Echtzeit | ナノ
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2021 21st Nov.

 


 生まれ故郷は何処だと問われれば、白い島だと梓は答える。
 海岸に出れば空と海が混じり合う青い世界で、人が生きてゆけるのは小さな小さな島の上だけだ。
 幸い島は小さくとも幾つも幾つも点在する。星の数と同じくらいの島のうち、隣近所とは少し距離を置いた島が花井の生まれ育った故郷だった。
 おかしな形をしていて、島を縁取る部分が高くそり立った崖になっており、人は崖を下り盆地になった内側にかたまって住んでいる。
 自然の要塞になっているので守りは良いのだが、高い高い崖のために雨雲が閉じ込められて冬は雪が多く降る。白い島であった。
 この雪が作る島民の性質として皆真面目でよく働く。アズサも多分に漏れず、春に十六の誕生日を迎えてから島の為に働いていた。
 島にはそこに暮らす人々を纏める長がいる。それを補佐する者のうち一人が親であったので、梓も仕事の手伝いをさせてもらっているのだ。
 いずれ親のように補佐を務め、冬は雪に埋もれるこの島でそれなりに穏やかな日々を過ごすのであろう。
 それが予想ではなく希望であった事に気づいたのは、島に冬の気配が漂い始める頃だった。

「なんだあれ」

 島には一つだけ港があった。島を縁取る崖に大昔から空いている穴を島民がどうにか広げて海へ出られるようにしたもので、島の漁師が主に使うほかは交易のために他の島の船が時々来るくらいの小さな港だ。
 そこに、不釣り合いなくらい大きく派手な船がくっついていた。
 地味な色味や素朴なものを好むこの島のものでは決して無い、明るく目を引く橙とはっきりした濃い赤と緑があしらわれている船だ。
 それからやはり橙の衣装を着た人々が桟橋に降りてくる。しばらくすると一つの集団となり、長の館を目指して進み始めた。
 整然と並んだ列は粛々と連なる。先頭の二人が鳴らす鈴がしゃんしゃんと、何者かの来訪を不穏な音で島に告げた。


 梓がこの一団に気づいたのは彼らが館に到着してからだった。館で仕事を教えてもらっていたら俄に騒がしくなり、窓から窺うと橙の列が扉の前についている。
 周囲からは「なんだあれは」と梓と同じ言葉しか出ては来ない。
 他の島の民である事はわかる。あとは、彼らの明るい色使いが南のほうのそれを想起させるくらいか。

「タジマの一族だ」

 数人いた先輩のうち一人がそう呟き、その場の全員が彼を見る。それに続き何人かが不安の色を顔に浮かべて橙の一団を振り向いた。
 タジマの一族。まだ詳しくはないが、確か南に本島がある民たちだと梓は思い出す。
 基本的に島はそれで独自の文化、歴史を持っていて、一つの国なのだ。しかしタジマの一族は大昔から幾つもの島を傘下に収めては吸収している。
 タジマの一族と呼ばれるのは元々の故郷である本島に住まう直系のみの呼称だ。
 つまり、大国の王族が直々にやって来たのだ。理由を考えると、次はこの島を得る為ではないのかと思い至る。

(故郷がなくなる)

 他の国のものになるということは、これまでの島とは違うものになるということだ。
 それは故郷を失うのと同じだ。
 皆揃って同じ不安を抱き窓の外の一団を見つめる。その時、彼らの装いに輪をかけて華美な輿が一つ到着した。
 長い列なので中央に位置していた輿がようやく着いたのらしい。担ぎ手が膝を折り、中にいた重要人物が降りてくるところがちょうど見えるのだが、侍従がこれまた派手な日傘を差したのでその陰になってしまう。

「え」

 しかし、その人物が日傘をひょいと指で退けたので梓は彼と目が合った。
 小柄な少年だ。短く刈った髪と鳶色の大きな目が見る相手に活発な印象を与えるので幼く見えるのかも知れないが、おそらくは梓よりも年下だろう。
 なのにその目に射られどきりとする。子どもに見えても輿に載せられるに足る人物ということか。
 気のせいか、梓と目が合った次の一瞬、少年は笑ったようだった。すぐに前を向いて歩き始めたが、梓には彼が自分を見てにっと笑ったように見えたのだ。

(何だ、あいつ)
 
 彼は何者なのか。それは誰しもが思った事だが梓のそれは少し色が違っていた。
 多くの者が気に掛けたのは彼が何の使命を背負って来訪したのかだ。しかし梓は彼自身が何者なのかを知りたいと思った。
 前者が疑問であるのに対し、梓のそれは興味である。
 この決定的な違いはすぐ後の処遇に表れた。
 あの少年が館に入ってしばらく経ち、何故か梓のみが別室に呼び出されたのだ。
 ただ待機を命ぜられたのみで説明もなく、梓は立ちながら考えるくらいしかすることが無い。
 一体何なのだろう。この状況も、橙の彼らも、彼も。
 考えても答えなど出ないのだが、幸いぐるぐると考えているだけで時間はあっという間に過ぎてくれた。
 突然、扉を叩く音が室内に響く。慌てて応答すると扉が開き、誰かが入室する。

(あ)
 
 侍従が扉を開けたのらしく、入ってきた人物は両手を下ろしたままゆったりと歩く。
 あの少年だ。目の前にすると余計に小さく、子どもじゃないかと思ってしまう。
 彼は立っている梓の前まで真っ直ぐにやって来ると顔を覗き込み、ぐっと距離を縮める。
 梓が何かを思う手間も無い。彼はまたぱっと扉のほうを振り向いて宣った。

「間違いねえ。こいつがオレの夫だ」

 扉の陰には橙色の侍従が居る。彼らは主の言葉に頭を垂れて応えるが、困ったのは梓だ。
 夫って、何の話だ。
 誰が、誰のだって、と言った本人に聞いてやりたいが他国の重要人物らしいので堪えるほか無い。
 梓は黙って少年を見る。彼は気を遣われる事に慣れているらしく梓の事は意にも介さず、まあ掛けろと指示をした。
 背後で扉の閉まる音が、やけに仰々しく聞こえた。

「アズサ・ハナイ」
「はい」

 低い卓を挟み各々長椅子に掛ける。身分がかなり異なる相手と果たして同じ卓についていいものかと頭に疑問が湧いて出たが、掛けろと言われたのでいいのだろう。
 緊張の面持ちで背筋を伸ばす梓の名を少年が口にした。既に名を知っているらしい。誰かに聞いたか、それとも前から知っていたのか、どちらだろうかとふと思った。

「オレに見覚えは?」
「え……と」
「……無い?」
「…………お会いした事は無い、と思いますが」

 覚えがあるかと問われたので記憶をさらってみるが心当たりは無い。誤魔化すのは悪手だろうと正直に梓が答えると、少年は余裕の表情をがらりと崩した。

「えーなんだよ、もー!」
「っ、え、あの、」
「いやいーよ、あそう、オレだけなわけね。あーもうショックだくそー」

 ぷくっと頬を膨らませ、少年は長椅子に倒れ込む。更に座褥(クッション)を抱き抱えて転がる様は年相応というかいかにも子供っぽい振る舞いで、見る者によっては微笑ましいと感じただろうが、梓にそんな余裕があろう筈も無かった。
 頭から足の指の先まで血の気が引く。
 他国の重要人物の機嫌を損ねたのだ。梓の脳裏に浮かんだのは一言、死んだ、というそれだ。
 しかも少年は恨めしげに梓を睨んでいる。もう梓の顔色は紙のそれに近くなっていた。
 そんな梓の前で、いじけていた少年は長椅子の上で勢いよく体を起こす。そして両手で頬を叩いた。

「しょーがねえ、気持ち切り替えてこ。……そんじゃ話続けさしてもらうけど、まず自己紹介な」

 梓に向き直った少年にはもう不機嫌の色は無い。丸い二つの鳶色は真っ直ぐに梓を見る。

「オレの名前は悠一郎。ここからずっと南にあるタジマの一族で、お母さんが今は島主やってる。兄弟は五人でオレは一番下だよ」

 悠一郎が話す内容は少し前に聞いた話とほぼ同じだ。
 南の大国タジマ。その本島の主を彼の母親が務めているというなら悠一郎は末の王子だ。
 あの一団の輿に載せられる理由がわかったが、梓の緊張はより重いものになる。
 大国の王子が目の前で話している。辺境の島の新米役人でしかない梓とは身分の違いに眩暈がしてくる上に、何故そんな人物が自分を呼びつけたのかますますわからなくなる。
 それでも地頭が悪くない梓は悠一郎の話を理解できていた。
 しかし、次に彼が言った言葉は梓の知らないものだった。

「兄弟の中でオレが唯一の『天我(おめが)』」
(おめが……?)
「そんでお前がオレの『或羽(あるは)』。だから求婚しに来たの。わかった?」

 くりくりした大きな目はそう締め括る。
 困った。理解出来たかという意味なら後半は丸々出来ていないし、だから結婚しようという意味であってもはいそうですねとはいかないだろう、普通。
 大体その『あるは』とか『おめが』とは何の事なのか。梓は今年で十六になったがこれまで聞いた事の無い言葉だ。

「……申し訳ないのですが、その『おめが』というのは初めて聞きました」
「うん、そうだと思う」

 なんだそれ。

「知ってたらすげーなと思って言ってみた。『或羽』と『天我』ってゆーのは、ヒトの区分のひとつなんだよ」

 悠一郎曰く、ヒトを三つの区分に分けると『或羽』『天我』『米多(べいた)』になるのだという。
 ヒトのほとんどは『米多』だ。米は一掬いでも何百の粒があるように、あとの二つと比べると圧倒的な人数なのでその字が当てられていると言われる。
 そして、『或羽』と『天我』は番なのだという。

「オレ『天我』だってさっきゆったろ? そんで、オレは男と女どっちに見える?」
「男性、だと思いました」

 一瞬悠一郎の胸元に目をやった梓である。

「そう、生まれながらの性別は男な。だけどオレは『天我』だから、『或羽』と結婚してする事したら子どもが産めんの」
「は……?」
「それってスゲー事だろ? だから、うちは代々『天我』が継いでんの。あ、そだ、オレは赤ちゃん産めるけど次の島主やんなきゃだから、育児はお前にお願いしなきゃなんだけどさ」
「ちょ、ちょっと待って」
「育児不安? だいじょぶ、周りに手伝ってくれる人はいっぱいいるから」
「ちょっといいですか」
「あ、なんか質問?」
「質問しかないです」

 止めなければ自分のペースで突っ走り続けそうな悠一郎を手で制止する。
 そう、疑問しかない。それに順序をつける事が難しいほどだ。
 しかし梓は口を開いた。

「まず、その『おめが』とか『あるは』の話は本当ですか」
「ほんとだよ。『或羽』も『天我』もまずいないから知らなくてもしょうがないけど」

 知らなくとも仕方が無いと言えるくらいに、世は『米多』しかいない。
 そんな中タジマの一族は代々『天我』が世襲する。出やすい家系なのだと悠一郎は言う。
 また『或羽』も出やすく、その場合は自らの番を求めて島を出るのだ。

「番はなんでか他の島にいるから、うちは舟を扱うのが得意なんだ。代々の『或羽』が周りの島に親戚たくさん作ってくれたおかげで交易もやり易いし、うちの周りはわりと豊かだと思う」

 大国タジマの正体はそれか、と梓は思った。
 近隣の島を併呑しているのではなく、島へ血筋を作ってゆっくりと作り替えてゆくやり方なのだ。
 悠一郎を受け入れたら梓の生まれたこの島もゆっくりと同じ道を辿る。元がどうだったのかもわからなくなるのだ。

「……次の質問ですが、何でオレなんです」
「そんなん知らねーよ、運命なんだろ」
「言い方を変えます。オレが貴方のつがいだと、どうしてわかったんですか」
「…………」

 梓の言葉に悠一郎が初めて言い淀んだ。
 化けの皮を剥いでやろうと思った。梓は悠一郎の話などほとんど信じてはいなかった。

「……ゆ」
「ゆ?」
「夢で、会ったから」

 夢。そう言った悠一郎は首まで赤くなっている。
 それを見た梓はぽかんとしてしまい、その隙に悠一郎がぽつぽつと話し始めた。

「……十五、六になると、『天我』か『或羽』かわかるようになるんだ。オレは先月十六になって『天我』だってわかった。したらその日から夢を見るようになったんだよ」

 悠一郎は何故か梓から目を逸らして話をする。今その両目は部屋に飾られた秋色の花のものだ。
 温かで明るい橙色。悠一郎が率いてやって来た一団の色だ。

「毎晩見るから顔を覚えた。特徴伝えたら探し出してくれて、自分で舵とってここまで来たんだ」
「…………」
「ここ来た時、窓から見てたろ。そん時感じたんだよ、ああ間違いない、オレの『或羽』だ、ここにいたって」

 そう長くはない睫毛が陰を作る先の瞳はどこか夢を見るようだ。
 健康的な色の唇はうっとりと歌い、顔を背けた首筋に梓の目は何故か釘付けになる。
 しかしそれも瞬きの間の事だ。「まあそれはオレだけだったみたいだけど」と言われ、ばつが悪くてお互い明後日のほうを見た。

「そのうちわかってくれたら、それはいいんだけどさ」
「すみませんでした……」
「いいよ。それよりさ、オレもそっち行っていい? あとふつーに喋っていいよ」

 悠一郎がそう言うと気まずい空気が吹き飛んだ。きらきらした目で見つめられ梓は押され気味に首肯する。
 返答を貰うや悠一郎はぱっと笑った。迂回するのも面倒と間に挟んでいた卓を飛び越え、梓の隣へ跳ねるように腰を下ろす。

「えへへ」
「…………っ」

 肩と腕とが擦れ合うくらいくっついて、悠一郎は梓を見る。
 元々身長がだいぶ違うので見上げるかたちだ。大きい目は細うそくなって、睫毛と睫毛の間にきらきらした瞳が見える。そばかすを浮かせた頬は赤く、今が嬉しくって嬉しくって堪らないのだと言外に言っている。
 何がそんなに嬉しいんだ、と思ったが中身が無くて言葉だけだ。梓は知らないが、彼だって耳が赤くなっていた。

(何なんだ、何なんだよ)

 突然現れた少年にお前は自分の夫だと言われた。それが異国の王子で、自分たちは互いの運命なのだと。
 今のところは運命とやらも悠一郎の押し売りだ。梓は知ったことではないし、信じる義理も理由も無い。
 けれど。

(何でこんなに、落ち着かないんだ)

 涼しくなって来たから互いに寄れば体温を感じる。そして上機嫌に笑う隣の彼を見る度に、何だか熱くて堪らないのだ。
 梓が己の中の感情を上手く扱えずにいると、悠一郎がねえと声を掛けた。

「待ってるから、好きになって」
「っいや、その」
「ゆっくりでいいから。オレそれまでここ居るし」
「……え?」
「お前んちにお世話になりまーす! 話はついてっから!」
「え、」

 聞いてねえぞ。思わず本音が口をついて飛び出たが、悠一郎はけらけらと笑っている。
 彼には会った瞬間から振り回されている。それが明日以降も続くのだと言われ、梓は気が遠くなった。

 勘弁してくれ。その呟きは、楽しそうな悠一郎の声に上書きされてしまった。



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