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笑い泣き




死ぬと思った。今日のこの日、ついにこの暴力を振るう父親に私は殺されるんだ、と。

「っは、はあ、はあ……」

勢いのまま家を飛び出して、もう何時間経っただろう。こんなことなら休日だからといって家で過ごさずに学校の図書室に行って自習しておけばよかった。走って走って、家から何キロメートル先かも分からない場所の公園のブランコに私はただ腰かけていた。ゆらゆらと何もしなくても僅かに揺れるそれは、まさに今の私の心のようだった。真冬だからか、日は沈んでいても時計の針はまだ五時を指していた。数時間前に殴られた頬がじんじんと痛む。
こんな時に限って携帯は充電が切れていた。交番に行っても親に連絡されて逆戻りだし、そもそも場所も知らない。お金もない。途方に暮れるとはこういうことを言うんだろうなと思った。制服ではこの寒さはとても凌げそうになくて、私は今夜凍死するのかな、と思った。どうせ家に戻っても次の日私は痣と血だらけの死体になっているだろうし、それならいっそ綺麗なまましにたい。そう思っていた。
あの人が、ここに来るまでは。


「……あれ、きみ、どうして、」
「……え」

金色の髪をしたその青年は、間違いなく我妻善逸くんという、同じ風紀委員の同級生だった。善逸くんは私の姿を見るなり手に持っていたビニール袋をぼとんと落として、私の方へ駆け寄った。私の事情も何も知らないはずなのに、善逸くんの表情は暗かった。そんな彼に大して、私は縋りたいという気持ちを抑えることはできなかった。

「家この辺じゃない、よね? ほ、頬っぺたも、どうしたの?」
「……、……おとうさん、に」
「殴られたの?」
「……」

私の沈黙は彼は肯定だと判断したらしく、善逸くんは元々色の悪かった顔をさらに真っ青にして、一瞬落としたビニール袋を取りに戻ると、すぐに私の隣のブランコに腰掛けた。

「こ、これ、いる?」
「……ありがとう」

ビニール袋の中から出てきたのは温かいミルクティーのペットボトルだった。とにかく寒かった私は遠慮など知らずにそのペットボトルを受け取ると、両手でぎゅっとそれを握りしめた。あたたかかった。

「……ずっと、されてたの?」
「うん。お母さんと離婚してから、ずっと」
「そっ、か」

善逸くんは困っているみたいだった。そりゃそうだよね。委員会が一緒だっただけの同級生がいきなり頬に痣作って自分の前に現れて。そんなの困っちゃうよね。小学校の時の先生もそうだった。私の腕の痣に気づいていたくせに、「ごめんね」と意味のわからない贔屓と同情をしただけで、私の本当の味方にはなってくれなかった。

「……ごめんね、やっぱりこれ、返す。もう行くね」
「い、行くって、どこに」
「おばあちゃん家が近くにあるから、大丈夫」

私は嘘をついた。本当はまた少しだけ歩いて、今度は本当に誰も来ない場所に行こうと思ったのだ。
ブランコから腰を上げて、善逸くんにペットボトルを押し付けて、塗装の禿げた象の滑り台を通り過ぎる。そのはずだった。

「嘘、ついてるだろ」

私の腕を引っ張ったのは、さっきまで隣のブランコに座っていたはずの善逸くんだった。その声色は少し怒っているみたいだった。後ろを振り返ると、誰もいないブランコのすぐ傍の地面で、未開封のペットボトルがころころと転がっていた。

「……だって善逸くん、困ってたじゃんか」

中途半端な優しさはいらない。そのはずなのに、私の声は震えていた。涙を我慢したいのに顔を見られたくなくて下を向くから、余計に零れそうになる。

「困ってない! 悩んでたんだ!」

きっぱりと言い切る善逸くん。でもそれってほぼおんなじ意味じゃないの? と私はまだ納得できなかった。

「悩む、って、何に?」
「……お、」
「?」
「お、俺の家に女の子のきみを泊まらせても大丈夫かってこと!!」

外はすごく寒いのに、そのときの善逸くんの顔は茹でだこのように真っ赤だった。今のこの状況じゃなければ、その顔は好きな人に告白する場面のそれなんじゃないかと思うほどに。
そんな彼の予想外の表情と台詞に私は面食らってしまって、思わず笑いが零れてしまった。

「な、なに、それ、……ふっ、ふふっ」
「!? わ、笑うなよお!」

笑ったせいで殴られた方の頬と切れた口端が痛かった。目をきゅっと細めたせいか嬉しくて流したはずじゃなかった涙が本当に嬉し泣きしているかのように私の頬を伝う。
ぽす、と私は善逸くんの胸に倒れた。頼りなさそうな彼は意外にもしっかり受け止めてくれた。でも上から「へっ」と上擦った声が聞こえて、また笑いそうになった。安心と嬉しさで、私は腰が抜けそうだった。

「……ぜんいつくん、わ、わたしほんとうに、あなたのおうちに、お邪魔してもいいの?」
「!……うん、うん!」

しゃくりあげて泣く私の背中に善逸くんが優しく腕を回した。私はそれからもうずっと、彼の胸の中で泣いていた。その後に飲んだ温いミルクティーの味を、私は一生忘れないだろう。






2020.3.13

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