心が冷える感覚を知っていた
本誌バレを彷彿させるような描写があります。
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妙な胸騒ぎがした。
炭治郎が刀の里へ行っている間に、なまえに単独任務の指令が来た。あいつを蝶屋敷の前まで送るのは俺と紋逸の仕事で、何回も経験したことだ。ただあの日は妙な胸騒ぎがして、隣に立つ紋逸のように騒ぎまくる気分にはなれなかった。
「女の子ばっかり狙う鬼らしいよ」
「なにそれ気持ち悪いよなまえちゃんがそんな任務に行く必要なんて……」
「それ善逸毎回言ってるけど……大丈夫だよ。じゃあ、善逸、伊之助! 行ってきます」
「行ってらっしゃい……」
「……」
「伊之助?」
俺の顔を覗き込んだなまえの瞳はきらきらと潤っていて、俺が何も言わずに黙り込んでいると時折ぱちぱちと瞬きをした。
「……気をつけろよ」
「……あなた、ほんとに伊之助?」
「はっ倒すぞてめえ」
やっぱり気のせいだ。こんなにへらへらしてるが、こいつはやる時はやる奴だし、死ぬ訳が無い。事実、こいつは以前の単独任務も完璧にこなしていた。特にこの前なんか、かすり傷ひとつない体のままここへ戻ってきたじゃないか。
「元気づけようとしてあげようと思っただけなんだけどなあ。でも、そんな必要なかったね。ばいばい、伊之助」
「……おう」
ニコニコと笑って手を振るなまえに、紋逸の野郎は案の定あの緩みきったにやけ顔でなまえに手を振り返した。いつもなら気色悪いと罵ってやるところだったが、やはり今回はそういう気にはなれなかった。それともうひとつ、なまえのあの笑顔を見ると毎度のようにあのほわほわとした不思議な気持ちに襲われる。なのに今日はざわざわとした体を蚯蚓が這うような心地悪い感覚がいつまでも消えなかった。
――
妙な胸騒ぎがした。
炭治郎はまだ帰ってこない。帰ってきたのは、なまえの鴉だった。字が読めない俺の代わりに手紙を読んだのは紋逸で、ぱっとあいつが手紙に目を通した瞬間、紙がぐしゃりと皺を刻む音がした。
「紋逸? 何が書いてあんだ? 読めねえぞ」
「なまえちゃんが」
「あいつがどうしたんだ」
「なまえちゃんが、死んだって……」
そのときのあいつの顔は今だって覚えている。あの蜘蛛山に入る前、命からがら逃げてきた別の隊員がまた山の中へ引きずり込まれたときのような。いや、それよりも深刻だった。
「(急に目が見えなくなったぞ)」
己の視界の中、読めもしない手紙の字がぼやけた。目が熱い。この感覚は知っている。列車のあの、ギョロ目のあいつが死んだときと同じだ。
「なまえが、死ぬ訳ねえだろ……」
この言葉は、善逸でさえも拾ってはくれなかった。
「なまえ、ごめん。ごめんな」
一週間後。なまえの墓の前で炭治郎は泣いていた。遅いんだよデコ太郎。
なまえの死体は、親指だけしか残っていなかった。時間が経っていたから腐っているのかと思ったが、血鬼術の類なのか、それは凍った状態で発見された。しかしそれは不幸中の幸いと言えるほどかわいらしい出来事では決してない。
小さな墓の前で、炭治郎は花を供えた。
「なまえの思いは、俺たちが持っていくから」
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