(こと)  () を胸に



* お題
  →台詞「もうどこ行くな」
  →シチュエーション「夏の雨」
* 団長×部下






夏──。

この季節の壁外調査は、ジリジリと焼けつくような太陽が、体力を奪ってゆく。大地を馬で駆け続ける兵士たちの額には、大量の汗が滲んでいた。
汗が滲んでいるのは、額だけではない。深緑のマントに兵服、そしてベルトで固定された体は、じっとりと湿り気を帯びて、気を抜けばトリガーが掌の汗で滑り、誤操作を起こしてしまいそうだった。


「黒の信煙弾確認! 奇行種です!」


木一本生えていない平地。巨人との戦闘を避けて進んでいたが、奇行種だけはそうもいかない。動きを予測できない奴らだけは、その場での討伐を余儀なくされ、手練れの兵士が向かっていく。


「行けるか」

「はい、私が」


エルヴィンの斜め後方に馬をつけていたシェリアが、彼の問いかけに即座に反応し、『着いて来い』と数名の兵士を引き連れて、隊列から離脱した。気候が比較的涼しい時期ならば、経験の少ない兵士でも向かわせる。しかし、この季節、集中力を欠く茹だるような暑さでは、やはり経験の差がものを言う。

彼が命令を下したシェリアは、そんな経験を積み、今や精鋭とまでなった女兵士。エルヴィンが信頼する腹心の部下であった。

建物や木のない平地での戦闘は、立体機動装置の真価を発揮することができず、また、奇行種ともなれば討伐も各段に困難さを極める。新兵の時こそ、訓練通りにいかない現状に、気が狂いそうになったが、壁外調査を一度、もう一度と生き延びる度に、どうすればよいか体か自然に覚えていくもので。


「足を狙え! アキレス腱と膝裏を削ぎ、動きを止めろ!」

「はい!」

「了解です!」


自分は正面から奇行種に突っ込み、ついてきた兵士を左右に分散させて、足を止めさせる。決して一人で戦うわけではない。シェリアは幾度の戦闘の中で、痛いほどそのことを学んできた。

汗で額にへばりついた髪の感触が不快だ。今すぐにでも払いのけたいが、剣を抜いた今、それは叶わない。邪魔にならないようにと、きっちり纏めたつもりだったが、長時間動き続ければ、自然と髪は乱れてくる。
それでも、意識を逸らすことなく、彼女は迫る巨人から視線を逸らさない。
左右から同時に切りかかった兵士が、巨人のアキレス腱を見事に削ぎ、巨体が大地に膝をついた。


「よくやった!」


射出したアンカーが、空を切る巨人の腕を掻い潜り、しっかりと肩へと差し込まれる。噴射するガスと、引き寄せられるワイヤーの勢いを利用し、彼女は一気に巨人の顔横を過ぎ、見事項を視界に捉えることに成功した。

目を見開き、剣を持つ手に力を込める。絶妙のタイミングで再度巨人に迫り、急所となる項に深々と剣を叩きこんで、綺麗に削ぎ落した。


「やった!」


すでに騎乗していた兵士たちが歓声をあげ、その横を走るシェリアの馬は、主を迎えるべく一声嘶く。その姿に口元に笑みを浮かべながら下降し、綺麗に馬の背に着地して見せた。


「相変わらず、見事なものだ」

「彼らあっての討伐です」

「君の手技を見ていると、巨人討伐が容易なものに見えてしまうな」

「それは困りますね。これでも一杯一杯なんですが」


討伐を任せたエルヴィンの労いに、シェリアは眉間に皺を寄せて首を振る。

涼しい顔でとんでもないことを言ってくるものだ。
彼にとって最大の賛辞であることはわかっているが、それでも率いた兵士の恐怖と苦労を思えば、軽々しく言葉にはしてほしくない。益して自分一人で討伐したかのような口ぶりは、彼らの戦果を認めていないようで、どうにも居心地が悪くなる。


「すまないな。そんなつもりじゃなかったんだが。気分を害させてしまったか」

「そういうわけでは……。いえ、そうですね。討伐は補佐があっての戦果ですので、褒めてくださるなら、向かった我々全員にお願いします」


歯に衣着せぬ物言いに、周囲の兵士はひやりとする。
いくら彼女が団長の腹心といえど、堂々と咎める言葉は無礼と映ったのか、顔を顰める兵士もいたが、それに気を留めることなく、彼女は敬礼をして再びに配置に就く。

彼女らしい、とエルヴィンは物言いたげな他の兵士に、『いいんだ』と片手を挙げて制止する。いつものことであるし、自分が彼女を傍に置く所以でもある。


多く語らずとも、シェリアはエルヴィンの意図することを汲み取り、期待以上の働きをしてくれる。行き届かない部下への配慮も、気づけば彼女が行ってくれている。しかも実践ではこの通り腕がたつのだから、腹心として申し分がない。
彼女を分隊長にという声がないわけではないが、エルヴィンは頑なに彼女を手元から離すことをしない。そうとなれば下世話な噂が飛び交うもので、エルヴィンとの恋仲が浮上するわけだが、一切そんな関係もない。


上官と部下。それだけの関係。
エルヴィンにとって、十分すぎる関係であった。




予定していた壁外調査も、もう終盤。巨人との遭遇も少なく、今回は被害もあまり見られないまま、壁内への帰還を迎えようとしたその時だった。


「エルヴィン。一雨きそうだ」


スン、と空気を吸い、いち早く雨の気配を感じたミケが、エルヴィンに雲が覆い始めた遠くの空を指さした。


「このまま進む」

「わかった」


曇天は背後から迫っていた。それを振り切るように、エルヴィンは馬の速度をあげていく。しかし、空を覆う雨雲はあっという間に広がり、辺りを焼くような太陽の光を、瞬く間に飲み込んだ。


「団長。視野が利きません。これでは信煙弾も使えません」

「ここで足止めか。仕方ない、伝令を、」

「黒の信煙弾確認!!」


突如降り始めた雨は、肌に叩きつけるような豪雨となり、巨人の居場所を知らせる信煙弾の効果を奪う。辛うじて確認できたのは、よりによって黒。この天候では相手をしたくない奇行種の出現を意味していた。


「援護に向かいますか?」

「頼めるか?」

「勿論です」


いつものようにシェリアを送り出す。エルヴィンは疑わなかったのだ。変わらず彼女が自分の元に戻ってくると。



一報がもたらされたのは、彼女がエルヴィンの元を離れてすぐ。
出現した奇行種によって、甚大な被害が出たという。嫌な予感が走ったが、彼は努めて冷静を装い、逸る気持ちを抑えながら、その場へと馬を走らせていく。雨に乗って、血の匂いと色が混じり始める。


辺りは突然の豪雨で白み、灼熱の太陽で大地に蓄えられた熱が、ただでさえ呼吸が乱れているというのに、むせ返るほどに立ち昇って、息苦しさが増した。
これまで多くの兵士の命を手放してきた。それがどんなに優秀な者であっても、眉一つ動かすことなく、灯が最後まで燃え尽きるのを見届けることもなく、通り過ぎてきた。

今日もそのはずだった。雨とともに血が染み込む大地を馬で駆け抜けようとした時、シェリアは見つけてくれとばかりに、雨水で綺麗に泥が流された顔を見せ、横たわっていた。


そもそも自分に温かさなどが存在するのかと思っていたが、そうではなかったらしい。打ち付ける雨がそれを奪うのではない。投げ出された彼女の姿が、エルヴィンの温度を奪っていった。


「しっかりしろ!!」

「───、エ――ヴィ――」

「よく、生きていてくれた。本当によく……」

「み、ん───、───すか?」

「喋らなくていい。まずは手当てをしてもらおう」


周囲に生存者はない。少し離れた先に、彼女と共に隊列を離れた兵士が、無残な姿で転がっていた。この状況でよく生きていたものだと、シェリアの運の良さに安堵したが、ヒュー、ヒューと嫌な呼吸音が、叩きつける雨音に混じり、エルヴィンの耳の奥にこびりつく。

それが知りもしない死神の足音のように聞こえ、抱えた命を渡すまいと、きつく抱きしめた。


もうどこにも行くな──。


咄嗟に出てしまった、心の叫び。

発した言葉の意味を、エルヴィン自身どう推し量ったものか。息を吹き返したかのように、傷つきながらも僅かに身じろいだ彼女に、ホッと安堵の息を吐きながら、困惑の色を碧い瞳に落とす。


信頼する部下。危険に身を投じるシェリアを見送る時、どこか心の中にひっかかりを感じていた。これだったのか。心のどこかでいつも行かせたくないと望んでいたことに、今更ながら気づく。


「団長、お願い、があり、ます」


弱々しい声。しかし、強い意志を宿した瞳がエルヴィンに向けられた。
高潔な魂を胸に、心臓を捧げた兵士の顔だ。


「なんだ?」

「そんなこと、仰らないで、下さい」

「そんなこと?」

「はい『もうどこにも行くな』と……」


何かを感じたのだろうか。自分の心を咎めるように、シェリアはエルヴィンが口にした言葉に蓋をする。


「任せたと、私を送り出してください。私はそれだけで、誰よりも高く、羽ばたけます」

「しかし、」

「信じて下さる、なら……どうか、」


自分の心は、エルヴィンの傍から片時も離れたことなどない。何度も剣を手に馬で駆け、空を舞い、巨人に立ち向かう時でさえ、彼が自分の戻る場所と、長い間そこに心だけは置いていた。

人はそれを『恋』呼ぶかもしれない。
しかし、兵士としてエルヴィンについていくと決めた瞬間から、たとえ生還することが叶わずとも、彼の傍にいた証を、形ではない何かで残しておきたかった。きっとエルヴィンは、その心を抱え、進んでくれる。共に戦った同胞として、次の景色を見せてくれるはず。


「あなたは調査兵団団長、です。兵士を送り出さなければなりま、せん。行くなという言葉は、私に兵士を辞めろと言うも同然。私から、どうか……誇りを奪わないでください」

「そうか。……いや、君の言う通りだ。私は君の腕を引くのではなく、背中を押し、見送らねばならないのだな」

「はい。そうです、エルヴィン団長。でも、」


嬉しかった──。

小さな声は傍にいたエルヴィンにだけ届き、いつも厳しい表情のシェリアが目を細め、柔らかく微笑んだ。
そんな顔ができるのかと、エルヴィンは目を見張り、不覚にもその笑みに見惚れてしまった。


「団長! 出発できます!」

「ご苦労。では、各班陣形を整えつつ、壁内に帰還する。負傷者は荷台へ、動ける者は馬上にて待機と伝達してくれ」

「はっ!」


天候も落ち着き、視界も良くなってきた。予定より遅れはしたが、壁内へ帰還するため、エルヴィンは伝令の兵士に指示を飛ばす。そしてもう一度傍らに横たわる彼女に視線を移した時、そこにはエルヴィンの知る、兵士の顔をした腹心がいた。
自分が見た笑みは幻だったのだろうか。そう思うほど、どこにもその名残はない。


「行ってください。私はもう大丈夫です」

「君は荷台で移動しないさい。いいね」

「はい、わかっています。これでは飛ぶどころか、馬にすら乗れないですからね」

「早く怪我を治して、また君には隣で走ってもらわなければ困る。その時はまた、『任せた』よ」

「勿論です、団長。この命が尽きるまで」


曇天からは、また真夏の太陽が顔を覗かせ、濡れた大地を熱していく。
それはエルヴィンという彼女にとっての太陽が、己の命を照らし、熱を与えているかのようであった。



* * * * *



「任せた」

「了解です」


エルヴィンの傍らには、今日も一人の兵士が寄り添い、彼の言葉一つで、勇ましく巨人に立ち向かっていく。
その兵士は知っている。その言葉に隠された彼の本心を。


『もうどこにも行くな』


灼熱の雨の中紡がれた言葉は、もう聞くことはない。
心だけは離れることなく、自由の翼を広げ、兵士は剣を手に空を舞った。




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