酷く気だるい幻を

感じる。ドクドク、と心臓以外に蠢く何か。それは全身に広がっていく。
腕に視線を落とす。血管が異様な色をして浮き出ている。全身が侵されていく。

「……っ!!」

夢であったことがわかり、レオンは息をついた。それでもいつかはそうなってしまうかもしれない。
そんな恐怖に苛まれる。震える息を吐き出し、レオンは床に座りなおした。状況を整理しようと覚醒したての頭を回した。
湖の化け物をユウキと協力して――…そうだ、ユウキ。
額に冷たい感触がし、レオンは顔を上げた。掌で額に浮かんだ汗を拭い、体温を測ろうとする彼女を見上げた。
膝をついて顔色を窺うユウキの表情はどこか不安げだ。目が合い、ユウキはバツが悪そうに眉根を下げた。

「悪い夢でも見たの?」

そっとそのままレオンの向かい側に腰を下ろすユウキの口調は先ほどよりも優しかった。
レオンの目を真っ直ぐ見つめ、寄り添うようなそんな彼女の姿勢にレオンは戸惑った。

「今だけ」

「え?」レオンはぼそりと零れた彼女の言葉を上手く理解することが出来ず、聞き返した。
彼女は一度、瞳を伏せてそれからレオンを見つめた。

「今だけ。…任務遂行とか過去のこととか縛られない私でいる」

その眼は不安げにレオンを見上げていた。心配するものとは違った――戸惑うような。

「そうやって分けないと…そうじゃないと…わたし…」

苦しそうに吐き出された続きの言葉にレオンは堪らず彼女を抱き締めた。
拒絶はない。外から聞こえる雨音と震える息遣い。聞こえるのはそれだけ。それだけであの夜を思い出しそうになる。腕の中の彼女は特にそうだろう。
レオンはトラウマを忘れたいがために、彼女のトラウマも埋まるに違いないと自惚れていたがために、大切にしたかったユウキを壊した。
それが彼女のトラウマとなってしまった。もう過去には戻れない。やり直すこともできない。

「大丈夫」

レオンは苦しみを飲み込むような彼女の囁きに顔を僅かに上げた。
彼女の匂いはこんなにも温かかっただろうか。後頭部を撫でられ、薄れていく悪夢に安堵した。

「怖い夢は現実にならない」

彼女は強くあろうとしている。
今だけだと彼女は言った。今だけレオンの存在を認めてくれる。
純粋に嬉しかった。時間は止まってくれない。だったら今しかない。レオンは彼女の背中に腕を回してしっかりと抱き締めなおした。
そしてそのまま床へと押し倒した。真っ直ぐ哀しげに見つめ返してくる瞳に胸を抉られる。違う、俺はこんなことなんてしたくない。
また傷つけるのか、こんなことで癒せるのか。彼女も自分自身も。こんなことなんて望んでいない。
レオンはそのまま彼女を再び抱き締めた。

「すまない…」

「…あれから6時間経過してます」

彼女を腕に抱いたまま、上体を起こすとユウキはそっとそう言った。
素っ気なさがないことにホッとしながらレオンは口を開いた。

「ユウキ、俺は…」

「レオン」

名前を呼ばれたことに驚き、動きを止める。

「もう、おしまいです」

静かに音もなくユウキは立ち上がり、寂しそうにレオンを見下ろした。
お互い無言で見つめ合った。雨の音が遠のく。先に視線を外したのはユウキだった。
そのまま背を向け、レオンから離れていく。

*

「はぁ……」

暗い一室の中浮かび上がるしかめっ面の男の顔。彼は正面のPC画面を睨むように見つめていた。
時間を気にするように画面の下に表示された時刻と自分の腕時計を見比べる。
あれから6時間だ。6時間も定時連絡がない。何かあったとしか考えられないこの状況。
エージェントケネディのオペレーターにも問い合わせたがあちらにも連絡が一切来ないらしい。
今まで何人かのエージェントが殉職した。それをまた味わうのか…。サクラギは椅子の背もたれに背中を預け、息をついた。
睡眠なんてしてられなかった。とにかく情報収集に徹するが一切侵入者を許さない村だ。収集できる情報はたかが知れている。

ピピピ。

きた。サクラギは姿勢を伸ばし、素早く応答した。

「はい、サクラギ」

画面に映った彼女の顔は酷かった。血の気があまりない。

「大丈夫か、ユウキ」

思わずそう声を掛ける。画面の中の彼女は微笑み、一つ頷いた。

『連絡遅れてごめんなさい』

「本当だ、心配したんだぞ」

『通信機が少し調子悪くて』

「そんなことはいいよ。無事でよかった」

すると彼女は真面目な顔をして違う箇所を気にするように視線を外し、どこかを心配げに見つめた。

「他にも問題?」

ユウキは耳元のインカムをかけ直し、頷いた。

『レオンが気を失って』

サクラギは顔を一瞬顰めた。すぐに取り繕い、口を開く。

「…それは心配だな」

『とにかく今は何ともないみたいだから任務を続行します』

「ああ、気を付けて」

『はい』

そこで通信が切れた。ふう…、と安堵にため息を吐き出す。
ヘッドセットを首元へとずらし、背もたれに寄りかかり、目を閉じた。
レオン。彼女は彼のことをそう呼んだ。
今まで、頑なに、目を背けて、トラウマから逃げるように彼のことをミスターケネディと読んだり、エージェントケネディと呼んでいたのに。
何かあったのか。いや、何かあっても関係ない。これから先もユウキと共に任務を遂行するのには変わりない。自分は仕事をこなすだけだ。

*

「行こう」

通信を終えたらしいレオンは振り返ってそう言った。
視線を受け止め、ユウキは「はい」と返す。

「これって何でしょう」

ベッドの上に紙切れを発見し、レオンへと渡す。
彼はそれを表情を変えることなく読み、ユウキへと手渡した。手渡された紙へ視線を落とす。

『滝には重要なものが隠されているわ。
それがあれば、アシュリーを教会から救出できるはずよ。
ただし、教会へと戻るルートには、“エルヒガンテ”と呼ばれる何かが用意されているから注意しなさい。
ところで、あなたの身体に起きている異変だけど、残念ながら、もう私の手には負えないわね。』

顔を上げてレオンと目を合わせる。

「エルヒガンテ?」

「また怪物だろう。楽に片付けられればいいんだが」

肩を竦め、レオンは銃を手に小屋のドアへ手をかけた。
ユウキが銃を取り出すのを待ち、彼はドアを開けた。
お互い、敢えて何も言わなかった。レオンに起きている身体の異変のことについて。そしてその手紙を書いた女性についてを。










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