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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -


とある男の鬼滅奇譚


それは8月上旬の、暑くて仕方がない夏の日のことだった。
その日、善逸は鬼がいるかもしれないという村を調査しに山をひたすら登っていた。鬼がいる、ということが確定していない分まだ気は楽だったが、それでも若い娘がひとりまたひとりと消えていくような不気味な場所に行くのはかなり憂鬱だった。おまけに整備されていない獣道しかその村に行く術がないとなれば、善逸は通常の任務と同じくらいに道を進む足が重々しく感じた。

とうとう日が沈みかけ、野宿かと思いながら土を踏みしめると、まるで目の前にいきなり現れたかのように、「かんなぎ村」と書かれた看板と、その奥にぽつりぽつりと建てられている木造の家が視界にひろがった。珍しい平仮名混じりのその村の名前を善逸は知らない。聞いたことも無かった。
早速入村して初めに考えたことは寝泊まりする場所のことだったが、村の村長に話は通してある、と伝えられていたため、善逸はその人物の家に泊めてもらえるよう頼むことにした。村長の家はひと目でわかるくらいの大きな屋敷らしいと言うので、初めて見る村でもその家は容易に見つけることが出来た。屋敷はとても大きくて、玄関までにもさらに一つ門が建てられていた。

「すみません、すみませーん!! 俺、鬼殺隊の我妻と言います、村長さんはいらっしゃいますかー?」


精一杯の声で言うと、暫くしてから門の奥の玄関から、年老いた男性が出てきた。善逸はこの男が村長なのだと思い、一先ず安心した。男がそのまま手に持っていた鍵で門を開けると、キィ、と音を立てて善逸の視界が広がった。

「私が村長です。お待ちしておりました、我妻様。私達のために遠いこの村まで来てくださり、誠に感謝致します。どうぞ中へ」
「あ、ありがとうございます……」

調査に来ただけだと言うのに、こんなに歓迎されたのは初めてだった。いつも人に隠れて影で鬼を狩っていたのだから、鬼の存在を知り、村長という村では大きな権力を持った人物にこんな大きな屋敷の前で感謝を述べられるなんて、と善逸は驚いた反面、ほんの少しの不気味さを覚えた。
しかし特に怪しいものを勧められるわけでもなく、まして村長が鬼だった、なんてこともなく、善逸は盛大に豪華な食事をもてなされ、加えて大きな寝室を開けて貰うことにもなったので、善逸は極めて上機嫌で、浮ついた気分だった。

「風呂はあちらにあります。その後はご自身のお部屋でゆっくり過ごしてください。12時以降は使用人が見回りをしますので、部屋から出ないようお願いします」

わざわざ見回りのための使用人までいるなんて、と善逸はあまりの警備の周到さに少し苦笑いをした。だがそれだけでは終わらないらしく、村長は目を細めて、言葉を続けた。

「そしてもうひとつ……我妻さんがお泊まりになる部屋の、右隣にある部屋には絶対に入らないようお願い致します」
「……ええ!? そんな、人の部屋を勝手に回ったりするわけないですよ」

それは心からそう思った上での発言だった。言われるまでもなく善逸にはそんなことをするつもりなんてなかったし、思ってもいなかった。
村長はそんな様子の善逸をしばらくじっと観察していたが、やがて初対面時のような温和な笑みを浮かべて言った。

「……そうですよね、失礼しました。今日はゆっくり休んでください」
「あ、ありがとうございます……」

ゆっくりと男は去っていった。

この広い屋敷にはきっと何かある。村長の音は、それを確実に物語っていた。
さっきまでの浮ついた気持ちはとうに無くなり、善逸はごくりと固唾を飲んだ。

***




ガタガタ、ギシ。
その日の夜。野良猫やイタチなどの類ではない、紛れもなく人間の立てる音が隣の部屋からした。言わずもがな、村長が入るなと念を押していた右隣の部屋だった。足音や、布が擦れる音、そして呼吸音は、耳の良い善逸にははっきりと聞こえた。

「(鬼の音じゃない。でも、それなら余計気になる……)」

善逸の耳に届いていたのは間違いなくごく普通の人間の音だった。そしておそらく女性だと推測できた。布を引きずるような音がしていたからだ。裾の長い着物でも来ているのだろうか。でもそうなるとすると、相当長いものになる。音を聞けば聞くほど謎は深まるばかりで、善逸の好奇心は最高潮に達していた。

「(今は......ぎりぎり11時)」

12時まではあと十分もない。だが、時間はないこともない。所詮隣の部屋だ。移動に時間はかからない。

そう心の中で言い訳を連ねながら、善逸はとうとう自分の部屋から出てしまった。

「(ここ、だよな?)」

右隣の部屋はやはり何の変哲もない普通の物置のように見えた。だが間違いなく、音の出処はここだ。
善逸は意を決して、部屋の襖を開けた。



「お、お邪魔しまーす……」

部屋は真っ暗だった。だが確かに、この空間のどこかに人がいる。
善逸が入った瞬間その人物の鼓動はどくんと大きくなり、どたん、と腰を着く音がした。

「えっ!? 大丈夫!?」

おそらくは急に部屋に入ってきた善逸に驚いて腰を抜かしたのだろう。真っ暗闇で何も見えなかったので、善逸は手探りで蛍光灯を付ける紐を探した。天井からぶら下がっているそれをようやく見つけて思い切り引っ張ると、ぱっと部屋が明るくなった。

「......!?」

善逸のすぐ目の前には少女がいた。その娘は怯えているのか頭を抑えて震えていた。ぎゅっと閉じられた目には涙が浮かんでおり、善逸のことを決して見ようとはしなかった。
善逸はというと、驚きで口をあんぐりとさせて、言葉も出なかった。

「は、え?」
「……っ、」
「あ、あああ! 叫ばないで! 俺悪い人じゃないよ! 信じらんないかもだけど……俺は鬼殺隊の我妻善逸だよ、なんなら隊服だって持ってきて見せてあげられるよ!」

自分と二つか一つ下くらいなように見えた。しかし彼女が着ていたのは寝間着などではなく、まるで平安時代の姫が来ているかような装束だった。今は座り込んでいる格好であるが、もし歩くとなればその分厚い布を引きずらなければいけないから、相当体力がいることだろう。髪も生まれてから一度も切ったことが無いのではないかと言うほど長髪で、その日本人らしい黒髪は蛍光灯の光に反射してつやつやと光っていた。
善逸があまりにもおどおどした声をしているので、先程よりかは恐怖が和らいだのか、娘は恐る恐る頭を上げた。善逸は彼女の視線を受けて体が固まった。
その瞳は日本人らしい真っ黒な瞳だったが、斜めにぴんと黄色の糸を張ったような模様が入っている。ただそれだけなのに、ひどく美しく見えた。そしてそこには今間違いなく善逸本人が映し出されている。

「……こ、怖くないよ! 俺、悪い人じゃないよ!」
「あ、あなたは誰ですか!もしかして人攫いですか!」
「あっち、違う! 俺は我妻善逸!です! き、きみは?」
「……」

かなり警戒されている、と善逸は音からも、彼女の雰囲気からもそれを感じた。しかしキッと彼を睨めつける視線はどこか恐れと不安でゆらゆらと揺れていている。

「……ど、どうしてここに? そもそもこの屋敷は私の身内と使用人の方しか入れないはずです」
「えっ!?」

善逸が驚きの声をあげると、娘もまたびっくりした顔をしていた。そんなことを善逸は素で知らなかった。どれだけ鬼殺隊の人間を優遇しているんだということは置いておいて、村長はなぜそれをこの子には知らせておいてやらなかったのだろう。なぜか咄嗟にそんなに疑問が浮かんだ。

「お、俺は鬼殺隊なんだ! 鬼殺隊! 知ってる!?」
「……ぞ、存じません」
「鬼殺隊は、鬼を殺すための組織なんだ。鬼は人を喰うから」
「そんな生き物が存在するのですか?」
「し、信じてくれるの!?」
「えっ!? し、信じるも何も、私は外に出たことがありませんから……」

少し恥ずかしそうにして、娘は長い袖で口元を隠した。外に出たことがない。どういうことだろう。そう善逸が詳しく尋ねてみると、彼女が言うには「庭に出たことはあるが、屋敷の外に出たことはない」らしい。なんでも、庭には人がとても越えられないくらいの大きな塀が建っているそうだ。丁度この部屋の善逸から見て右側の障子を開けると庭があるとのことだったが、わざわざ確かめることはしなかった。

「鬼というものを見たことはありませんが、実は庭の塀には小さな穴が開いておりまして、そこから以前よく野良猫が来ていましたから、猫だけは知っています。もう修理されてしまいましたけど」
「あ、あのさ、きみはなんでここでひとりでいるの? その服は? 髪はどうして切らないの?」

娘は一瞬だけひどく悲しそうに顔を歪めた。
そのまま彼女が口を開こうとしたそのとき、左手の襖の奥からから怒鳴り声が飛んできた。

「静! なぜ灯りをつけているんだ、早く消しなさい!」
「は、はい! すぐに!」

その声は紛れもなく村長の声だった。善逸を案内してくれた人物とは思えないほどの怒鳴り声に、彼女はすぐに大きな声で返事をして、立ち上がってすぐさま善逸が付けた電灯を消した。
再び二人の視界は黒に染まる。しかし娘の視界にだけは、目の前の金色がうっすらと映っていた。

「……善逸さん、もう部屋に戻った方がいいです。これから使用人の方々が見回りをしますし、私ももう眠ります」
「……、」

長い髪が一束、彼女の目にかかった。無論善逸にはその光景が見えることは出来なかったが、それでも彼女の気分がどこか落ち込んでいることは分かった。
しかしそれとは裏腹に、善逸の気分は好調だった。

「静ちゃん、また明日ね」
「!」

善逸は静、静と何度も心の中で復唱していた。あの村長の男が呼んでくれたおかげで、彼女の静が知れたことが嬉しかったのだ。彼女からもさっきの悲しそうな顔がまるで嘘かのように、心が弾む音が聞こえてきてさらに嬉しくなった。

「(……まあ、俺なら女の子怒鳴ったりなんかしないけど)」

面倒なことに巻き込まれた、とは思わなかった。この村には何かある。彼女を見つけたことでそれを確信した。怖い訳ではない。でも、ふわふわとした気持ちの奥で、これは絶対に解決しなければならないことなのだと善逸は予感した。





2020.2.9