青年アリス
ユウキはふと視線を感じて視線を上げた。
向かい側に座るピアーズと目が合う。続いて彼の目の前のノートへ視線を遣る。
あまり進んでいない。ユウキは溜息をついて本に栞を挟んでテーブルの上に置いた。
「ピアーズくん」
「あ、ごめん」
舌を出して戯ける彼に「全くもう…」と笑う。
「少し休憩する?」
「ホントにいい?」
目を輝かせる彼に向かって「少しだけだよ」と言えば彼はノートを閉じてリビングから勢いよく飛び出して行った。
行き先がどこか分かっているユウキは苦笑を零し、彼の後を追うようにゆっくりと立ち上がり慣れた足取りでリビングを出る。
成人男性3人分の横幅の薄暗い廊下を歩いた。裏口から外へ出ると彼の祖母の趣味らしいよく手入れされたガーデンが広がる。
さて。彼はどこに隠れたのだろう。庭を見渡し大きなりんごの木を見つめ、笑った。
彼はあそこを上り、生い茂る葉っぱで身を隠しているつもりらしい。
芝生を歩き、見上げれば案の定ピアーズはそこにいた。ユウキを見下ろし、やんちゃ顔で笑っている。
「危ないから降りなよ」
「ユウキさんもそんなこと言うの?」
「当たり前。だって本当に危ないもの」
「俺は落ちないもんね」
「そんなこと言っていると本当に落ちるよ」
風で揺れ、音を立てる葉。枝に実っているりんごは青く、まだ食べごろじゃない。
調子に乗ったピアーズはどんどん上へ上へと登っていく。
「ピアーズくん、やめなさい」
「嫌だよ、俺は大きくなったら軍隊に入ってこんなヘボい高さのじゃなくてもっと高い崖を登るんだ」
子どもの好奇心は怖い。
危なっかしく思わず心配になってユウキはピアーズのすぐ真下に立った。
軽く両手を広げながら説得に掛かる。
「両親が心配するでしょ」
「いいよ、どうせ落ちない」
「りんごだって木から落ちるんだよ!」
「…意味わからないよ」
我ながら確かに意味がわからない説得法である。
「ニュートンだよ」
「重力がどうかしたの」
「木からりんごが落ちて彼は万有引力を」
「だから僕も落ちるって言いたいんですか」
「うん、だから降りてきて」
ピアーズは苦く笑い、するすると木から降りてきた。
ストン、と飛び降りて地面へ着地したピアーズを構わず抱き締める。
「ちょ、ユウキさん…!?」
「無茶しないで」
真剣な声音にピアーズは体の力を抜いた。
普通だったらたかが木登りくらいで、と呆れていたかもしれない。
しかしそれが出来なかった。彼女が時折、醸し出す壊れそうな雰囲気。子どもながらそれを感じる。
柔軟剤の清潔感のある温かい香り。ユウキの背中に腕を回し、撫でた。
「俺は大丈夫、大丈夫ですから」