To the incident
Several months after
ピアノの旋律が共有スペースまで届いていた。弾むようなリズムではなくもっと清らかで静かな音楽。
アイリーン・アドラーはアメリカの証人保護プログラム下にある。
そして2ヶ月前に死亡した。
あれ以来、シャーロックはいつも通りだが時に遠い目をして考え事に耽ることが多くなったのは確かだ。
彼を知る人はそれがいつも通りに映るがもっとシャーロックを知る人はそれがいつも通りではないことに気づいている。
アリスはほとんど部屋から一歩も出ずに顔を見せなくなった。見せるのは食事のときくらい。
しかし会話を交わさずアリスはただひたすら本を読みながら黙々と食事を取るだけ。
シャーロックはそんな彼女を気にも留めない。誰も口を利かない。
ジョンはそれに対しそろそろ我慢の限界がきていた。
カチャカチャとフォークと皿が接触する音だけがそこにあった。まるで葬式のよう。
チラッと向かい側に座るアリスへ視線を遣れば彼女は珍しく本を読んでいなかった。
目の前にある食事をただ食べるだけ。それを作業としか捉えていないかのようだった。
次にシャーロックへ視線を遣り驚いた。シャーロックがじっとアリスを見つめているからだ。
その視線に気づいたアリスは視線を上げ、困ったように眉根を下げた。
「どうしたの?」
やっとこの空間に魂を含んだ音が生まれた気がした。
それに対しジョンは安堵のため息をそっとつき展開を待った。
「…そろそろ君の事件も片付けなければと思った」
アリスは「そうね」と返してフォークを置いて水を飲み干した。
「解決したらお別れね。謝礼金はいくら?」
振り込んでおく、と付け足してアリスはiPhoneを無造作に取り出してシャーロックを見つめた。
そうだ、彼女は依頼人であった。
それを忘れていたジョンは言いようの知れない寂しさに襲われた。
いつの間にか傍にいることが当たり前のようになっていた。
彼女はシャーロック同様に生活の一部となっていたのだ。しかし平然とした顔でシャーロックは口を開いた。
「考えておく」
「わかった」
そう返し、部屋へと入っていくアリスの背中を見届けてからジョンは顔を顰めた。
「おい、シャーロック」
「何だ」
「いや、何でもないんだけどさ…」
「ハッキリ言ったらどうなんだ?」
シャーロックの顔が顰められる。
「アリス…事件が解決したら本当にいなくなってしまうのかな」
シャーロックはようやく顔を上げて怪訝そうにジョンを見遣った。
まるで当たり前だろ、とでも言うように。
「解決したら…全て元に戻るんだ」
「全て…元に、戻る」
「そうだ」
それっきりシャーロックは黙り込んで食事を続けた。
シャーロック、君は寂しくないのか。