十年越しの I love you 〜 White Day 編 〜



*Valentine Day 編の続きです









明け方、稜線のように並び立つ遠くのビル群が、朝焼けに染まる。撮影を終えて自宅マンションに戻った俺は、ベランダに出て白み始めた空を眺めていた。次第に姿を現す太陽は、散々人工のライトを浴びて疲労した体にはキツかった。

然して睡眠を必要としない俺でも、さすがに目が痛ぇ。先月公開の新作映画がヒットし、有難くも一週目で記録的動員数となり、制作会社も関係企業も歓喜した。目下現在、御礼イベントと称して、いくつかの映画館でサプライズ登壇がスケジュールの合間合間に捻じ込まれ、まさに寝る間も惜しむ日々を送っている状態だ。


「浮かれやがって」

過密スケジュールを無理矢理調整し、本来なら数時間前には帰宅できるはずだった今日も、ついさっきまで事務所で打ち合わせをしていた。調子に乗った事務所によって、危うく昼からスケジュールを押さえられるところだった。だがこの日だけは何があっても譲らないと、それを条件のスケジュール繰りだったわけだから、社長からの指示に渋るマネージャーも黙らざる得ない。

冗談じゃねぇ。いくらタフな俺でも、休息は必要だと息を吐き、ミネラルウォーターを一気に流し込めば、疲弊した体に清涼が広がっていく。


人心地ついた俺はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動して口元を緩めた。目当てのアイコンには、三件のメッセージがあることが知らされている。日付を跨ぐ前から気付いていたが、開いてしまえば浮かれて仕事が疎かになりそうで、ぐっと堪えてきた。


「ハッ」

何が「浮かれやがって」だと、自分の吐いた言葉に呆れ、鼻で笑う。一カ月前に再会した想い人からのメッセージに、気持ち悪ぃくらいだらしなく緩んだ面をするのはどこの誰だと、頭の片隅に追いやられた理性が声をあげていた。
あの日の出来事を思い出す度に、むず痒さと胸の中の熱がごちゃ混ぜになる。一体俺はどうしちまったんだというくらい、鼓動が早くなる。

ずっとお前が好きだった──。
十年、お前だけを想っていた──。

ドラマでも映画でも、こんな純愛染みた台詞を言ったことがねぇし、言いたくもねぇ。だが、本気で惚れた女の前では恥も外聞もなく、長い間大切にし、素直に伝えたかった言葉は、躊躇うことなく当たり前のように息とともに流れ出た。

シェリアが見せた顔は、今も鮮明に覚えている。タコみてぇに真っ赤な顔をして、目玉は零れ落ちそうなくらいに見開いてやがった。何度もパクパクとする口はさながら魚。これまで撮影現場で見て来た告白シーンにもない、他人が見れば笑いが込み上げてくる面だったに違いない。だが。


「クソ可愛いのが変わってねぇじゃねぇかよ、あのバカが」

グシャ。つい力の入った手が、ミネラルウォーターのペットボトルを握りつぶし、まだ半分以上あった中身が噴き出す。服が濡れ、濃い染みを作った跡を茫然と見下ろして、あまりの無様さに一人茫然とした。
これも全てシェリアのせいだ。
今頃はまだ布団の中で、間抜け面をして眠っているはずのシェリアに、責任を擦り付ける。会ったら落とし前をつけてもらわねぇと気が済まねぇ。無論、殴るとか物騒なものではなく、だ。


「あっという間じゃねぇか。こんなに惚れ込んじまって」

濡れた手を拭くタオルを取りに部屋に戻り、スマートフォンはローテーブルに、凹んだペットボトルはシンクに置いた。服も濡れちまったから変えるか。いや、ついでだ。このままシャワーを浴びるか。時間を確認すれば、まだシェリアが起きたとも考えにくい。ならば一度落ち着き。メッセージを確認しても問題ねぇだろう。


「どうせ後で会うんだ。慌てる必要はねぇ」

あれから俺たちは一度も会っていない。電話もなかなか出来ず、メッセージのやりとりも長く続けることが難しい。それでも合間合間で連絡を取り合い、やっとのことで一カ月振りにシェリアに会うことができる。


鼻歌でも飛び出そうなくらい、自分でも機嫌が良いのがわかる。シャワーですっきりしたのもあって、気だるかった体も軽くなった気がした。
さて、シェリアからのメッセージを確認しようじゃねぇか。洗いざらしの髪をタオルで拭きつつ、俺は新たにミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出し、ソファに座ってメッセージアプリを開いた。

一件目。
「仕事お疲れ様。今、アッカーマン君が出ているCM見たよ。素敵だった!」

二件目。
「明日だけど、本当に無理しないでね。アッカーマン君の都合で平気だよ」

三件目。
「明日に備えて、早寝します! おやすみなさい」

味気ないほど短いメッセージだが、これが忙しい俺を考えてのことを思えば、寧ろ嬉しくなる。反面不安もある。仕事が仕事だ。時間も満足にとってやれねぇし、公に連れて歩いてもやれねぇ。連絡すらまともにとれない時もあるはず。
寂しい思いをさせるに違いねぇ。
いや、待て。思い出せ。俺たちはあの日、どんな関係になった?


「……。付き合っているのか?」

俺の想いは伝えた。それに対しての、シェリアの返事はどうだった?


「オイオイオイオイ、こりゃあ一体どういうことだ。俺としたことが」

どこかで二人の間にズレがあるような気がしていた。それがやっと理解できたが、間抜けすぎて最悪だ。

「関係をはっきりさせてねぇ。バカか俺は」

スマートフォンをソファに投げ出し、深く背もたれに沈んで天井を振り仰ぐ。丁度いい。今日アイツに会って、はっきりさせればいいことだと、グっと拳を握って決意した。

そう。俺たちはまだ、恋人と呼び合える仲ではなかった。


* * *


クローゼットの中から引きずり出した服が、ベッドに積み重なっていた。その山は現在進行形で、嵩を増している。


「やだもう! 時間経つの早くない!? まだ髪もアイロンかけてない!」

昨日のうちに服もそれに合わせた靴も、滅多につけないアクセサリーだって準備を済ませておいた。朝も休みなのに早く起きて、夜に入浴したにもかかわらず、懲りずに熱いシャワーを浴びた。時間に余裕をもたせてあったはずが、本当にこの服でいいのかと気になり出してしまって、そうなると全て合わせ直さなくちゃいけなくて、結局出かけるギリギリになってしまった。


「アッカーマン君に会うのに、これでおかしくないかな」

先月偶然に再会した、中学時代の同級生。私の初恋の人。とてもとても好きで、好きすぎて距離の取り方がわからなくなり、友達としての付き合いすらも難しくなってしまった。一方的にチョコレートに想いを詰め込んで渡してしまったまま、宙ぶらりんになった十五歳だった私の気持ちを、十年ずっとアッカーマン君が大事にしていてくれた。

「好きだ」と伝えられた、十年越しの返事。驚きすぎて私は大きすぎる心臓の音に潰されそうになってしまった。まるでスクリーンの中のヒロインになったみたい。アッカーマン君の瞳はとても真剣で嘘などついていないのに、どうしても現実味を帯びてこない。


「彼が私を? 本当かな」

人気俳優の彼はとても忙しい。あの日も話をしたのなんて一時間あるかないか。人目のつかない公園の片隅で他愛もない話をし、急ぎ連絡先を交換してその日は別れた。想いを秘めたままアッカーマン君を応援し続けているだけで良かったのに、まさか再会をし、十年前の返事までくれるなんて誰が予想しただろうか。しかも同じく好きでいてくれたなんて、夢のようなハッピーエンド。

どうにか約束の時間前に支度も終わり、後はアッカーマン君からの連絡を待つのみ。昨日は遅くまで仕事だと言っていた。だから短いメッセージだけ残し、遠足前の子どもみたいに浮き立つ心を、どうにか落ち着かせて眠りについた。きっと朝起きれば、彼からメッセージが入っているはずと、確証もない自信で布団を被った。

目覚めた私が、まず最初にしたこと。それはメッセージアプリを起動し、アッカーマン君から連絡が入っているかを確認すること。

一件目。
「起きたか、寝坊助」

二件目。
「今日は予定通り、そっちに向かう」

布団に包まりながら、ぶっきらぼうさと少し意地悪が混ざったメッセージに顔が緩む。十年前と変わらない。でも、この中に私への好意が含まれているのかと思うと、幸せでどうにかなってしまいそうだった。

ブー、ブー。
テーブルに放置したスマートフォンが震えた。きっとアッカーマン君だ。私は見えているわけでもないのに自分の姿を確認し、手にしたスマートフォンのディスプレイをタップした。


電話はどうしても外せない仕事ができて、今日は会えそうにない、という内容だった。


「悪い。俺から誘っておいて」

「仕方ないよ。それがアッカーマン君のお仕事だから、さ」

「埋め合わせは絶対にする。だから」

「気にしないで! お仕事頑張ってね!」


彼を困らせてはいけない。でも嘘つきって言ってやりたい。まだ話している途だけど、最後まで聞くことに堪えられなくて、気を利かせている振りをして、一方的に通話を終わらせた。
ベッドに体を投げ出すと、ポフンとスプリングがバウンドして、脱力した私が跳ねた。起きる気もない。せっかくお洒落をしたのに台無しになってしまう。
どんなに明るく振舞ったところで、あんな切り方をすれば、アッカーマン君は私の落ち込みに勘付いてしまうのに。なんて最低な恋人なのか。


「いや、待って」

私たち、付き合ってた? アッカーマン君と私って、恋人同士になったんだっけ?


「もう……どうにもなってないじゃない」

ベッドにうつ伏せになったまま、結局は変わらず宙ぶらりんなままの、寧ろ今の方が厄介な現状に、両脚をバタバタさせる。
告白は十年前、私から。返事は先月十年越しに。で、私たちの関係はどうなるのかなんて全然口にしないまま、あの日の再会は終わったのだった。



何もやる気がないまま、ゴロゴロとベッドで一日を過ごしてしまった。今日は天気が良くて、青空が綺麗だった。窓から見える近所の桜も咲いていて、春らしい一日。夕暮れ時の空も真っ赤で、こんな日に好きな人と散歩できれば幸せなんだろうなと、今は月夜を寝そべったまま見ていた。


「着替えよ」

のそりと起きて立ち上がると、姿見の鏡に酷い出で立ちの私が映る。出かける姿のままだったから、スカートが皺になっている。何回も寝返りをしたから、整えた髪もボサボサだ。


「顔にタオルの跡までついてるし」

テンションの落ちた顔も声も可愛げがない。浮かれていた時は鏡の中の自分が可愛らしく見えていたのに。恋は人を変えるなんて言うけど、良くも悪くもであることを、自ら学んでしまった。今頃アッカーマン君は、私のことなど忘れて仕事を頑張っているのだろう、なんて可愛げのないことを考えてしまうのも、恋の成せる技なのか。

部屋着に着替え、メイク落としシートで、念入りに施した鎧を落とす。鏡の前に現れたのは平凡な女の姿。これじゃあ、魔法が解けてしまったシンデレラじゃないか。


「シンデレラは王子様が迎えに来るのに」

ポツリと呟くと鼻の奥がツンとしてきて、目頭が熱くなった。おとぎ話のお姫様たちとは違う。私の王子様は遠い存在の人で、住む世界が違うんだということを、痛いほど思い知らされた。
その時、着信音が鳴り響いた。恐る恐る名前を見れば、「リヴァイ・アッカーマン」と表示されていて、心は迷っているのに、指が勝手にディスプレイをタップした。


「……もしもし」

「俺だ。今日は悪かったな」

「私こそ、変な切り方して、ごめん」

「まったくだ。……いや、誘っておいて穴を空けたのは俺だ。シェリアは悪くねぇ。なあ、何してた?」


外からかけているのかな。エンジンみたいな音が近くでしている。そういえばバイクに乗っているって言ってたっけ。体が資本の仕事だから、事故を起こしてはいけないとなかなか乗れないって、不満そうに話していたのを思い出す。


「何もしてなかったよ」

「そうか。だからって、部屋のカーテンを閉めねぇってのはいただけねぇな。少しは危機感持ちやがれ」

「え?」


確かにカーテンは開けっぱなしだ。でもどうして。


「窓から顔を出せ」

まさか。ドキっと心臓が跳ね、私は慌てて窓を開けて外を見下ろした。見下ろした先には、バイクに跨ったアッカーマン君がこちらを見上げていて、顔を出した私に軽く手を挙げてくれた。


「ちょっ! 何してっ!」

身を乗り出しながら大きな声を出すと、彼は再会した時と同じように、唇の前に人差し指を当てて、静かにしろと合図をしてくる。


「降りて来れるか?」

「い、今行く! あ……でも。私すっぴんだし」


しかも部屋着で可愛くない恰好にもじもじしていると、視線の先では苦笑するアッカーマン君の顔が見え、スピーカーからは揶揄うような声が聞こえてきた。


「昔はすっぴんだったろうが」

「あれは中学生だったから」

「シェリアに会いたくてすっ飛んできたんだ。四の五の言わずに、早く降りて来い」

「……っ! 私も会いたかった!」


ぐっと胸の奥が苦しくなった。本当は言いたかった気持ちも台詞も押し殺したままにしておこうと思っていたけど、事もなさげにあっさり口にされて悔しい。いいや、嬉しい気持ちが勝って、私は上着を羽織るのも忘れて部屋を飛び出した。


「風邪ひくだろうが。上着くらい羽織ってこい!」

「だって、いきなり来るから」

「これでもかけてろ」

「それじゃあ、アッカーマン君が」

「お前が風邪ひいても、看病してやれねぇ。心配させんなよ」


それはこちらだって同じなのに。私以上に体に気を付けなくちゃいけないのに、着ていたジャケットを肩にかけられ、彼の温もりと匂いに包まれて自然と微笑んでしまった。


「伝えたいことと、確認したいことがある」

真剣な顔に浮かべていた笑みを引っ込めて、コクンと頷く。何だろう。もしかしてもう会うのはやめようとか言われるのだろうか。あり得ることだ。私がリヴァイ・アッカーマンを独占していいはずがないんだから。


「何情けねぇ面してやがる。お前、もう会わねぇとか、くだらねぇこと想像しただろう」

「ち、違うの?」


きっと私は間抜けな顔をしているのだろう。アッカーマン君はガシガシと頭を掻き、大きく溜息を吐いて言葉を続けた。


「違ぇ……。まずは謝らなければならねぇことがある」

そう言って手渡されたのは一枚の紙。週刊誌をコピーしたように見えたけど、そこに書かれている見出しに驚いてしまった。


「来週発売予定の雑誌のゲラだ。先月の俺たちの様子がすっぱ抜かれている」

「これ! こんなのダメじゃない! アッカーマン君の名前に傷がついちゃうよ!」


とんでもないことに、私たちが親し気に並んで話をしている姿が、ばっちりと収められていた。一言で言うならばスキャンダルだ。「恋人」の存在が彼の足を引っ張るというのに何てこと。


「こいつを出さないようにすることもできるんだが、俺はこのままでもいいと思っている。……シェリア、お前さえよければの話だが」

「へ?」

「俺たちは両想いでいいんだよな?」

「う、うん?」

「そこは自信持って頷くところだろうが」

「だって」


反論しようとしたけど、引き寄せられて私の体はアッカーマン君に抱きしめられてしまった。見た目はすごく細いのに、閉じ込められた腕の中が逞しすぎて、ああやっぱり男の人なんだなぁと追いつかない思考の代わりに、くだらないことを考えてしまっていた。


「確認したかったのは、俺たちの関係だ。お前は俺の恋人ってことでいいんだよな?」

「そうだと嬉しい、よ」


何せ今日一日占めていた思考がそれだったのだ。願わくば少し顔を離して目線だけ上に向ければ、ホッとした顔のアッカーマン君がいた。


「朝早くゲラの連絡があってな。事務所の社長に、お前とのことを話しに行ってたんだ。コソコソしたくなかったんだよ、お前との関係を。勿論隠したいってんならそうするが、多分すぐバレる。ならはっきりさせた状態でお前を守りたい」


会えなかった理由は、私のことをちゃんと考えてくれていたから。もし今回載ることがなくても、一度マークされるとしつこく狙われるらしく、私を守るためにどうしたらいいか思案した結果の答え。私がふてくされていた間にも、彼は行動してくれていたことに申し訳なくなった。同時に大切にされていることを感じて、涙が込み上げてくる。


「アッカーマ…… 「 待て 」 ……」

お礼と想いを伝えたくて名前を呼ぼうとしたら、渋面で遮られてしまった。おもしろくない、とでも言いたげな、そんな顔に「どうしたの?」と首を傾げる。


「リヴァイ、でいいだろうが」

「そそそ、それはさ! 追々ということで」


十年染みついた呼び方を改めろと言われても、恥かしいやら畏れ多いやらで、私はブンブンと首を横に振ったのだけど、どうにも彼は許してくれなさそうだ。


「ほら、呼んでみろ。ここまでバイクを飛ばしてきた俺への褒美と思えば、な? 出来るだろう?」

なんてズルイ顔をするのか。レザーの手袋に包まれた指で頬を撫で、目を細められては降参しかないじゃない。


「リ、リヴァイ、君」

「君、もとれよ。……まあ、今日はそれでいいか」

「善処します」


アッカーマン、もといリヴァイ君は、不敵な笑みを浮かべて、さながらラスボスのような顔をしていた。そんなのもカッコイイなあなんて思っていると、サラリと私の額にかかる前髪を掻き分け、気付いた時にはリヴァイ君の唇が触れていた。
所謂デコチューをされてしまった訳なのだが、これが見せられたゲラと差し替えられ、世間を騒がせてしまったのは、もしかすると彼の計算だったのかもしれない。


「おかしな虫がつく前に、一緒に住むぞ」

「気が早すぎるから! もう……知らない!」


十年分のホワイトデーのお返しは、私だけが知るリヴァイ・アッカーマン。彼はとても愛が深く、独占欲の強い人でした。




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