私の名前を呼ばぬ空白

通路に仕掛けられているワイヤー爆弾。それを利用しながら前へと進む。弾薬は節約するに越したことはない。

「ここを降りなきゃダメですか」

通路のすぐ下は沼だ。そこを通らなければ向こう側の通路には行けない。レオンは曖昧な顔で頷いた。

「そのようだな」

視線をもう一度辺りへと遣ったが前へ進むには沼地に入らなくてはならないみたいだ。
嫌な顔が出ていたらしくレオンはクスッと笑い、「お姫様抱っこしようか、プリンセス」と茶化してきた。
結構です、とすぐに返し、ユウキはレオンの後に続いた。
沼地を抜けると湖にぶち当たった。小さな船が浮かんでいた。レオンとアイコンタクトを交わし、姿勢を低くして双眼鏡を目に当てた。

「あの船、見えるか」

「ええ、村人2人を確認しました」

船の上の2人が立ち上がり、何か――警察官の遺体だ。それを湖に投げ入れていた。
船は去り、湖に浮かぶ警察官の遺体。横を見遣れば、レオンが悔しそうに顔を歪めていた。
それから目を逸らし、再びスコープを覗き込む。水面が揺れる。目を凝らしてそれを観察した。突然、水飛沫が上がり、警察官の体を飲み込んだ。

「今のは…」

「化け物」

レオンは短くそう言い、引き返した。先ほど潜った扉とは違う道を進むと小屋が2つあった。
先ほど村人が使ったボートが浮かんでいる。

「ユウキ」

「……?」

ボートに乗り込み、レオンはこちらを振り返った。

「……操縦できるか」

「もちろん、できます」

訓練したのだから。差し出された手を無視してユウキはボートに乗り込んだ。
エンジンをかけるユウキへレオンは再び振り返る。

「あの化け物が出てくるかもしれない」

「そんなのわかってます」

「協力関係が大事だ」

彼が言いたいことが読み取れた気がした。

「……」

ユウキは顔を少し逸らして無言で拳を突き出した。

「任務遂行のためです」

「ああ…わかってる」

突き出した拳にコツリ、と当てられた彼の拳。

「全部終わったら」

顔を上げて彼を見上げる。
レオンは一度口を閉ざし、ほんの少しだけ眉根を下げ、笑った。

「……俺はこれまで通り、君の前に現れない」

「…っ…行きます、前を向いて」

じくり。確かに痛んだ胸の奥。この痛みの正体は何だろう。
自分は彼とはもう関わりたくない、傷つきたくないんじゃないのか。
しばらく航海していると水面が大きく震えた。

「ユウキ、捕まれ」

指示された通りにボートにしがみつくと大きな魚のような、サンショウウオのような、巨大な化け物が大きな口を開けて現れた。
あの大きな口に飲みこまれたら…。血の気が引いていくのを感じた。ボートが浮いた。浮遊感に振り落とされないようにしがみつく。
水面に戻ったかと思うとボートは勢いよく水上を滑った。どうやら碇が化け物の体の一部に引っかかってしまったらしい。

「君はぶつからないように操縦しててくれ!」

「はい!」

レオンは銛を握り、機会を窺った。水面に浮かぶ木にぶつからないようにユウキは上手くコントロールする。
怪物はレオンが片づけてくれる。そう信じながら運転に集中する。突然、船に勢いがなくなり、怪物が視界から消えた。
息を呑む間もなく、怪物が浮上し、大きな口を開けてこちらへとやってきた。飲みこむつもりだ。

「援護頼む!」

レオンのその一声にハッとし、ユウキはホルスターからハンドガンを引き抜き、銃口を向けた。この距離であの大きさなら狙わなくても当たる。
これでもかというくらいに銃弾を浴びせるが果たしてヤツに効いているのかどうか。口内に無数に蠢く触手のようなものが見えた。レオンはそれに向かって銛を投げた。
赤い血を飛び散らせ、ヤツは水中へと再び潜りこんだ。再び船が勢いよく進み出す。コントロールは簡単だ。
何とか攻撃面で彼を援護したい。新しいマガジンを差し込み、ユウキは片手で銃を構えた。
肩にかかる負担を考えるとやめておきたいところだが状況が状況だ。揺れる照準を無理やり合わせて一発目。

「っつ……」

やはり反動で神経が痛む。改造して反動作用を抑えてもらったがそれでも全くなくなったわけではない。
気を取り直すように唇を噛み締め、何発か怪物の背中に向かって撃った。再び潜りこむ化け物。静かになる辺りの水面を鋭く2人は警戒した。
銃を下ろして両手で構え直し、見回す。ぐらり、とボートが大きく揺れ、再び飛沫を上げて進み出した。
ベルトにハンドガンを差し込み、大木や岩にぶつからないように操縦に徹する。
ユウキは短く息を吐き出し、再び大きな口を開けて突進してくる化け物へ銃口を向けた。

*

静けさが訪れた。揺れる水面の下、沈んでいく大きな怪物を見下ろし、ユウキは次に彼へと視線を遣った。
目が合い、お互い息をついた。腰を下ろし、ユウキは心臓の辺りに手を添えた。
呼吸が乱れ、呼吸する度に気管の辺りが痛み、血の匂いが鼻腔を満たす。

「濡れてる」

ユウキは彼へ視線を再び遣り、「貴方だって」と言った。
お互い今の戦闘でぐっしょりと濡れた。動いたばかりのせいか寒さはない。
ユウキは濡れているこの状態を気にせず、ボートのエンジンをかけ始めた。
するりと両腕が腰の辺りに回る。背中に感じる人肌と呼吸にあの夜を思い出す。きつく目を閉じて震える息を吐き出した。

「すまなかった」

耳に届いた謝罪の言葉に手を止めて目を開ける。
怒りが心を占め、ユウキは憎しみに堪えるように顔を歪めた。悔しさに涙で目が潤む。

「今さら…」

「聞いてくれ…お願いだ」

「嫌だ…、何も聞きたくないっ…離して…」

冷静さを保とうと声を押し殺してそう言った。エンジン音が響いた。
離れていく温もりに体の緊張が解かれた。瞬きで頬に涙が伝う。それを乱暴に拭い、ユウキは操縦して沖に寄せた。
無言でボートから降り、数歩歩いたところでユウキは背後から聞こえてきた咳に眉を顰めて振り返った。
レオンが地に膝をつき、咳き込んでいた。駆け寄り、「レオン!」と名前を呼んだ。彼に肩を貸し、ふと彼の大きな手を見ると血が付着している。

「吐血…!?」

小屋に辿り着き、彼の状態を見るために両頬に手を添え、上げさせた。酷い顔色だ。
しかし彼は苦しそうにほんの少し微笑んだ。

「やっと名前呼んでくれたな…」

「いまはそんなこと…!」

彼の手が弱々しくユウキの顔に触れようとする。ぐったりとレオンは動かなくなった。










×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -