知りたいようで、否、知りたくないのである。私が他人をどう思っているのか、どう思われているのかだなんて、詮無き事で。ただ彼には嫌われたくなくて、そう、今日も私は塗り重ねていくのだ。そこからわずかに覗く日増しに目立つひび割れを、見ないように。



狭い窓からヘッドライトの光だけがこの部屋を照らしているおかげで、物の位置が何となく把握できた。


「シャワーしないの?」


自分がシャワーから上がってみれば、間接照明すらも完全に消し疲れ切った國春はソファーで寝転んで長い足は収まりきらずにぶらぶらと宙を泳がせている。

いつも、そうなのだ。
仕事から帰ってきた彼はこのソファーで泥のように眠ることが多く、あの広いベットで二人揃って寝たのは数えるほど。あんなに悩んで決めたものがこんなにも等閑に扱われるのには、何となく納得のいかないものだった。まだ湿気った髪をタオルで撫でつけながら彼の側に寄り、床に座った。こんなに間近で顔を見るのはいつぶりだろう。目の下縁取るようにしてできた立派なくまが多忙さを物語り痛々しい。あんなに普段気丈な彼が家ではまるでぼろ雑巾のようだった。



「ね、風邪引くよ」



できるだけ優しい声で彼を揺さぶる。
けれど、ううん、と呻き声をあげるだけでまたすぐに眠りこけてしまう。



私と彼がまだ関係を持っておらず、そして彼も私と関わりたがらなかったあの頃、私には彼が、まるでサイボーグかなにか無機質なものに見えて、そして弱点がないように思う。しかしそれは甘い戯れ言にしか過ぎない。

彼はいつだか人は消耗品だと言った。わたしたちのように、上司に使われる立場の人間は使われて使われていつか必ず捨てられるのだと。些か悟ったように。ならわたしも國春に捨てられてはしまうのだろうか?使われて、利用され、ごみのように。



「ねえ」
「わたしね、今すごく、やなこと考えた」



静かな寝息のみが部屋に唯一聞こえる音らしいもので、それがよけいにわたしを虚しくさせる。
目を瞬くと、久しぶりに泣きたくなった。國春が泣く女はいやだともらして、それからずっと泣き虫なわたしはこらえてきたのだ。今こんなときに限って、それが溢れそうになる。いや、今だからこそ決壊した。わたしは滴る雫を袖で拭い唇を噛み締める。立ち上がり、ソファーの手すりに手をかけたとき。



「いきなり泣いて、言いたい事も言わずにはいさよならってのは、お前の愛情表現がなにかか?」

「‥ううん」



「違ェだろう」



後ろ頭に力なく回された手がいつにない真摯なようなものに思える。うまく、答えることができない。ぐっと引き寄せられ彼の腹あたりに顔を押し付けられた。



「わっ、國、春」

「言いたいことは素直に言やァいいんだ」



面倒女だと言われるのは、嫌だったのに。
彼は疲れているだろう、私に構うひまがあれば五分でも、十分でも眠りたいだろうに。現に今、話しながらも瞳は閉じかけていた。
――そう、彼は、いつだって手ひどく自分に関わる人を扱ったことはない。必ず、悪態もつきながらも、捨てたり切ったりなんてしたことがなかった。どうしてこんなことに気づかなかったのだろう。


「一緒に、寝てもいい?」
「あァ、来い」


「お邪魔します」




限りなく狭いソファーで、私を、抱きしめる。





とても窮屈だった。
けれど、なぜだろう。
私がいま、世界一幸せな女だと思えたのだ。




20110604

九万打企画
はくさまに捧げます