奴がチャイムを鳴らすと、直ぐに門が開いた。今日に限って鍵を忘れてしまったと言っていた。玄関の扉を開けてもらい、一応遠慮という概念を持ち合わせた私は暫く様子を見ていると、奴はこちらを見るなり手招きした。水を吸って重たい靴に違和感を覚えながら、家に入ると、目の前には信じられない人物がいた。


「ただいまー。久に、」
「な‥!松永‥!」


おもわず叫んでしまった。なぜここに松永がいるのか。‥ああ、そうか、表札の松永とは、松永久秀のことだったのか!


「なに?」
「なにかな、青年」


そして被った返事が聞こえる。そうだここには松永が二人居る。松永久秀と奴。私は果たしてどちらを呼んだのだろう、多分松永久秀の方だとは思うが。

「‥何故うちの学校の教頭が」
「わたしの兄だもん。」


ああやはりそうか。



「服貸してあげて」
「‥いいだろう。卿は早く風呂に行きたまえ。体が冷え切っている」
「はーい」
「肩まで浸かって十数えるのも忘れない様に」
「子供じゃないんだから。あ‥久兄色々してあげてね」
「ああ、わかった」



無情にも閉まる扉。
重苦しい静寂が部屋に訪れた。奴が緩和材になっていたのに、そのせいか教頭の射抜くような視線が確実に私を向いている。


「卿は私の妹の“何”だね」
「どうも何も、只の友人に過ぎない」
「ふむ、‥まあいい。今タオルと着替えを用意しよう。此方にきたまえ」


言われるがままにリビングに導かれ、椅子に座る。濡れた靴下は脱ぎ、ビニール袋に入れた。暫くすると手にタオルと、幾つかの新品のシャツと、ズボン、それから靴下を持って私に手渡す。――あの教頭が、ここまで生徒に善行を施しているさまを今までに見たことがあっただろうか。


「――何を見返りにしようとしている」
「見返り‥?」
「とぼけるな。貴様が利益無しにこんなことを」

「‥私の可愛い妹が、してやれと言った。其れだけでは不満かね」
「随分と妹想いだな」
「ああ、年がふた周り以上も離れている所為か、‥色々と我儘を聞いてやりたくなる。」
「‥」
「見返りが無ければ不満ならば、私の妹に害虫が付かぬ様、見張りでも頼もうか」


そう言うと、教頭はポケットの中から幾つかの写真を取り出して私に手渡した。一枚目はあの家康、二枚目は伊達、三枚目は――刑部だ。


「刑部は、――他の奴とは違う!」
「いいや――私は、本来ならば妹を男の目に晒すことすら好まぬ故。‥出来るものなら家に縛り付けておきたいものだとも、思っていてね‥」
「‥‥」

「ハハハ‥まあ、冗談だ‥」



* * *



どうしてうちの周りに常識人おらんの?(節子風に)

いや冗談じゃねえよマジの目だったって今!
だって石田くんどん引きだよ?どん引きキャンペーンもびっくりするくらいのどん引きぶりだったよ?!
つーかあの人何してくれちゃってんの。

――風呂から上がって、いざリビングに入ろうとした時、久兄と石田くんの会話が聞こえてきたので盗み聞きをした折り、まあまあ物騒な言葉の数々が聞こえてきて私は入るタイミングをすっかり見失っていた。そろそろいいだろうか、いやしかし何て言って入ったら!でもこれ以上入らなかったら不自然だしどうし‥


「自分の家の癖にいつまでリビングに入らない積もりだ」

‥‥あ。


「脱衣場を借りる」
「あっ!う、うん!どうぞ」


何食わぬ顔で脱衣場の方へ向かっていく石田くんに、これまた何食わぬ顔の久兄。なんだ、驚き損だった。まさか私の空耳か?妄想だったのだろうか?


「きちんと温まったかね」
「うん。あっ、ありがとう。石田くんに服貸してくれて」
「妹の頼みとあらば、無碍にはできないものだ」


そう言いながら、私の髪に触れると、まだ湿っていたらしい。肩に掛けていたタオルを取られると、優しい手つきで髪をタオルドライまでしてくれた。


「‥卿は本当に可愛いなあ」
「‥あ‥え、ええと」
「‥‥妹でなければ‥今頃‥」




おい。待てよ。

今不吉な言葉だったよね。気のせいじゃないよね?
あっ丁度石田くん帰ってきたし聞いてみよう‥‥。


「ねえ石田くん!いま

「家康も棄てがたいが‥やはり貴様が一番の害虫だ松永久秀ええええ!!!!!」

‥‥‥‥‥わお」


凄い勢いで竹刀を振り上げた石田くんと、相変わらずのスタンスでいとも容易く竹刀を扇子一本で受けとめる久兄。
‥‥ああこのふたりはまともに会わせちゃいけなかったのかもしれない。

20120721