nightmare

女は冷たい無機質な部屋の真ん中に座っていた。小さな机の上に広げた便箋に文字を綴り、封をした。
月明かりが彼女の顔を照らす。女は泣いていた。濡れた頬に彼女は自身で触れ、笑った。
心からの笑顔だった。

“私、貴方が出てくるまで待ってる…!だから…だから帰って来て。私何十年でも待ち続けるから”

目を閉じれば数刻前の会話が鮮明に浮かぶ。
自分の姉は美しかった。涙ぐみ、それでも懸命に笑みを浮かべてこんな自分を抱き締めてくれた。
姉は温かく良い匂いがした。もっと早く気づけば良かった。姉は昔から変わらなかったことを。あの探偵なら姉を守ってくれる。
自分が出来ないことをやってくれる。もう自分は姉を守ることが出来ないのだから。
足音が聞こえてきた。ああ、遂にこのときがきたのだ。
女は目の前で立ち止まった男に向かって手紙を差し出して監獄の中で笑った。

*

アリスはあまりの寝苦しさに目を覚ました。
シーツに触れ、デジタル時計へ顔を向けた。“2:20”。まだ出発には早すぎる時間だ。
息を吸い込み、すぐ傍の嗅ぎ慣れた柔軟剤の香に手を伸ばして掴んだ。

「え…」

何かが可笑しい。誰かの腕の中にいる。掴んだのは誰かの胸元のシャツだった。
恐る恐る視線を上げて硬直する。目を閉じて寝ているのは紛れもなくシャーロックだった。
自分はシャーロックの腕の中で寝ているのか。始めは夢かとアリスは思った。しかし現実だ。どう考えても現実だ。

「どうしようかしら…」

もう一度寝ようにも眠気がすっかり覚めてしまい、寝られない。
ジョンはどこで寝ているのだろう。いやアリスはシャーロックとジョンとは別の部屋のベッドへ行き、そこできちんと寝たはずだ。
何がどうなっているのか。混乱する頭で抜け出そうとするが起こしてしまいそうで簡単には抜けられない。
起こすのも心許ない。彼は時に寝ないときがある。寝ているのが珍しいくらいだ。そんな貴重な睡眠時間を邪魔できない。
頭の中で考えているといつの間に起きていたのか上から降ってくる声。固まっていると彼は構わず「よく眠れたか」と問いかけてきた。
上を見上げる勇気もなく「え、ええ」と返しシャーロックの胸元を掴んでいた手を行く宛もなく彷徨わせる。

「悪夢は」

「え?」

見上げるとシャーロックはじっくりこちらを見つめてきた。

「君が…悪夢を見ていたようだったから」

抑揚のない声。
探るようにシャーロックの目はあっちこっちに行ってる。
いつもの観察であることはわかっているがどうも落ち着かなかった。

「私、が悪夢を?」

そういえば見ていた気がする。とても悪い夢を。
小さい頃から見るあの悪夢ではなかった。もっと悪い夢だった。
視線を揺らし考えているとシャーロックは体を起こした。つられて体を起こすとじっと見つめられる。

「僕も胸騒ぎがする」

シャーロックの感覚的な発言を聞くのは初めてだった。
いつもは感覚的なことは信じず、脳で考えたことが全て。それがシャーロックという人間。
シャーロックの表情はピクリとも動かない。ただ考えるようにアリスと遠くの方を見据えて黙り込んでいる。
その時、電子音が聞こえた。iPhoneの音。
どちらも愛用しているのでどっちかわからない。思わずテーブルの上に目を走らせたが自分のiPhoneの画面は消灯したままである。
ということはシャーロックのだ。彼はポケットを探り取り出すとそれを耳に押し当てた。

「hello」

アリスは音を立てずにグラスに水を注ぎそれを一口飲んだ。
するとシャーロックは「ああ」と相槌を打ちながら掌をこちらへ差し出した。
彼も水が欲しいらしい。自分のコップを置き、新しいコップを出そうとするとシャーロックはアリスの飲んだコップを手に取り、飲み干してしまった。
顔色を変えずにシャーロックは通話をしている。彼は意識していないのかもしれない。
アリスは素知らぬフリをし、見守った。

「何だって?」

静かにシャーロックはそう言った。初めて彼の表情が動いた。
眉間に皺が寄っている。

「…わかった、すぐ向かう」

シャーロックは電話を切った。
彼の動きを見守っていると突然、シャーロックはアリスに向き直り言った。

「殺人が起こった。君も来い」






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