ベランダを開ければ、アスファルトの濡れた独特の匂いがした。雨の晴れたこの時の匂いは故郷の田舎を思い出すので好きだ。折原さんから珍しく休みを貰ったので外に買い物にでも行こうかと思う、給料もそれなりに貯まってきていたので、そろそろ自室のテレビを地デジ対応にしないと。


「買い物に付き合って頂けませんか?」


何やら辞書ばりに分厚い本を読んでいた折原さんに話かける。彼も今日は休むつもりだったらしい。上目使いに私の方を見ると、機嫌がいいのだろう。


「ああ、君の部屋のテレビ、大分古い型だからね」

「一人じゃもの寂しいので」

「‥友達の運び屋と行ったらいいのに」

「‥休日位デスクから離れましょう、さあ」

「‥仕方ないなあ」


しぶしぶ、掛かっていた上着を羽織ってくれた。窓越しに空を見上げるとまだ灰色がかった雲が空を占めている。


「折原さん、傘は?」


傘立てに刺さっていた傘を多少投げやりに言うと、君が持ったらと返された。仕方なく大きめの黒い傘を持って行くことにする。
外に出ると意外にも気温は暖かだったので少し嬉しかった。行きがけに波江さんとすれ違って、事務所に用事があるのだが鍵を持っていないということで鍵を渡す。相変わらず線の細い綺麗な人だ。私とは違う。


「で、どこ行くの」

「‥じゃあ、電気屋に」

「テレビが八百屋に売ってる訳ないから。‥池袋でいいよね、」

「あ、はい」


案外良く付き合ってくれる折原さんはよく言えば社交的だ。職業柄ということもあるのだろうが、気持ちの悪くない接し方をしてくれる。電車に乗って、駅を出ると人ごみに飲まれそうになった。足の早い折原さんの背中を追っていたのだが段々遠くなる、ついに見えなくなり、私はそこで一人になった。


「折原さ、」

「君は首に紐でもぶら下げた方がいいよ」

「!」

「俺がハーネスを握るんだ、でも今日は無いから」


いきなり後ろから現れた折原さんにあっけに取られていると、鞄を持っていない方の手を掴まれて早足に歩き出した。私よりも白く細い手をしている、恥ずかしくなって手を放そうとしたが、予想以上に強い力で、歩く速度もどんどん上がってゆく。

「折原、さん!早いっ」

「え?」

「あ、足早、っはあ、」

「でも着いたし」

「‥‥本、当‥」

「良かったね、迷子にならなくて」


嫌みったらしい笑みを浮かべて、いつの間にか目の前に聳える電気屋ビルの中に引っ張られた。手はまだ握っているままだ。流石にいたたまれなくなって、柄にでもないその行動に、エレベーターに乗り動きが止まった時に遠慮がちに言った。


「手、」

「手が何?」

「離して、下さいて」

「いやだ」

「折原さん‥は、恥ずかしいですってば」

「‥折原さんって呼び続けるまでは、虐めようかなあ」

「え?」


どうして、と聞こうとした所でエレベーターが止まった。折原さんはするりと私の手を離して、変わりに鞄の片方の持ち手を掴む。これもまた地味に恥ずかしいが手よりはましだ。
無言のままテレビコーナーにたどり着くと、私を一人残してカウンターの方へ向かってしまった。遠くからぼーっと眺めていると、ニコニコ、いや、にやにやと意地の悪い笑みで私の方へ戻ってきた。


「値段はいいから、好きなのを選びなよ」

「あ、でも私予算が」

「大丈夫、予算より多い金額の良いテレビを選ぶんだよ。」


言葉の意図を悪い意味でも理解できるようになってしまった私はもう完全に一般の観念から外れてしまっている。


「じゃあ‥これ」


半ば怯えた店員さんを察して、予算とさほど変わらない薄型テレビを選んだ。


「それ?こっちにしようよ」

「私の部屋に合いませんよ、サイズ」

「だから寝室同じにしようって言ってるのに」

「折原さん!!?」

「ごめんごめん、じゃあこれで。カードでいいよね?」

「あの、私カード無くて」

「払うからいい」


断らせる暇もなく、ささっとレジで会計を済まされて、テレビは明日の夕方にくるとだけ、レシートを受け取ると同時帰り際にレジの画面を見ると、明らかに値段が下がっている。


「テレビのお金!」

「ああ、あれ?気にしない、可愛い部下に偶にはね」


平然と言い放った。
払って貰ってしまったこともそうだが、値段。
前々から察してはいたが彼の金銭感覚は少しおかしい、それをいちいち言及した所で効果はないので、ただありがとうと言うと、黙って頭を撫でられる。

電気屋を出ると、やはり予想通りだ、雨が降り始めていた。私は持っていた傘を広げて、折原さんを入れた。暫く歩いていたのだが、身長差で背伸びをしながら歩くのは大変だったので、ちらりと折原さんを見ると、ああ、と気づいて傘を持ってくれた。




「夕ご飯は何にしましょう」

「まだ昼も食べてないのに夕飯の話?せっかちだね」

「早く買って帰りましょうか、と」

「‥鍋が食べたいな」

「二人鍋ですか?」

「駄目?」

「いいですよ」


そういえば折原さんは鍋が好きだった。なら、帰りにスーパーで材料を買っていこう。しらたきと、白菜がなかったっけ。お昼は余ってたご飯とキムチ使ってチャーハンでもいいかな。


「なんか、恋人みたいですね、」



冗談のつもりで言った。本当に、折原さんから馬鹿にされておしまい、位の勢いだったのに。元から白い折原さんの頬が少しだけ赤み付いていた。折原さん、と声を掛けようとしたとき、遮るように一言。



「‥新婚、がいいや」

「?」

「子供が居ないのが、リアリティに欠けるけどさ、まあ遠からずだから」

「!!」

「さて、戻ろうか」




「‥それ‥本気で‥?」









振り向かずに聞いて欲しい




「結構本気だよ、俺はね」



20100513
恋人未満な二人
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