天使になれたら楽でしょうに
「あ」
ユウキは何かに気づいたように小さく声を上げた。
振り返れば彼女はレオンへ視線を遣ることもなく、「屋根の上にそれらしきものが」と言った。
彼女が示す方へと視線を移せば本当だ。屋根の上に赤い箱が見えた。あそこに入っているのだろう。
先にレオンが梯子を上った。続いて上がってきた彼女へ手を差し出すが彼女はそれを無視して自力で屋根の上へと上がった。
行く当てもない片手をおろし、レオンはハンドガンを構えた。屋根の上には村人はいない。それを確認し、レオンは宝箱へと近づく彼女の後に続いた。
「開けます」
頷けば彼女はそれを音もなく慎重に開けた。
「見つけました」
ユウキは箱に入っていた紋章を取り出した。
試しに繋ぎ合わせてみればピッタリと当てはまる。
「ここから抜けるぞ」
「はい」
ユウキは素早く銃口を上げて引き金を引いた。
背後で何かが倒れる音がし、見遣れば村人が倒れていた。気配に気づけなかったとは。
内心、苦々しい思いでいっぱいだったが顔色を変えずに「ありがとう」と言った。
気配に気づけなかったということは集中していない証拠。しかも集中できていない原因をレオンは自身でもよくわかっていた。
彼女はレオンを見ることもなく、「急ぎましょう」と素っ気なく言った。ああ…。変わってしまったな。いや、俺が変えたのか。
昔はまだよかった。殺意を滲ませながらも哀しみに暮れ、何もかもから逃げていた。そう。時に逃げることも大切だ。
「飛び降りる」
「はい」
「俺がまた君を」
「いちいち言われなくても分かってます。さあ、早く」
レオンは地面へと軽やかに着地し、上を見上げた。見下ろしてくる冷めた瞳。
あの真っ直ぐだった瞳はこんなにも冷たくなれるものなのだろうか。
頷けば、彼女は屈み、飛び降りた。落下してくる彼女を腕を広げて受け止める。
ユウキは一度で慣れたのかもう先ほどのようにレオンの首にしがみついてこなかった。ほんの少し残念に思った。
すぐに足を地面へと付けてやれば彼女は短くお礼の言葉を口にした。小屋を出て先ほど通った鉄製の扉の前へとやってきた。
六角形の窪みに先ほど入手した紋章を二つ埋め込めばガチャ、と鈍い開錠音が聞こえる。
「先へ進む」
「はい」
扉を開いて先へと進むと少し大きな家が見えてきた。村人とは違う造りのドアを開け、慎重に前進する。
そこには何もない。人の住処とはいえない倉庫のような場所だった。その先にまた頑丈そうな扉が一つ。
そこを開けると村人が襲ってきた。すぐに狙いをつけて倒す。すぐ隣からも銃声が聞こえた。何体か倒すとレオンはユウキへと視線を遣った。
表情こそ変わらないものの、どこか顔色が悪いように見えた。
「大丈夫か」
「問題ありません」
コンクリートの壁に沿いながら進むと窓があった。そこへと飛び込むとすぐ傍で爆発音がした。
爆風が前髪を掬い上げる。ユウキが窓枠を飛び越えるのを確認し、伏せさせた。また起こる爆発。
ユウキとレオンは隠れながら村人たちを確実に仕留めていく。
大方、倒し終え、足元にトラバサミが設置されていることに気づく。
「足元に気を付けろ」
「はい」
念のため、ナイフを使ってトラップを使い物にならないように処置をしておいた。
ドアを開けると足元が濡れた。雨水か何かが溜まっている。貯水タンクから漏れているらしい。
先へ先へと黙って進む。軽い会話でも出来ればいいが彼女は自分と会話する気などないだろう。
梯子を上ると外へ出た。カラスと目が合い、レオンはスッと逸らした。
木と木の間にワイヤー爆弾が仕掛けてあるのを確認し、レオンはそれを撃った。爆音と共に砂煙が舞う。トラバサミの処理も忘れずにしておく。
その先にある家の入り口へと入り込み、ただでは開けられそうもない頑丈な変わった造りのドアに辿りついた。
「どう開けるんだ」
「少しやらせてください」
「ああ、頼んだ」
ユウキはドアの前に立つとじっくりと観察した。ドアの中心部には水晶玉が埋め込まれている。
ユウキはそれに触れた。紋章を正しい位置へと動かすとカタンと音がし、ドアがスライドした。
室内にはタンスとベッド、それから肖像画がかかっていた。ベッドの上にはメモが置いてあった。
【村長のメモ】
サドラー様の命令により、合衆国のエージェントは生かしたまま監禁しておいたが、その真意は計りかねる。
少なくともルイスとは離れた場所に、監禁すべきだと思うだが…
ルイスが初対面の人間を信用するとも思えないが、もし2人が手を結んだとしたら、少々面倒な事態になるやもしれん。
第3の組織が動いているとすれば、この隙を見逃すはずはない。
だがサドラー様はわざとこうした隙を見せる事で、裏に隠れた何かを、表に出そうとしているのかもしれない。
万に一つ、件の組織がすでに内部にもぐり込んでいるのであれば、これまでの我々の計画が水泡と帰すばかりか、計画自体が乗っ取られる恐れがある。
今、あえて危険を冒す事でそれをあぶり出し、陰謀を未然に防ぐおつもりとも考えられる。
どちらにせよ我々には、サドラー様を信じるより他に道はないが…
「これ」
振り返ると彼女は何かの鍵を手にしていた。紋章の鍵は何かを開錠するときに使えそうだ。
「預かっててくれ」
「了解」
この部屋に用はないだろう。レオンはゆっくりと別のドアを開けた。
話し声が聞こえる。ユウキも後ろで何かを察したのか足音を消してレオンの後に続いた。
背後で突然、殺気がした。振り返るとそこには先ほどの大男が立っていた。ユウキは廊下の壁に突き飛ばされ、レオンは首元を掴まれた。
懸命に、もがくがビクともしない。呼吸が真面にできず、意識が飛びそうになる。だが大男は予想に反してレオンを解放した。
空気が突然、気管を通して肺を満たし、レオンは咳き込んだ。
「同じ血が混じったようだ。だがお前は所詮、よそ者。覚えておけ。目障りになるようなことがあれば容赦はしない…」
「同じ血?」
重々しい足音で去って行った。
ふらふらとレオンは立ち上がろうとして何かに支えられた。軽く咳き込みながらユウキは肩を貸してくれる。
レオンは彼女に甘えて肩を借りて立ち上がった。
彼女も怪我はしていないようだ。壁にぶつかり、しばらく身動きが取れなかったのだろう。
「アイツは貴方を同じ血だと言った…何か身に覚えは……?」
頭に浮かんだのは紫のフードを被った男。だがあれは夢だ。奇妙な夢。
レオンは呼吸を整えながら首を横に振った。
「いや…ない」
「そう、ですか…」
ユウキは思案するように黙り込み、瞳を伏せた。
「ユウキ、君は……」
ピピピ。電子音にレオンは口を噤んだ。
「どうぞ出てください。私も報告があるので」
そう言うと彼女はインカムを耳に装着し直し、背を向けた。
『レオン、こちらの調べで分かったことがあるわ』
英語と違う発音が聞こえた。どこの国の語学だろう。
ユウキは相変わらず背を向けたままだった。
「…報告してくれ」
『そこの地方に古くからある宗教団体が絡んでいるらしいわ。ロス・イルミナドスと呼ばれているわ』
「ロス・イルミナドス?」
ユウキの方からもそれらしき言葉が聞こえてきた。
「ロス・イルミナドス?噛みそうな名前だな…。それよりハニガン。ここの村長と接触した」
『で、無事なの?』
「ああ、しかしあの男…なぜ俺を殺さずに逃した?それに“同じ血が混じった”とか…訳のわからんことも言っていたな」
『“同じ血が混じった”…ちょっと気になるわね』
「だが今はそんな事を考えている場合でもないだろう」
『そうね。とにかく今はユウキと共に教会へ急いで』
通信が切れ、レオンはユウキの方を向いた。彼女は熱心に話しているらしく通信の終わったレオンに気づかない。
振り返った彼女は目を伏せてほんの少し微笑み、「リョウカイ」と不思議な発音をした。
俺以外の人とは楽しそうに会話するんだな。レオンは湧き起こる感情を理解してそれをそっと殺した。
「行こう」
「はい」
やはり素っ気なく返す彼女に理不尽だと分かっていても苛立ちを隠せない。
不快に顔を微かに歪めれば彼女は首を傾げてこちらを見上げた。
「どうしました?」
「いや…何でも」
「あの」
立ち止まる彼女につられて立ち止まって振り返れば彼女は真っ直ぐこちらを見上げてきた。そこにあの冷たさはない。
純粋に自分を心配する目だった。レオンは戸惑った。
「…なんだ」
ユウキは躊躇うような様子を見せ、それから「失礼します」と言って一歩踏み出した。
彼女の腕が伸ばされ、指先がレオンの額に触れる。冷たい手だ。しかし心地よい手だった。
レオンの背に合わせて彼女は背伸びをしていた。
「熱は…ないですね。ひょっとして今ので気分が優れませんか」
額から手が離れ、頬に滑る。離れそうな手を思わずレオンは掴んでいた。
驚いたように見上げてくる彼女に拒絶の色はない。
「ユウキ…」
途端、彼女は泣きそうに顔を歪め、俯いた。髪が顔を隠し、表情がわからない。
「すまない…」
どうしていいか分からず、レオンは彼女の腕を解放した。
「行こう」
「はい」
彼女が背後でしっかり返事したことを確認し、レオンは歩みを進めた。
レオンの中の炎はすっかり治まっていた。