「おとなになりたくないなあ」
名前の口癖だった。名前は町と山の中腹に住んでいて、よく俺の家にも手伝いに来ていたし、俺もよく彼女の家の手伝いに行った。幼馴染というやつで、家族を抜いたら共に過ごした時間は一番多いと思う。
「どうしてそう思うの?」
「おとなになったら、炭治郎と寝ることもできないし、一緒にお風呂にも入れなくなっちゃう」
「……名前は女の子だからな」
悲しい匂いがした。体の成長は、だれにも止められない。解決する術がない。どうしようもない。それが絶望的で仕方がなくて、心が虚空になったような、無臭に近い寂しさの匂いがした。名前の言葉に、俺も少し怖くなった。
「おとなになりたくないなあ」
あの日からしばらく経ったまた別の日、名前は再びこう言った。名前が俺の家に泊まりに行くと行ったら、母親に嫌そうな顔をされたらしい。「もうそろそろお風呂も別にした方がいいんじゃないの」 とも言われたそうだ。
「しょうがないよ」
「そうじゃない、そうじゃないの」
ぽろぽろと、硝子のような涙の粒を零して、名前は双眸を滲ませた。背中をとんとんと叩いても、涙が止まることはなかった。俺は手ぬぐいの炭で汚れていない部分を使って名前の涙を拭いた。
「こわい、こわい、」
「何が怖いんだ? 落ち着いて、」
「炭治郎をきらいになるのがこわい」
手拭いを名前の顔から離すと、頬が少しだけ炭で黒く汚れてしまった。涙で濡れたところは僅かに熱かった。
「お母さんが言ったこと、今はそれをひどいと思えるけれど、もうすぐわたしもお母さんみたいな考え方をするようになるんだと思ったら、こわくてこわくて、」
「たんじろうをきらいになりたくない」
名前は自分の膝に顔を埋めた。ぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえる。大きな悲しみの匂いがする。
「そう思ってくれる限りは大丈夫だ」
「いつかきっとわすれちゃう」
「大丈夫だ」
「でも、」
「俺は名前のことを嫌いになったりしないから」
なぜかこれが現実になっても、本当に俺は彼女を嫌いにならない。当時はそう思ったのだ。
名前は泣き声をぴたりと止ませて、ゆっくりと顔を上げた。膝は涙でびっしょりと濡れていた。彼女の方も、目元が赤く染まっていて、瞼が少しだけ腫れていた。
「一緒にお風呂や布団に入ることができるのが、好き嫌いの基準じゃないと思うんだ」
そう言って頭を撫でてやると、名前の柔らかい髪から安心したようなまろやかな匂いがした。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お風呂、もう一緒にはいりたくない」
僅かに膨らんだ胸を抑えて、今にも泣きそうな顔で、名前は言った。
「そっか。大丈夫、大丈夫だ。母さんに伝えてくるから、ちょっと待っててくれ」
俺は逃げるように名前から離れた。いざ現実になると、やっぱり駄目かもしれない、と思えてしまった。彼女に拒絶されるのは、やっぱり悲しい。いやでも、この考え方も俺が少し大人になってしまった証拠なのかな。
「母さん、母さん、」
「どうしたの炭治郎、そんなに泣きそうな顔して」
今にも流れてきそうな鼻水が、奥で詰まる。涙が零れないように上を向くのに必死だった。
事情を説明すると、母さんは 「名前ちゃんももう立派な女の子だものね」 と、俺に名前を先に風呂に入らせるように伝えた。
――
なんかオチが分かりにくいというか可笑しくなってしまったのと、単純にちょっとキモくないか? と思えてしまったので没。
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