私はおじさんの事を親しみを込めて善二郎さん、と呼んでいた。まだこの人が指名手配をされる前、徹がまだ小学生の時のころの話。

私は昔から善二郎さんに懐いていて、度々家を訪れていた。そのせいか両親は徹の養育を理由に、私を善二郎さんの元に預ける事が多々、気がつくと半分以上の時間をこの家で過ごしていた方がが長かったような気がする。
今思うと年よりも老成していた私は、徹よりも可愛がられる事が少なかった事を理解していたのか、遅くまでここでご飯を食べたり、テレビを見たり、うっかりうたた寝してしまったりと思い出が多い。


「今日は何にしよっか」

「‥そうだな‥昨日は鍋食ったし、一昨日はカレー食ったろ、」


学校から直接善二郎さんの家に帰ってくると、何故か必ず私を迎えてくれた。それから優しく手を繋いで貰い、町の外れにある小さな寂れたスーパーで買い物をしながら、学校であった出来事をぽつりぽつりと語る。


「私、ラーメンが食べたい」

「‥冷蔵庫にもやしと生麺はまだ残ってたよなァ」

「腐ってたから昨日捨てたよ。」

「‥今日は外だな」


真っ黒な煙草をくわえて、今時分珍しいマッチで火を灯した。ところで夕焼けに善二郎さんはとてもしっくりとくる、という事を発見したのはいつだっただろうか。先ほどまで重たい教科書の入った鞄を背負っていた肩に違和感があって、軽く揉みながら善二郎さんを見る。前髪からを全て後ろに固めた髪は歳よりも大人に見せていて、丁度夕日を背にするとそれは酷く絵になる。横顔をじっと眺めていると、急に甘えたくなった。


「腹減ってるだろ。待ってろ、今タクシー拾って、」

「善二郎さん、」

「ん?どうした」

「歩こうよ、」

「こっからか?」

「うん」


赤いシャツの裾をしっかりと握って、上目で見る。鋭いけれど、比較的穏やかになっている双眸が私に向けられて、いやに胸が熱くなった。喉が痛くて痛くてたまらないのに、不愉快ではなく、寧ろ心地よい。暫くの間歩道の真ん中で立ち止まっていたままだったけれど、漸く善二郎さんは困った様に笑ってから、裾を掴んでいた私の手を離して、繋いでくれた。


「火火火、懐かしいな」

「あっ‥うん」

「小せえ時からよく来てたなァ、偶に徹っちゃんも」

「一緒に居ると楽しいから」

「姪にも甥にも好かれて、俺は
ついてるねェ」

「善二郎さん」

「?」


この穏やかな雰囲気のおかげでこの間から訪ねたかった疑問を、言う機会もできた、今なら。

「徹と内緒にしてる‥この間、何か教えてたやつ、何だったの‥?」


私の方が長く居るのに、と、嫉妬したのが正直な所だ。それを察したのか、私の頭をなしなしと乱暴に撫でる。おかげで髪がくしゃくしゃになってしまった。何も言わない。と言う事はきっと何かあるのだろう。徹じゃないと出来ない事なのだろうかそれは?私にだって、わかることなのだろうか、様々な疑念を巡らしていると、やがて善二郎さんが、私に何か固いものを手渡してきた。
ざらざらした表面が触れたのでそっと手を開くと、一つのマッチが握らされている。


「丁度、お前にもきちんと教えてェと思ってたんだ。」

「‥?」


これの続きを聞いたら私はもう戻れない、そう確信した時熱を帯びた体が徐々に冷めていくのが分かった。代わりに言い知れない興奮が善二郎さんに向けられている。握られた手に力が籠もった。そう、この人は火が好きだ、そして私自身偶に見せてくれる火の手品が魔法みたいで好きだった。けれど卒然怪しく揺らいだ目線に、背筋が凍る。怖かった、先を知れば二度と笑顔を見られなくなるような、居なくなってしまいそうな気がして、固く閉じた瞳をそっと開くと、もうそこにはあの優しい善二郎さんが、ごめんな、と呟いて、私は胸板に顔を押し付けられる。


「まあ、まだいいけどな」


服からはいつも吸っている煙草の煙の香りがして、それに妙に安心したせいで視界が急にぼやけてきた。


「やだ、教えてよ」

「お前の肌に火傷は似合わねえ」

「‥?」

「いつまで、おじさんといてくれるんだろうなぁ」

「‥ず、ずっとだよ!いつか可愛いお嫁さんが来るまでは!」

自分でも大きな声が出て、それ以上に驚いたのか目を大きくして私を見つめている。


「お前が『お嫁さん』になる選択肢は、無ェのか」

「私が‥?」

「まあ嫌だよな。‥流石に三親等以内は結婚出来ねえんだが」


冗談じゃない、嫌なわけあるものか。昔から善二郎さんが好きだったんだ。怖くたって、何を私に隠したからって、だからなんだ。


「葛西善二郎のばか―!!!」

善二郎さんのシャツの襟を強引に掴んで、首に腕を回す。歩道の真ん中で父親のような年代の男の人に、制服の高校生が抱きついている様。というのは目立つらしい。行き交う人が私たちをじろじろと奇異の目で睨んできたけれど、気にするものか。首に腕を回したままでいると、背中に手のひらが回されて、つよく力を込められた。
より近くになった善二郎さんが愛しい、その日のことは一生鮮明に記憶されることになる。





―さあ時は巡り始めた


――禁断の愛?‥さあて、俺には理解できねえ





「‥人の目が痛くなってきたね」


「走るか」


「善二郎さん走れるの?」


「おじさんだって走れるさ」





それから私と善二郎さんは親族たちの前から姿を消し、後に善二郎さんは放火の全国指名手配犯になるわけだけれど。

それはまた別のお話。

20100312

*但し書き
今回のお話のような例(叔父と姪)は法律上結婚できません。近親相姦になってしまいます。これは話上の設定・演出の為に書いたものです。世間的にはまああまり良くないものなのかなと思われてますね。聞いた事ある方もいらっしゃるかもですが、血族者同士が関係を持って子が生まれると、その子は遺伝子が濃く、先天的な障害を負う可能性が上がるそうです。昔の天皇家状態‥。これも愛の形と言ってしまえばアレですが一応。>資料