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2021 17th Oct.

オメガバはなたじ


 自分は恵まれていると思う。
 ただ、運が無かっただけで。

「田島ー!」
「どーした水谷」

 一日の授業が終わると部活が始まる。
 悠一郎が部室で着替えをしていると、同じく着替え途中の水谷が声を掛けてきた。
 この水谷というのはいい奴なのだがあまり深く考えずに口に出すタイプで、そういう意味では悠一郎と似ている男でもあったが、やはり決定的に違っていた。

「田島ってさ、やっぱα?」

 それなりに声のしていた部室であったが水谷のその一言で視線がこちらに集まるのがわかる。
 その話か、と悠一郎はうんざりした気分になった。
 その事を口にしない代わり視線を水谷からロッカーの中へ移し、適当と思われる返答をする。

「オレβだよ」
「えっそうなの。なーんだー、じゃあ一緒いっしょ」

 隣で水谷がへらへら笑うので、そうだったらどれだけ良かったろうな、と心の中で悠一郎は本音を言う。
 αとかβとかいうのは人間の区分の事だ。
 生まれてすぐにそれとわかる男か女かというのが第一の性で、これともう一つ、第二の性と呼ばれるものがある。
 これは男女を更にαやβなどの三種に分けるもので、思春期に簡易な検査を受けて判明する。
 基本的には中三の一月頃検査をして三月に結果が送付される。理由として第二の性は思春期を迎えるまでは因子が検出されない為であり、また来たる高校生活で適切にこの情報を活用せよという意味だ。
 三つの性のうち、βは数が最も多く注意すべき点も特に無い。しかし、残り二つはそうでなかった。

「水谷」
「ん?」
「オレがαに見えたわけ」
「えーだって田島っていろいろすげーからさあ、そうかなって。オレまだαって会ったことないし」

 第二の性でβを除いた二つはずっと数が少ない。とはいえ、どちらもクラスに数人程度いる確率だ。
 国はそうと明言していないが一般的なイメージというものがあり、αは基本的に優秀な人間と言われている。
 例えば頭が良いとか体が大きいとか、良さそうなイメージはαのものだ。
 結果的には違ったが、水谷が悠一郎をαではないかと思った事は彼に評価されているという意味だ。
 本来は喜んでいい事なのだろう。けれど悠一郎は曖昧に合わせる事しかできない。
 そこに、第三者が割って入った。悠一郎と水谷はそちらを見る。

「そこ、そろそろ終了。さっさと着替えろ」
「ちょ、なんでよー」
「わかんねえ辺りが米」
「泉、そのイジリいい加減やめて?!」
「泉も。相手が嫌がってる場合はイジリじゃなくてイジメだぞ」
「へーへー」
「花井ぃ

 半裸の水谷が救世主を崇める。
 話題の終了を通告したのは悠一郎たちの野球部で一年生部長を務める花井だ。
 水谷を揶揄ったのは泉で、冷静と生意気が常の彼も花井の言葉には素直に従う。それだけの信頼が花井にはあるのだ。
 泉の茶化し方から水谷はようやく自分が空気を微妙にした事に気づき、Tシャツを被りながら花井に寄って行った。

「あれ、なんかオレ変な事言っちゃった?」
「言った。αとかβの話はあんましねーほうがいいぞ」
「なんで? 気になんない?」

 水谷が首を傾ぐ。お茶目と言えなくもないが、それを受けた花井はため息をついた。

「……センシティブな話題だから、やめとけ」

 せんしてぃぶって何、と水谷の言葉と悠一郎の疑問が被ったところで「敏感とかって意味だけど、慎重に扱ったほうがいいものってこと」と補足してくれた。

「βのほうが数はずっと多いけど、αもΩも学年で見りゃけっこういるんだよ。……Ωが大変なのはお前も知ってんだろ」
「あー、まあ」
「話題にして欲しくねえ奴がそれなりにいるって事だよ。だから、その話をしねーほうがいいってのはここに限った事じゃねえわけ」

 わかったか、と説明を終えて花井が言う。そばで聞いていた泉もそういう事だと水谷に釘を刺した。
 花井の言葉を借りると、この話題をセンシティブにしているのは最後のひとつであるΩだ。
 Ωというのは運の無い奴だと悠一郎は思っている。そのわけは、他のαとβには無い特性のせいだ。
 まずひとつ、Ωには発情期が来る。
 訪れる周期や期間は個人差があるものの、発情期に入るとまず人前には出られない。欲の熱に苛まれて通常の生活が困難になるので、Ωとわかったら以後の人生は抑制剤を常に服用する事になる。
 抑制剤で誤魔化せるのは運の良いほうで、中には抑制剤が効かず、発情期の間は学校も仕事もやむなく休まなければならない人もいるという。
 それも不幸ではあるが、次の特性に比べたらずっとましだ。
 αやΩを第二の性と呼ぶ所以は、Ωであれば男性でも妊娠と出産が可能になるからだ。
 仮に発情期をうまく抑えられなかった場合、この状態のΩからは特殊なフェロモンが出ていて特定の相手を惹きつけるため、性被害に繋がってしまう。
 生きていく上での障害が、Ωには多すぎる。
 女性であればこういった問題は考える機会もあるだろう。だが男として生まれ育ったあとにそんなことを言われても、ただただ戸惑いしかない。
 悠一郎も初めは嘘ではないかと疑った。高校入学前の春休み、悠一郎宛に届いた本当の検査結果はΩだった。
 世界が全部嘘のような気がしたが、同封の手引書を見ているうちに受け入れて、今も鞄の中にはケースに収まった抑制剤と避妊薬が入っている。
 運が無かったのだ。
 愛してくれる家族がいて、特に不自由が無い生活ができて、自分は恵まれていると思う。
 ただ、少し運が無かった。それだけだった。
 幸いにも抑制剤の効く体のようで、今のところ発情期を迎えた様子も無く生活できている。Ωは自殺率も高いようだがそこまで悲観する出来事は悠一郎にはなく、そういう意味ではまだ運が良かった。
 まあ、この先はわかんないけど。少しだけ諦めの色を瞳に滲ませて、悠一郎はロッカーの扉を閉める。
 その時、まだ着替えていた水谷が言った。

「てかさ、そんなにΩとかαとかイヤなの?」
「……話聞いてたか?」
「米ェ、花井が引いてんぞ」
「違うって、話聞いてたよ! そりゃさ、Ωの人は大変かもしんないけどさ。オレはちょっといいなって思うよ?!」
「はぁ?」

 話題が話題であることと、単に水谷が騒いだのでその場にいた全員が視線を送る。
 悠一郎も水谷を見た。他が羨むような特性がΩにあったろうか。少なくとも自分は今も一つも見つけられていない。

「『番』だよ!」
「はあ」
「運命の人なんだろ?! めっちゃいいじゃん! βにそんなんないし! 言っちゃえば誰でもいいんだし!」
「まあ言っちゃえばなあ」
「泉……」
「だからさ、一生この人だけ、って相手が世界に一人だけいるなんてさ、すごくね? 運命的じゃん、いいなあって思うよオレは」

 締まりのない顔で水谷が笑う。その表情から本気で言っている事は皆にわかった。
 そんな事考えてもみなかった、と悠一郎は茫然とした。
 αとΩは必ず同程度存在する。そのわけはαにはΩの、Ωにはαの、「番」になるべき世界にたった一人の運命の相手がいるからだ。
 Ωが発情期を迎えるとβではなくαだけがそのフェロモンを感じ取る事ができるのはその証拠だろう。
 また、自分の番はわかるのだという。それは番の数だけ違うのだろうが、出会った時や、そうでなくともふとした瞬間わかるのだという。
 運命的で、すてき。そんな発想今まで悠一郎には無かった。番を探すのは砂漠でダイヤモンドを見つけるようなものだから、初めからないものだと思っていたのだ。
 運が無いから割り振られた役だと思っていたが、少しだけ夢が見られるのかもしれない。
 すごいな、と悠一郎は水谷を見た。ちょっとお調子者でいじられてしまう彼ではあるが、諦めていた悠一郎の心を少しではあるが簡単に変えられたのだからすごいやつだ。
 花井も泉も面食らっている。そんな彼らを見て水谷は小さく声を上げた。

「あっ」
「どうした米」
「オレわかっちゃっ……あ、何でもないです」
「何だよ気持ちわりーな、言えよ」
「え、いいの?」
「いいのって何が、」
「花井、αでしょ」
「は?」
「ちょ、」

 さて、それからは蜂の巣を突いたような騒ぎだった。
 水谷はほら当たりでしょと喜び、泉は言うなっつったろーがと水谷を叱り、花井はちょっと待てと違う違うを繰り返すだけで全く誤魔化せず、周りはそれを見て初めてのαにえっそうなのすげーと騒ぎ立てる。
 違ったのは、阿部と悠一郎だけだ。
 阿部は他人に興味がないので三橋を伴いさっさと部室を出て行き、悠一郎はその場に立ち尽くした。
 違う違うと繰り返していた花井がぴたりと止まる。何かに気づいたように振り向くと、そこには悠一郎がいた。

「……っ、」
「え、」

 鳶色の大きな目が潤んでいる。上気したように頬が紅潮し、短い髪から覗く耳も、唇も赤く染まっている。
 何かに気づいたような悠一郎の目。
 それを見て、花井も気づいてしまった。

「……あれ、オレまたなんかやばいことした?」
「今回はいいんじゃねえか、ナイスライス」

 運が無いと諦めていた。
 こんなものに生まれついてしまったばっかりにと思っていたが、さあどうだ。
 おかげで世界にたった一人の運命の相手が見つかった。
 まるでお伽話みたいな、これは本当の番の話。



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