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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

早い者勝ちの笑顔


次の日は善逸が先生の仕掛けた落とし穴に見事に嵌ってわんわんと泣きわめいていた。空は雲一つない快晴で、善逸の鳴き声は山の向こうまで響き渡っている。やかましくってしょうがない。
あまりにもうるさいので、俺が先生に言いつけようと家にいったんも戻ったとき、それは起こった。
俺が数年後の未来、なまえを喰うことに成功してしまった原因の一つである出来事が。


「あっ、獪岳さん!」
「獪岳! 丁度良いところに来た!」

玄関に入ると、今から外に出るところだったという様子のなまえと、先生がいた。

「先生、善逸が……」
「獪岳! なまえと一緒に薪を取りに行ってくれんか!」
「は? 薪?」

状況を呑み込めずにいると、先生が事情を説明してくれた。風呂を炊くための薪が足りないから、少し離れた小屋に取りに行って欲しいということだった。確かに、二人の間に積まれた数本の薪はとても風呂を炊くのに足りそうにない。俺は早く鍛錬に戻りたかったが、先生が言うならと渋々了承した。なまえはそのとき、気まずそうにへらりと笑っていた。

「なんで俺が……」
「ごめんなさい、あそこ、まわりに木が多くて、一年中陽の光が当たらないらしいんです」

ああ、と納得する。要するに、鬼がいるかもしれない、と。まあ普通に考えれば可能性は零にほぼ等しい。ここはよく柱が巡回しているし、待ち伏せでもしなければこいつを襲うことは出来ない。夜なまえは外に出るなと先生から耳に蛸ができる程言われているのだから。もちろんこいつが鬼にとって栄養価が高いと言われている女、という理由もあるのだが、もう一つは、

「そういえばお前は稀血だったな」
「はい」

稀血。その名の通り、稀な性質を持つ血のこと。稀血の人間を鬼が喰ってしまえば、五十人から百人分の人を喰ったのと同等の力を持ってしまう。稀血の中でも程度はあるらしいが、なまえのは特に濃いという話を聞いた。ここらをよく柱が巡回しているのは、どうせこいつが食われれば鬼を強化させてしまうと考えたからだろう。

「いつもは先生と一緒に行ってるのか?」
「あ、いいえ、善逸くんと」
「……そうかよ」

またあいつか。思わず俺がため息をつくと、なまえは怯えたような視線をこちらに向けた。……その視線が余計に俺を苛立たせるんだ。

「お前、あのカスの名前を出すと俺が不機嫌になると思ってるだろ」
「えっ」

図星か。

「その反応が腹立つんだ。もっと平然としてろ」
「ご、ごめんなさい、すみません」

何かをぐっと堪えて、なまえは眉を落としながらへらりと笑う。あいつみたいな。もし本人だったら殴っていたかもしれない。が、生憎目の前のこいつは善逸本人ではないし、何より女に手を上げるのはさすがに胸糞悪い。
小屋に着くと、そこはなまえの言っていた通り周囲に木が生い茂っていて、陽の光がほとんど差していない。これでは夕方になるころにはもう夜のように真っ暗になるだろう。

「どのくらい足りないんだ」
「どれだけあっても困らないので、持てるだけ、お願いできるでしょうか?」
「……分かったよ」

小屋は狭いから、先になまえが取りに行くと言って薄暗いその中へ入っていった。そして出てきたなまえが抱えていた薪の量を見て、俺は絶句した。

「お前は自分が持てる薪の量も知らねえのか!」
「えっ?」

間抜けな声を上げたなまえの腕からおおよそ女にはとても持ち切れないような量の薪の束を奪い取る。その後のなまえの腕の中にはひとつも薪は残っていなかった。

「お前が家まで持ちきれる量はせいぜい一束だ。俺はあと五はいける。持ってこい」
「……は、はい」

なまえは呆然としていたが、「早くしろよ」と俺が言うと、ぱたぱたと小屋の中へ入り、何度か往復して一束づつ薪を俺の腕の中へ乗せていった。乗り切らなかった分は背負えるように括りつけて。
帰り道、一束の薪を抱えるなまえが心配そうにちらちらと見てくるので、鬱陶しくなって俺は口を開いた。

「女に沢山持たせたらあのカスに文句を付けられると思っただけだ。勘違いするなよ」
「……」

口ではそう言ったが、きっとあいつは文句なんて言ってこない。言えないだろう。どちらかというと、先生の方がまだ可能性がある。
なぜあのカスが、と言ったのかは分からない。善逸じゃなくて「先生が」と答えていたら、こいつに告げ口をされると思ったから?
違う。あのカスの印象を下げたかった? 多分違う。何故だ? ……今思い返しても、分からない。

「……おい、聞いてんのか?」
「聞いてます、聞いてますよ」

でもその瞬間、はっきりと見えたのだ。あいつの口が、震えながらもにっこりと弧を描く瞬間が。

「……ありがとう、ございます」
「……!」

きっとあいつは、笑むのを耐えようとしていたのだと思う。俺が不快に感じると予想したから。でも結果的に顔には出てしまったあいつの笑顔は、不快なんかではなくて──素直に、とてもきれいだと思った。いつもの気まずそうな笑顔ではなかった。ほんのり頬を桃色に染めて、心の底から嬉しいときに思わず滲んでしまうような、そんな笑顔だった。

「……どうかしましたか?」
「なんでもねえよ」

その日が、なまえが俺に本当の笑みを見せてくれた最初の日だったのだ。





2019.11.30