×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


本当の神様は誰かしら


なんとか山の麓まで降りてきた善逸は、傍にあった荒れ果てた蔵を見つけた。
見たところそれは随分時間が経っているのかぼろぼろで、もう誰も使用していないらしかった。

「静ちゃん、ここに入って待ってて」
「え?」
「ごめん。今までみたいな広くて綺麗な部屋じゃないけど、ここから見つかりにくいだろうから」

何に? とは静は聞けなかった。中を開けると、そこは薄暗くて狭かった。漆器らしきものや家具等がたくさん積まれている。
静は屋敷の外に出てから、初めてほっと息を着いた。善逸を見やると、彼は申し訳なさそうに、そしてひどく不安そうに自分を見ていることに気が付いた。

「……あなたに比べれば、こんな場所で待つくらい平気に決まっています」
「!」

静は善逸の背中から降りると、葉や泥が着いた装束のまま、蔵の中に立ち入った。そして善逸の方を向いてにこりと微笑んだ。

「でも、無理だけはなさらないでください」
「え?」
「あなたが何をしようとしているのかは存じません。でも、それは命を賭けなければ成し遂げられないことだというのはわかります」

薄暗い蔵の中で、静の瞳の模様だけがきらりと光る。静からは必要とあらばいつまでもここで待つという覚悟と、底知れぬ程の大きな優しさの音がした。

「静ちゃ……」

そのとき、近い場所で落雷の音がした。善逸ははっとして、ぴしゃんと蔵の扉を閉め、ぐっと歯をかみ締めた。鬼はすぐ近くにいた。善逸は音の聞こえた方向へと駆け出した。
暗い蔵で一人になった静は、その寂しい感覚をどこか懐かしく思った。


***



「お前が『雷様』だな?」

とうとう見つけ出したその鬼が視界に入った瞬間、善逸は刀を抜いた。目の前の鬼は雷神のような姿をしていて、善逸を怒りに満ちた目で睨みつけていた。それは善逸も同様だった。

「そうだ。よくもやってくれたな。明日になれば、二百年ぶりにあの娘を喰らえば、俺は全盛期の力を取り戻すことが出来たのに」
「人を家畜みたいに思ってるやつのすることがすんなり成功するはずなんてない。今まで散々持て囃されてきて、さぞ気持ち良かっただろうな」

善逸は鬼をキッと睨みつけた。二人の立つ地面に生えていた雑草は全て燃え尽き、焼け野原になっていた。それも、この鬼の雷を自在に落とすという血気術のせいだろう。
鬼は善逸の台詞に目を見開いて、そしてわなわなと小さく震え出した。

「どうやって知った? 村人共は俺を良い風に解釈したあの頭の悪い言い伝えを信じていたはずだ」
「違う。少なくともお前を祀ってるっていう神社には真実が伝わってた。当時の人がお前のご機嫌取りをするために神社を建てておいて、裏でこっそり伝えてきたんだろうな。そのお陰で俺はあの子を助けられた」

その瞬間、鬼の額にびきと青筋が浮かんで、次の瞬間辺りがぱっと明るくなった。落雷の合図だ。善逸が後ろへ大きく退くと、大きな轟音とともに雷が落ちた。まさに神の怒りだった。尤も、落としているのは雷様と崇められてはいても、実際は長く生きているだけのただの鬼だが。
どうやら力が落ちているのは本当らしく、雷が落ちた瞬間に素早く善逸が斬り掛かると、ざくと容易に腕が落ちた。

「お前は一体あの子を何度喰ったんだ。もうこんな繰り返しは終わらせる。覚悟しろよ」
「……」

鬼は黙り込んでいた。
しかしすぐ善逸の方を再びにやついた表情で見やったかと思うと、大きな笑い声を上げた。腕はいつの間にか再生していた。


「この長い繰り返しの中で一度だけ、小娘が逃げようとしたことがあったな。丁度二百年前で、山の麓の蔵に隠れていてな、縮こまる姿は見ものだったよ」
「!!」

その瞬間、先程よりも遥かに眩しい閃光が善逸の周囲を照らした。そのとき、善逸は自分がここへ誘い出されていたということにやっと気づいた。
この落雷は自分を殺すためのものではなく、足止めするためのものだったのだ。

「(しまった! 静ちゃんが危ない……!!)」

雷が全て落ちきったとき、やはりもうそこに鬼はいなかった。





***

少し遠くで落雷の音が何度も聞こえた。静はひとり、薄暗い蔵の中で座り込んだまま、じっと耳をすませていた。善逸の羽織を必死に掴んでいたはず手は、もう冷めて冷たくなっている。分厚い装束のおかげで胴体はまだ寒くはないが、腕から先は隙間が多くてなかなかに肌寒い。

そう静が自分の腕を摩ったときだった。背後の壁を破壊し、鬼が侵入してきたのは。
二百年ろくに改修もなされていない壁はいとも簡単に破れ、がらがらと音を立てて破片が積み重なっていった。


「やっと見つけたぞ……!!」
「!!」

静は驚いて腰を抜かしてしまった。鬼は、まさに上機嫌と言った様子でこちらへと歩み寄ってくる。
静は自分の眼球が熱くなっていくのを感じていた。体の全身の細胞が逃げろと訴え掛けているのに、立つことすら出来ない。

「鬼狩りがこの村に来るのは初めてだったからどうなることかと思ったが、」
「あ、あ……」
「よくも俺にこんな手間を掛けさせたな。だがお前の血は美味いだろうから、許してやろう。何しろ二百年ぶりだからなあ」

直感でなくても分かった。この化け物は自分を殺そうとしている、と。
鬼は腰を抜かしている静の目の前でしゃがみこみ、瞳の模様を見つめながら言った。

「そんなに怯えるな、俺は雷様だぞ」
「かみ、なり、さま……?」
「そうだ。俺にその身を捧げられること、光栄に思うがいい」

このとき静の頭の中では、善逸が掛けてくれた言葉が木霊していた。ある意味走馬灯のようなものだった。
“俺は静ちゃんに死んで欲しくない。もう繰り返してほしくないんだよ”

点が線になった気がした。

「こ、こないで……!! もう二度とお前に喰われたりなんかしたくない! お前は雷様なんかじゃない!」

勝手に口が動いていた。お前、という言葉を人の形をしたものに使ったのは初めてだった。この化け物に殺されるだけでなく喰われるなんてことも静は知らなかった。しかし本当に口はそう動いていた。静は自分の台詞に驚いて、とっさに口を塞いだ。

「……余程惨たらしい死に方をしたいようだな」
「!!、やめ、あうっ」

一気に距離を詰めてきた鬼は静の長い髪を思いきり掴み、乱暴に揺さぶる。ここでやっと静の体が逃げようと抵抗し始めた。しかしもう遅かった。

「指を一本ずつ噛みちぎってやろう」

右腕を掴まれる。静の手はみるみる鬼の口へと吸い寄せられた。ちらりと鋭い歯が覗き、必死で振りほどこうとしたが、出来るはずもなかった。


「た、たすけて、ぜんいつさん、助けて……!!」


外はいつの間にか雨が降っていた。鬼の背後で、たくさんの木々が雨風に揺られて葉がざわざわと音を立てている。

涙でぼんやりとした視界の中で、そんな木々の合間を雷が縫っていく様を静は見た。

「っきゃ、」

目の前までその閃光が迫ってきた瞬間、鬼の首にぴしと直線が入って、静の髪を掴んでいた手の力がふっと抜けた。そしてぐるりと視界が回転して、誰かに抱きかかえられたのを感じた。

「遅くなってごめん。怪我はない?」

雨に濡れて束になった金髪と、心配そうな善逸の眼差しが静の視界に入る。優しくて少し泣きそうなその声色がとても頼もしかった。ありがとうと言いたかったのに、驚きと未だ残っていた恐怖で声が出なかった。

「……くそっくそっ! 何百年も生きてきたこの俺が、たったひとりの鬼狩りに……!!」
「……、」

鬼の首はとっくに地面に落ちていて、崩壊し始めてもなお意地悪く顔を歪めている。善逸はぎゅっと静を抱き直した。

「お前は人を騙すのが巧かっただけだ。地獄で反省してろよ」

鬼は喚きながら、やがて朽ち果てていった。善逸はやっと握り締めていた刀を地面に置いた。その瞬間、静の目に鋭い痛みが走り、彼女は思わず目を押さえた。異変に気づいた善逸はすぐに声を掛けた。

「静ちゃん!? 大丈夫!? やっぱり怪我、があっ、た、ん……、…………!!」

静が瞼を開く。その瞳は黒漆を塗ったかのように漆黒で、美しかった。彼女の瞳にあったはずの、斜めにぴんと黄色の糸を張ったような模様が消えていたのだ。その瞳に釘付けになっていた善逸は思わず声を上げた。

「も、模様!! 消えてる! 鬼が死んだから印が消えたんだ!」
「え?」

見れば見るほど綺麗で、吸い込まれそうな瞳だった。善逸は宝石を見たことなど一度もないが、きっと外国にあるどんな宝石よりも美しいに違いないと思った。もちろん静は鏡もないこんな場所で自分の瞳の模様の有無を確認することは出来なかったが、もうこんな目に合わなくていいというのが何よりも嬉しかった。

「きれいだねえ、こんなに綺麗な黒色、俺見たことないや」
「……、」

そして善逸の、いつも通りの明るい声色は静を安心させるには十分だった。
急にふわりと気が抜けて、ほろほろと涙が零れた。善逸はそんな静に優しく微笑んだ。

「……ごめんね、怖かったよね。もう鬼はいないよ。俺がいるから、もう安心して」
「……」
「君が今日眠るまでは、ずっと傍に居るよ」

まだ覚えている。体に触れてきた鬼の手の感触を。自分の右腕の骨を粉々にしてしまいそうなくらいの。しかしそれを上書きするかのように、優しく優しく、善逸は静の髪を撫で、手を握った。
静は恐る恐る善逸の胸に頭を預ける。彼の心音は歌のない子守唄のようで、いつの間にか静は眠りに落ちていた。





2020.2.22