Assignation


上の段の本たちを抱えて並べていきながら、アリスはふと視線を感じて後ろを振り返った。
誰もいない。確かに感じたねっとりと絡むような視線。
不快な視線を感じながらアリスは再び本棚に向き直った。
警戒し過ぎなのかもしれない。
人間、狙われていると知ると警戒が強まりしょっちゅう背後を振り向くような行動を取るという。
疲れているのだ、自分は。
警察も監視しているから大丈夫。大学だってセキュリティは万全のはず。
もう二度とあんなことになんてなるはずがない。だってあの犯人は逮捕された。
アリスは古傷がチクリ、と疼いた気がして思わず腕をスーツの上から押さえた。
脳内に再生される幼いころに体験した恐怖の映像。
生々しくそれは何度も頭の中で蘇りアリスを長年苛んできた。
いけない。自分は仕事中だ。
落ち着かない心臓と荒くなる呼吸を落ち着けようと息をゆっくり吐き出した。
作業を再開しようと本棚に乗せておいた一冊の本に触れようとしたが落下してしまう。

「最悪…」

梯子からまた降りなければいけない。
降りようとすると目の前に落とした本が突きつけられた。誰かが拾い上げてくれたらしい。
アリスはそれを受け取り驚いて声を上げそうになった。
寸でのところで手で口元を覆い、抑え込んだ。

「Hi」

本を受け取り、元の場所に戻した。

「シャーロック」

声色を抑えた声は少し震えた。
それを誤魔化すように咳払いをしながらアリスは梯子を降りた。
いつもの黒っぽいコートの襟を立て、青のマフラーを巻いたスタイルの彼。
暖房の利いた室内ではその格好も暑そうに見える。

「どうやって入ったの?」

人目を気にするようにアリスは視線を周りに走らせ、シャーロックを見上げた。

「企業秘密」

そう言って微かに口角を上げて片目を瞑るシャーロックにアリスは少し笑いながら、敢えて何も聞かないことにした。

「警察の人がいる」

「ああ、知っている。仕事はいつ終わる?」

アリスはチラッと一階の本棚で本を漁っているフリをしてこちらを観察する警察官を見た。
警察の人から見てシャーロックの立つ位置は死角となっている。
咄嗟に残った本を腕に抱えて仕事をするフリを始めた。

「4時15分頃」

本を開き、中身を確認するフリをしながら口元を何気なく隠してそう伝えた。
シャーロックは腕時計に視線を落とした。
あと――20分ほど。

「ではそれまで僕は大学内を見学する…フレイン教授の研究室で落ち合おう。
ところでそのメガネよく似合っている」

頬の紅潮を何とか堪えてアリスは微笑み、浅く頷いた。
引き返すシャーロックの背中を見届けて、メガネにそっと触れてアリスは仕事に戻った。

「アリス教授♪」

明るい声を聞き、アリスはため息をついて振り返った。
案の定、女子学生の集団。
ニヤニヤと嫌な予感を感じさせる笑みを浮かべて学生たちはアリスを取り囲んでいた。

「何?講義は終わったの?」

「はい、誤魔化さない」

アリス自身誤魔化しているつもりはないのだが呆れながら抱える本を棚に置いて聞く姿勢を作った。

「ねえ、あの人誰よ?見掛けない顔だけど」

ギクリ、とアリスは顔を強ばらせた。
学生たちが見ていたとは思わなかった。
いや学生に知れ渡るのは構わないが警察に知られて下手に疑われたら困る。

「あの人?」

「とぼけないでよ、アリスさん。私たちちゃーんと見てたんだから」

ね、と別の学生に同意を求めるようにリーダー格の女子学生が言うとニヤッと笑みを返し、頷いた。

「背の高くてハンサムな男よ」

それがシャーロックのことを指すのは明白だ。
アリスは表情を引き締め直してどうやって抜け出そうかと考えた。
女子学生たちは何かを期待するようなキラキラとした双眸を向けてくる。

「ただの知り合い」

呆れたようなため息を吐き出し、アリスはぶっきらぼうにそう答えた。
全く最近の若い子たちは…。アリスは腕を無造作に組んだ。
やはり好奇の色が込められた怪しそうに細められるまだまだ無垢な双眸にアリスは困ったように眉根を下げた。
どうやら若い子特有のそっちの線で疑いを持っているらしい。

「なんか嘘っぽい」

一人の学生がそう零し、他の学生たちが強く同意するように何度も頷く。

「とにかく期待するようなことは何にもないから。あと10分で閉館時間だから帰りなさい」

そう言えば色恋に敏感な学生集団は不満そうな顔をしながらも出て行ってくれた。
素直な学生たちで良かったと思う。
ホッと息をつきながら残りの本を片付けた。






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