「今更ですが貴方が――家光様が女性で良かったですね…」


褥に枕を並べる事無く、身を寄せ合って夢路に向かう最中。

不意に頭上から独り言かと聞き紛う伴侶の囁きに私は落ちかけていた意識を持ち上げた。

すっかりこの体勢で寝る事にも慣れ、うつらうつらとしていたので眠気に抗うのは辛かったが永光さんの安堵とも嘆息とも取れる呟きに疑問を覚えた私はそれを受け流すのを止めてもぞ、と胸に埋めていた目線を顎に向けた。


「…ん、永光さん…?」

「――あぁ。すみません。折角寝かけていたのに…起こしてしまいましたか?」

「あ…ううん、いいんです」


私に対しての呟きでなく、本気でぽろりと零してしまった言葉だったようで申し訳なさそうに私の方に視線を向ける永光さんに慌てて構わないと告げた。

それに緩く微笑んだ永光さんは目を覚ましてぐずる幼子をあやすかのように私の背中をゆるゆると擦る。優しく撫でる手の心地良さに思わずうっとりとして逞しい胸に再び顔を埋めそうになるがそもそもの目的を思い出し、甘美な微睡みから顔を上げた。


「あの、永光さん」

「何ですか、私の可愛い奥さん」

「っ…え、永光さんはいつも他に目をやるなって…怒りますよね?それなのに私が――えと、家光様が女の方がいいんですか?」


家光様の影武者の私は家光様がお戻りにならないとの文が届けられてからと言うもの殆どの時間をここ、江戸城で過ごしている。

永光さんが大奥に居るから頑張れる――ううん、頑張りたいと思って毎日眩暈がするほどの書物と格闘しているが余り長い時間他の男性――指南に当たってくれるのは稲葉もなのだが…二人きりで上様教育を受け続けるのは些か問題のようで時間に応えるように永光さんの機嫌が恐ろしい事になっていってしまう。

主に教鞭を執って下さる春日局様は春日局様でそんな状況を楽しんでいるらしく、この間もお仕置きと称して戯れに首筋を噛まれてしまい、後でその痕を目にした永光さんに大変な事をされてしまったのは記憶に新しい。

今日は――と言うか昨日から重要な案件を決める公務に長時間拘束され、四苦八苦ながら養った成果が奮われている。まだ家光様の顔をするのは慣れなれないが…やはり将軍様となれば道行く人々皆平伏すのが当然で大奥内でなくとも格別に敬われてしまう。

永光さんをご正室として初めての大きな影武者の任務。

……一体今夜、どんな折檻が待っているのかと内心びくびくしていたのだが当の本人はまるで風が凪いだかのように穏やかだった。そんな風に言われては首の一つも捻りたくなる。

恐らく疑問で瞳を一杯にしているだろう私の目を抱きしめたままの体勢で見詰めた永光さんは何とも言えない揺らぎをその紫苑の眼差しに映してふっと緩めた。


「家光様が男性で私が女性であった場合、側室の立場は非常に危うくなるんですよ。私の父は参議に過ぎませんが…天皇家や公家を外戚に持つ将軍を無闇に誕生させる訳にはいかないでしょう。今のようにご正室の位置なら兎も角、側室に据えられた場合は不妊薬や――万が一を考えて堕胎薬などの服用は余儀なくされていたでしょうね」


すり、と愛おしそうに私の頭に頬を擦り付ける永光さんから告げられた言葉は余りに酷なもので胡乱でいた目が一気に覚める。

毎日を一生懸命こなすしか出来ない私には未だに夢の世界と言っても良い今の生活。確かに綺麗な事ばかりじゃないのは詳しくは知らないものの何か良くない事が行われていると言うのは流石に何となく分かる。けれどの身に詰まされるような単語に投石と言う形で現実味を投げかけられたような気がした。

波立つ庭の池のように波紋が広がる。


「そ、そんな…まさか。そりゃあ跡継ぎが一杯いたら困るのは分かりますけど見初められて大奥入りさせた相手にそんな事…」

「しないと思いますか?あの春日局様ですよ?」

「っ」

「上と繋がりがあれば序列に関係なく、召し上げようとする輩は幾らでも居ますからね。無駄な火種の元となります。――だから一つの身体で産むしかない家光様は女性で良かったんですよ」


もし何かあっても知らぬ存ぜぬを決め込む事は出来ますからね。

そう言って笑う永光さんが何故かとても遠く、見えない世界を眺めているようで目を反らせなかった私は腰に回していた手に力を込めてぎゅっと抱き締めた。

隙間が零になり、永光さんの存在が更に濃くなる。


「…どうか、しましたか?」

「――もし」

「もし?」

「…もし、もしですよ?万が一…家光様が旅先からお戻りになって改めて上様として君臨なされたら永光さんは私を捨てて正式に家光様の側室になりますか?」


余り例えでも口にしたくないもしもだ。確かに御役目は大変だが私がこの身に余る地位にいつまでも居座り続けられるのは家光様からもう戻らないと便りがあったからでその万が一はそれほど可能性の低い問題じゃない。家光様が御心変わりをなさればいつだって起こりうる事態だ。

だから信じていても永光さんにこの問い掛けをするのはかなり勇気がいった。

どきどきして次の言葉を待っていると少しだけ間を空けた後に押し殺していたが隠せない怒気を滲ませて永光さんが言った。


「…なる訳ないでしょう。怒りますよ?」


もう既に不機嫌になってはいたがその返答にむしろほっと肩の力を抜いた。ここで肯定されてしまえば立つ瀬がない所の話ではない。


「だったら家光様が男性で永光さんが大奥に入っていたとしても私は庶民なので――伴侶は二人も要りません。…永光さんだけいればいいです」

「私だけ…」

「はい、私の好きな人はどうなっても永光さんだけですから」


一言一言噛みしめて言うと私の言葉を反芻しているのか永光さんが黙り込んでしまった。沈黙――と言うには余りに長い。もしかして寝てしまったのかと再度顔を上げると
暗闇の中、美しく艶めく紫苑の瞳と眼が合った。

とろりと何よりも甘く、僅かに赤く染まる頬と同じく赤みを帯びていると錯覚してしまいそうなくらい熱っぽい眼差しが私に向けられていてそれを目にした瞬間、ぼっとこちらの頬も赤く変化したのが自分でも分かった。


「――今日は貴方も久し振りの公務でお疲れでしょうから大人しくしていようと思いましたが…止めました」

「え」

「貴方は本当に私を煽る天才ですね」


ごろんと褥に押し付けられて頬を赤らめたまま、底意地の悪そうに笑う旦那様に明日の公務が眠気との戦いになる事を悟った。

――永光さんのその顔はいつもどこか照れを隠すようでもあり、そんな表情が見られるのなら春日局様のお説教も悪くないかもしれないと惚気に侵された頭は抵抗する事を放棄した。







親云々の話はwikipediaの永光院の項目から参照しています。

家光様が帰って来なって影武者ちゃんが後釜に収まるパターンは結構ありますが身分を捨てて帰って来なくなったのは家光様も外でいい人が出来たからだったらいいな。


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