これは明らかに不法侵入。
相手も犯罪を侵しているからおあいこだというべきなのか。全てはこの会社のせいだった。私の友人が書いた借用書がいつのまにか転売された挙げ句の果てに、雪だるま式に増えた借金が、払い切れずに、彼は死んだ。とても無惨で悲しい最後で、誰に看取られる事無くだ。無防備に机に置かれた借用書に何の疑問も抱かなかった私は、茶色ばんだ紙に手を伸ばす。こんな紙ぺらひとつで彼は死んでしまったのかと思うと、悔しくてならない。



「いい度胸だお嬢さん、けど少ーし遅かったな。」



耳元で囁くような優しい声、黒いスーツに赤いシャツを着たいかにも、というような人相で、私と視線を合わせるとくすり、隠すつもりもない明らかな嘲笑が浮かんでいる。しばらくすると廊下から、扉の影から、社員というにもまた物騒な人間が姿を現した。



「‥俺は一般人に付け狙われる程有名なのか?吾代よぉ」



「まーそれなりに、下手したら殺されたりして」



「ばっか、誰がだ」



興味が削がれたのか、安っぽいライターでくわえた煙草に炎を灯した。深く深呼吸して、一息、私の方に煙が立ち込めたせいで思わず咳き込んでしまう。わざと顔をしかめて、持っていたハンカチを顔に寄せると満足そうにまた口端を歪めた。



「目的は大好きな男の借用書ーってな」



「男じゃない、友達」



「ま、それよりお嬢さん?ここがどこだか知らねえ、とは言わせねぇよ」



無情にも、一瞬でも手に入れた借用書は目の前の男の手のひらからスーツの内ポケットに収められてしまう。こうしながらも何度となく、逃げようと機会を窺っているけれど男は隙間すら与えてくれる筈もなくて、大人しく誘導、もとい脅迫されながら趣味の悪いソファーに座った。



「‥この間パチンコで勝った袋ん中にジュース‥、あったあった。飲め」



「っ、わ」



投げられた缶ジュースを受け止めて、ラベルを見る。暫くは手を付けないでいたものの、威圧感に飲まれてプルタブを引っ張った。酸味のきいた香りが僅かに、恐る恐る飲んでみると常温の割には冷たくて、からからに乾いていた喉には丁度いい。



「緊張もほぐれた所でまあ、早速話なんだけどな」




「ひ‥」



「何も取って食ったりはしねえさ、もう四年、五年上なら話は別だが」



「‥‥」



「社長のも冗談には取り難いっすよ」



「半分冗談だ、吾代」



「残り本気かよ、」



「‥見た所学生だな、学生証見せてみろ」



何故学生だってわかったのだろうか、疑問を持ちながらも逆らえる筈もなく、パスケースに入った学生証を取り出して差し出した。遠慮もなく手から離れていくカードは男が一通り眺めてから、コピーを取られ返された。



「あの男まだ借金残ってんだよ。関係者が見つかった以上お前が払うんだ」



「え‥」



「お兄さんは優しいから、一緒に返済方法考えてやるよ。少ーし違法にはなるが、」



「!そんな」



「馬鹿な男とお友達になった自分を恨むんだな、ああ、取って食うのは俺じゃなく他の糞共って話なだけだ」



「‥‥っ‥!」



逃げないと。何なら陵辱を受ける位なら殺されてもいい。握っていた缶がぺしゃり、と潰れる。俯いて、けれど答えは出ない。今だったら逃げれるような気がしたけれど、よく考えてみれば学生証を見られているんだ、逃げようとしてもこの街にいる限りは駄目だ、次第に目尻に涙がたまってきたせいで視界がじんわりとぼやける。



「‥」



「何なら俺が買って抱いてやろうか?そしたらお前の身一つでチャラだ」



「やだ‥わたし働くから!だから‥‥!」



久しぶりに大きな声を出したせいか、心拍数が上がっていくのを感じた。ここで押しに負けたら確実にわたしの人生はおしまいに等しい。負けずと、男の目をじっと見つめた。すると、だ、私の頭に誰かの手がふんわりと被さる。首を無理矢理傾げられて押し付けられたその先は、金髪ピアスの吾代、と呼ばれていた人の所。



「あっ」



「社長、そろそろ勘弁してやってくれよ」



「ん?非道すぎたか」



「あんたの責めはキツいんだよいちいち、あー泣くな」



「私、売られた、く、な」



「金はもう保険金からごっそり貰った。オメーが社長に暇潰しされただけだ、だから今までの話は」



全部嘘だ。と、ティッシュを無理矢理顔に抑えられてごしごし力強くこすられる。驚きのあまり涙なんてのは止まってしまったけれど、



「悪かったなあ。お嬢さん



「‥そんな」



「コピーも棄てたから安心していい、努力は認めるがもう二度とするな」






























それから先のことは語るまでもなく、高校を無事卒業した私は、行く宛もなくさ迷って、何故かあの時お世話になった早乙女金融に就職。










『お前あの時の』





『‥、最近の不景気は怖ぇなあ、そうだ。最近1人会計が抜けて困ってんだ』





『ここで金を稼げ、正式に雇ってやるよ』








嚊嚊




「初めてあった時からもう五年かあ」



「そんな事もあったか」



「‥もう色々忘れちゃった」



「でもお前、二年前にここに来た時俺の事は覚えてたじゃねえか、」



「あれだけ卑猥な事並べられたら流石にね、頼るのも嫌だったけどどこも雇ってくれないんだもん」



事務所で二人、あのときのソファーにあのときのポジションで、座りながら、同じ飲み物を飲んだ。ただし机に並べられているのは書類ではなくマグネット式のオセロ。



「‥まさか本当に抱かれるとは思ってなかったけどね」



「俺もまさか抱くとは思わなかった」



「あ゛」



「ハイ俺の勝ち」



真っ黒になった盤面。そういえばこのマグネット式オセロを買ってまだ一回も社長に勝った事がない。




「‥また負けたぁああ!!」




ビールの缶の下にあった掛け金が取られていく。さようなら私の一万円。今月の生活費がひらひらと社長の財布に収められた。



「今月半分も残ってるのに、こうなったら恋人と住む」



「何妄想してんだ。早乙女社長と一緒に住めば生活費アップで家賃半額、言うこと無し」

「給料上げて」



「無理」



「私も社長と住むのは無理」



社長と恋人同士になった訳ではなかった。ただもう、面倒なだけで、過剰なコミュニケーションを取ることが億劫で、私と社長はそんな微妙な位置にいる。それで終いだ。



「俺もそう思う」



「じゃあ駄目じゃない」



「恋人じゃないと同棲出来ないって誰が決めた」



「一般的に!」




私たちはグレーゾーンだ、白に染まることも出来ず、黒になりきる事も出来ず、私たちはなんて愚かなことをしているのだろうか、お互いがお互いに歩み寄ろうとする気もないのに体のみが近いばかりだ。




「社長」



「給料は上げねえよ」



「‥これからも、頑張っていこうねえ」



「‥‥‥」



「変な顔しないでくれる」



「よし、これからもじゃんじゃん働けよ」



「社長もね」



アイラブ困ったちゃん


なのにどうしてだろう。
日々が充実して仕方ない。

20100213