「今日誕生日なんですって?アポロ」
普段の如く、上司の足先の爪のネイルを落としてやっていた時のことだ。彼女は誰かから聞いたのか、それより珍しく他人に興味を示したことに驚きつつもはい、と小さく返事をしてまた作業に戻る。どうして今年に限ってそんなことを言うのだろうか、目線を少しだけ上げると不満そうな、むくれた顔をして此方を見ていた。
「知らなかった。‥あ、今日は紫にしようかな」
「‥私は先輩の誕生日、知っていますよ」
そう言うと意外そうに驚嘆の声を上げた。が、私にしてみれば当たり前のことなのだ。
私はこの日を楽しみにしていた。勿論子供じみて、贈り物や祝いの言葉が貰えるからでは無い。私がひとつ、彼女と離れた歳月を縮めることが出来る唯一の日だからだ。しかし彼女の誕生日は、また離されてしまうことを憎く思って、祝う気持ちが無いわけではないのだがどうしても素直に喜べない。無論、それを面に出すような真似はしないけれども。
「何か欲しいもの無いの?今から買ってきてあげる」
「結構です、それに何か欲しいが為に誕生日がある訳では無いんですから」
「‥日頃世話掛けて、偶にはお礼したいじゃない」
その言葉に思わずぐらつく。が、直ぐに現実に引き戻された。片膝をついて彼女の足を乗せていたせいで、乗せていた左の太ももを何度か軽く蹴られたからだ。何か言えとの現れなのだろう、けれどこれに関しては本当に、自分の欲しいものは手に入らない。漸く不満も晴れたのか、蹴るのも止め、また大人しく足を置く。
「‥‥そこまで仰るなら、」
「何!」
「私に色を選ばせて下さい」
「‥爪の?」
「はい」
「意味無いじゃない」
「‥駄目ですか?」
「アポロがそんなんでいいなら、私はいいよ」
釈然とせず、最後まで余り納得してはいなかったようだが、彼女の自前の箱から瓶を取り出した。
顔に熱が集まってゆく。ああ、今顔を見られたら間違い無くからかわれる上に同僚にまで広がってしまうに違いない。顔は上げずに彼女の爪に色を塗った。パステルカラーの、淡い水色だ。
「私の誕生日には、黒いの塗ってあげるよ」
「‥できれば来なければいいのですがねえ」
「酷っ!」
「やっと先輩に近づいたのに、また離れてしまいますから」
「‥‥可愛い」
「‥嬉しくありませんよ」
20100601
そういや幹部たちって誕生日決まってないよね