まれ。止まるんだ」

今度は強引に後ろから羽交い絞めにされる。
やめて、止めないで。貴方には関係ないでしょう?瞳から雫がこぼれ落ちる。
それに気づかずに振り返って睨もうとすると強引に抱き寄せられた。
ぼろり、とまた零れ落ちる涙。彼の腕の中にいる自分。そんな自分が信じられず反射的にアリスは離れようとしたが両肩を押さえられ動きを止めた。
自分は一体…。ああ、死のうとしていたのだ。何て最悪なことをしようとしていたのだろう。
全てから逃げようとして。自分はそんなに弱い人間だっただろうか。
息を弾ませ、シャーロックは懸命に自分の瞳を覗き込もうとしている。

「僕は…僕は何も言えない。君を勇気づける言葉さえも思い浮かばないし君も知っての通り僕は…」

言葉を探すように慎重にシャーロックはアリスの両肩をキツく掴んだまま瞳を揺らした。

「時々、僕は他人の命をどうでもいいとさえ思う。事件が起きる度ハイになるし」

こんな時でさえ笑いが込み上げてくる。小さく笑いアリスは口を開いた。

「興奮する」

「ああ、その通り。実際それは事実だ。否定できない。でもそれでも」

静かに彼の言葉に耳を傾ける。低く早口な彼の言葉に。
シャロックは口を閉ざしたり開いたりを繰り返している。出かかった言葉を何度も飲み込み、勇気がないと言えない言葉のように見えた。
目を閉じ、彼はやがて決意したように深呼吸し目を開いた。

「君には死んでほしくない」

誰でも言える簡単な言葉。それでも彼にその言葉は勇気が必要だったに違いない。
彼は感情的にはならない。事件を好み、頭をフル回転に使って合理的に解決し、そして退屈を嫌い、非凡だ。
だからこそ彼のその言葉には真実味が込められ、心を揺さぶられた。
顔を歪め、シャーロックを見上げる。彼は苦しそうだった。見たことない彼のそんな表情。
きっと自分は彼と同じ顔をしている。それでもにわかには信じられずにいた。信じていないわけではない。
それでも有り得ない。彼のこの行動も。たった今発した言葉も。

「何を言ってるの…もう事件は終わったわ…私は用済みのはずよ」

涙がまた零れる。
彼の顔がさらに苦しそうに顰められた。

「違う…違う」

「アリス!シャーロック!」

バシャバシャ、とこちらまでやって来るジョン。躊躇わずにやって来た2人。
すごく冷たいのに。凍えるくらい、酷く冷たいのに。
ジョンに気を取られているアリスを見、シャーロックは彼女を抱き上げた。

「シャーロック…!?」

肩に担ぐわけでもなく労わるように抱き上げ、ジョンのところまで歩みを進める。
息を切らしたジョンのところまで行くと砂浜に下ろされ、息をついた。
そして湿った髪を退け、徐にアリスの頬に唇を寄せた。短く口付け、驚くジョンとアリスをシャーロックは立ち上がって見下ろした。

「ロンドンは君を必要としている。特にベーカー街に必要だ。理由は簡単。ジョンと僕だけでは家賃が払えない。僕はいつも多く払うが負担が大きい。
3人で住めば払う分も少なくなるし負担が減る。それにハドソン夫人も君を可愛がってるし君の淹れる紅茶は美味い。全てがプラス、プラス」

いいだろ、と問いかけられ、たじろいだ。

「いいね。最高だ」

ジョンも肯定するように頷く。

「決まりだ」

シャーロックは満足そうに頷いた。ジョンがアリスへ視線を移した。
眉根を下げて微笑むジョン。彼は片手をアリスへ差し出した。

「アリス、来てくれ。僕たちと、共に」

口を閉ざし、視線を落とす。
そうだ。まだ自分にはシャーロックやジョン。それに職場の仲間、友人がいる。
負けるわけにはいかない。犠牲になった人たちの分まで生きなければいけない。
アリスは涙を拭い、顔を上げてジョンの差し出す手に掴まって立ち上がった。
そのままホテルへ戻るために歩き始める。

「帰ったらシャワー浴びないと」

ジョンが言った。

「そうね、熱いシャワー浴びたいわ」

同意するように頷く。ジョンはチラッとシャーロックとアリスを見遣り、「あ、そうだ」とわざとらしく声を上げた。

「僕ちょっとやることが」

シャーロックが問いかける前にジョンは「ホテルに先戻ってて」と言い残し、走り去っていく。
遠ざかっていく背中を2人で見送り、互いに顔を見合った。
じっと彼に見つめられ、どうしていいかわからず口を閉ざす。何か会話は。
しかしこれと特にない。元々、シャーロックだってお喋りタイプでもない。

「君は」

顔を上げる。
シャーロックは少し考えるように視線を外し、再びアリスを見つめた。

「ずっと一緒にいろ」

それからすぐに歩き出すシャーロック。もしかして照れている?
いやそれはない。でももしかしたら。
もしかしたら先ほどの“用済み”発言に対しての彼なりの答えなのかもしれない。
アリスはくすりと笑って彼の背中を追いかけた。




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