幸せだから僕らは不幸になるという事実を忘却しながら生きる
「本当にいいんですか?」
緩やかに車を停止させてユウキはクスッと笑った。
「うん、今日は休暇だもん」
「でも俺、ユウキさんの大事な休暇を」
ピアーズ、と名前を呼んで一度黙らせた。
全くもう何度目だろう。12歳の少年はこんなにも気を遣って遠慮するものだっただろうか。
フロントミラーを微調節し、チラリと後方を確認する。あ、後ろの車カップルだ。
青信号になったのを確認し、アクセルを踏む。緩やかに発進する車。
「もういいの。楽しむことだけ考えて」
「でも…」
「そうじゃないと私が報われない」
「お金とか全部、ユウキさんが負担」
「あーわかった。ピアーズが大人になったらご飯奢って」
チラッとまた後ろを確認すればカップルは口づけを交わしていた。
それから目を逸らし、傍らにある缶コーヒーに手を伸ばす。ピアーズが気を利かせてとってくれた。
「ん、ありがとう」
傾けて一口飲む。
「ご飯でいいんですか?」
「…うん。美味しいステーキ奢ってよ」
「はい、わかりました」
まるでそれが使命のように頷くピアーズに思わず笑ってしまった。
不思議そうにこちらへと注がれる視線。真面目だなー。
ユウキは前方へ顔を向けたまま、ピアーズの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「good boy」
「わ、ちょ…俺子どもじゃないです」
約束は甘んじて受け止めてくれなければ。
2人で遊園地へ行くと約束してそれを自分は守るだけだ。
ユウキは膝元の地図を確認し、ハンドルを握りなおした。
*
「ユウキさん、ユウキさん」
手を引っ張られ、ユウキは口元を緩ませた。
良かった。ピアーズの明るい笑顔を見ながら、そう思う。
子どもらしい一面を見てこちらまで子どもに戻ってしまいそうだ。
色とりどりの風船。楽しげな響きの悲鳴。子どもたちの笑い声。よかった、ここは平和だ。
突然、ピアーズは立ち止まった。アトラクション乗り場の前で立ち止まる彼を見下ろし、それに視線を移す。ああ、成る程。
好奇心と恐怖とが入り混じってピアーズは行くことに躊躇っているようだった。
「ジェットコースター…」
ぼそり、とピアーズは呟き、恐る恐るといった様子でアトラクションを終えて降りてきた人たちの様子を窺っている。
「怖いの?」
悪戯っぽく聞けば、ピアーズは「全然怖くないです」と勇ましくもユウキの手首を掴み、列に加わった。
並んでいる間に乗る上での注意事項がアナウンスで流れ、ピアーズを余計に怖がらせていた。
自分もこんな感じだった気がする。クリスとクレアの手を繋ぎ、怖くて怖くて堪らなかった。
クリスは悪戯心からユウキをからかい、怖がらせた。そして最終的には泣かされた。
泣き始めるとクリスは慌てたように、どうしようどうしようと困り果て、クレアに怒られてしょんぼりしていたような気がする。
「ユウキさん?」
「ん?」
「何で笑ってるの?」
「ううん、楽しくて思わず笑っちゃっただけ」
そうこうしている間に順番は巡ってきて、何と先頭車両まで案内された。
確か先頭と最後の車両が一番怖かった気がする。乗り込むと安全バーが下げられた。
隣にいるピアーズを見遣れば、彼はなぜか呆気に取られている。
「ユウキさん」
震え声で話しかけられ、「どうした?」と楽しむように声を弾ませて聞く。
お、発車した。車両はレールの音と重なって大きな音を立たせながらゆっくりと発進し始めた。ガタガタ、と登り始める。
「こんなバーで本当に俺は落ちませんか?」
なにを言うかと思えば。ユウキは声を上げて笑った。
隣から恨めしそうに見る視線を感じ、すぐに笑いを引っ込める。
そして隣のピアーズの小さな手を握った。
「大丈夫、落ちないよ。落ちたとしても私がしっかり離さないから」
いよいよ、落下だ。
一瞬の浮遊感と共に体に僅かなGがかかる。
強く手を握られ、恐怖に耐えるピアーズを横目にユウキは思い切り叫んだ。