recollection

そう、これはずっと遠い記憶。
遠くて思い出したくない、長年に渡って私を苦しめてきた過去の記憶。思えばそれより前の記憶がない。
なぜそのことについて疑問に思わなかったのか。わかるようなわからないような。それはさておき、話を進めるわ。

*

と、彼女はどこかぼんやり遠くを眺めるように真っ直ぐどこか一点を見据えて言った。試しに振り返ってみたが彼女の見つめるその先には何もなくて。
ジョンはすぐにその行動が無意味であると気づいた。あの腕の傷と刻印のような火傷痕と過去は関係があるのだろう。
シャーロックは推理できているのだろうか。彼女の過去を。いや、出来ているのだろう。
そうでなければあんなこと言うはずない。「彼女はそんな人間ではない」と。シャーロックにしては人間らしい感情だと思う。
それが表に出たのだ。ジョンは友人としてそれに驚いていた。
それに純粋に彼の彼らしくないそれでいて人間らしい性質を引き出したアリスについて興味が惹かれる。
彼女は息を吸い、こう続けた。

「今思えばあのとき私は死んだんだわ」

眉を寄せる関係者一同に対して苦笑を浮かべ、アリスは視線を床にゆっくり落とした。
ジョンはふと思い出したように小さく挙手した。
彼女の視線がこちらへと向けられる。「何?」小首を傾げるアリスに向かって眉根を下げて口を開く。

「メモをとっていいかい?」

事件を纏めるためにジョンはそう言った。彼女は知っているはずだ。
メモを取ることの意味を。ジョンがシャーロックが今まで解いてきた数々のミステリアスな難事件をブログにまとめて書いていることを。
アリスは意外にもあっさり頷き「構わないわ」と返した。

「どうぞ続けて」

彼女は視線をしばらく揺らした。病室内での音といえば喉を時折鳴らす音と衣擦れ、時計の秒針の音のみである。
みんながみんな、彼女の口から過去が語られるのを待っていた。誰一人急かそうとしない。
あのシャーロックでさえも壁に寄りかかり、ジッと彼女が語るのを待っているようだった。

「私は…私はそう。これは推測だけれどもティナと別れてすぐのことだったと思うの」

アリスは腕を組み、息を吐き出した。

「誰か親しい人と一緒だった…」

固く目を閉じ、一つ震えた彼女。頭が痛いのかアリスは眉間に皺を寄せ、米神を抑えるような仕草をした。気遣うようにレストレード警部は「大丈夫ですか」と聞いた。
こくりと頷き、アリスは微笑んでみせた。誰が見ても美しい顔。彼女はゆっくりと語りだした。

「多分、ママとパパよ…私は2人に乗せられてどこかを走っていたわ。そのまま街を出るところだった…だけれど突然、車が停ったの」

ジョンは斜め前にいるティナの表情をこっそりと見遣った。彼女は真剣にアリスの話に耳を傾けているようだった。

「急停止だったわ…霧であまりよく見えないんだけど車が何台も私たちの車を囲むように停っているのが見えたの」

声を押し殺して彼女はそう言った。ジョンにはそれが恐怖と闘っているように見えた。
恐怖を押し殺してトラウマを思い出しながら彼女はそれを吐き出している。
見えない過去と闘っている、そんな真っ直ぐな姿勢はティナに伝わっているのだろうか。

「突然、ドアのフロントガラスが割れたわ…凄まじい銃声のような音と共に。血飛沫が車のシートと母を濡らした…」

ジョンにはわかる。命の危機が迫り、自分の知っている人が死んでいく光景が。
アリスの頬は濡れていた。彼女はそれでも口を閉ざさなかった。まるで自分が泣いていることに気づいていないかのようだった。

「パパが死んだって理解した途端、私は…私小さかったから怖くて叫んで…気がついたら車を飛び出して走ってたの…ママはすぐに私を守るために追いかけてきたわ」

呼吸を荒げながらアリスはそう言った。シーツが強く握られる。

「ママは私を抱き締めた…大丈夫、大丈夫よって。それから何度も謝られてすぐにママはフードを被った怖い人たちに殺されたの。私はママを抱きしめて泣いた。何で?何でママを、ママとパパを殺したの?」

ボロボロと涙が零れる。シャーロックは無言でハンカチを彼女の瞼に優しく押し付けた。
それからずっとシャーロックはアリスの傍を離れない。寄り添うその姿はシャーロックではないかのようだ。
ジョンの知るシャーロック像とはあまりにもかけ離れていて呆気にとられた。それはレストレードも同じようで目を微かに丸くさせていた。

「ありがとう…。話すわ。大丈夫、続きちゃんと話せるわ。私はもう守られるだけの弱い人間じゃないもの」

言い聞かせるようにアリスはそう言った。ひと呼吸してから再び語り始める。

「私は…泣きながら殺した奴らに怒鳴りつけた。許さない、アンタたちが死んじゃえって叫んだわ。目隠しされて何度も殴られた。気を失うまで殴られたの。
どれくらい経ったのかしら…気がついたら私は熱いって叫んでた。腕がものすごく熱くて痛くて死にたいくらい痛いの。
何かが押し当てられて逃げようとしても押さえつけられて逃げられなかった…次に腕が切られるような鋭い痛み」

は、と短く呼吸が吐き出される。彼女は覚悟を決めたかのように袖を捲り上げた。
露わになる彼女のくっきりと残った傷口と焼印。ティナは目を大きく見開き、アリスを見つめた。
真っ直ぐ見つめ返すアリスはまるで言い切ったことを誇るように微笑んだ。
長年苦悩してきた、恐れてきたトラウマを吐き出したことによって少し解放されたのかもしれない。
ジョンには確かにわかった。彼女がさらに大きく前進し強くなったのを。

「ティナ…貴方のことを忘れてごめんなさい。いくらこんな目に遭ったって貴方のことを忘れるべきじゃなかった…」

「アリス…私の方こそ、守ってあげられなくてごめんなさい…!」

ティナは立ち上がるとアリスに抱きついた。
泣きながら抱き合う姉妹に空気を読んで警察関係者たちは出て行く。レストレードは迷う素振りを見せ、結局は病室を後にした。
シャーロックは立ち上がるとジョンの肩を掴み、囁いた。

「君も早く姉と連絡とれ」

何を言うかと思ったら。ジョンは苦く笑いシャーロックの肩口に軽く拳を入れた。
大仰に痛がるシャーロックを見てアリスとティナはお互いに顔を見合わせクスクスと笑った。





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