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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -






どうか気づかないで


「お母さん! 火! 火! 消し忘れてるよ!」

「あらまあ、随分男前な子やねえ」


慌てる優里と俺に笑顔を向ける母親。かちっと聞きなれない音がした。火を消したのだろう。優里は冷や汗を垂らしながら溜息をついた。

「お母さん、気をつけてよ。今日は介護士さんには夕方から帰ってもらったんだから。私がご飯を作るから、居間で待ってて。冨岡さんも、どうぞ中へ、」
「……ああ」






じゅ、と水分が蒸発する音と、香ばしい匂いがこちらまで立ち込める。今まで優里が料理を作るなんてことは想像もしなかったし、見たこともなかったから、新鮮な気分だ。

「優里はねえ、お料理が上手でね、私はいつも焦がしちゃうんだけど、あの子はとっても器用なのよ」


しばらく娘の自慢話を聞かされるも、本音を言えばあまり苦には思わなかった。今思い返せば随分長く共にいたから、それでも知らない一面をこの機会に知れるということに興味を持ったからかもしれない。

「お母さん、あんまり私のこと話さないでよね。冨岡さん、ご飯が出来ました。鮭と大根が丁度あったので、鮭大根を作ってみました。初めてだったので美味しくなかったらごめんなさい」


お盆に乗っていた皿をちゃぶ台に綺麗に配置していく。最後にことりと置かれた鮭大根に口の中に唾が滲んだ気がした。

「……お前の分がないぞ」
「あ、私はいいんです、父の様子を見てきますので!」


優里がぎこちない笑顔を向けてさっさと居間を出たかと思うと、すばやく階段を登る音がした。二階に父親がいるのだろう。



そのまま食事前のあいさつをして一番初めに手をつけてしまったのはやっぱり鮭大根で、出会った日もそうだったなと柄にもなく過去を振り返る。一口食べたそれはとても美味だった。

「貴方のことは手紙で聞いていてね、ずっと気になっていたものだから。私じゃなくって、旦那がね」

優里の母はふふ、と笑みを漏らした。まあ、年頃の娘が男と二人で旅をしているなんて、普通に考えれば心配しないはずはないだろう。

「誠実そうな人でよかったよ。後で顔を見せてあげて」
「……はい」


食べ終わっても優里は戻って来ず、流し台に運ぼうと皿を重ね始める優里の母に洗い物は任せて欲しいと頼むと、しぶしぶ了承してくれた彼女は風呂を沸かしに行った。さすがにこれらの家事を招かれたとはいえ全て年寄りの女性一人に任せるのは忍びない。

皿を拭き終わったころ、またとんとんと階段を降りる音がした。久しぶりに再会したのだから、結構な長話をしていたのだろう。


「あ、お皿洗い、ありがとうございます。片付けは私がいたしますので、お風呂はお先にどうぞ」
「いや、いい。嫌だろう、客人の浸かった湯に入るのは」
「大丈夫ですよ。慣れてますから」


遠慮しすぎるのは時間の無駄だし、彼女が平気なら、と俺が了承の返事をすると、優里はにこりと微笑んだ。







「(……ここか)」

優里と風呂を交代したとき、彼女に教えて貰った彼女の父の部屋の少し黄ばんだ襖の前に立つ。がさがさと布が擦れる音がするから、寝ていないのは確かだ。

「失礼します。挨拶が遅れてすみません、娘さんと一緒に鬼殺をしている冨岡義勇と申します」

「……ああ、きみが。優里から話を聞いたよ。娘が世話になっている」

こんな格好で申し訳ない、と寝巻きのまま眉を下げた優里の父は随分とやつれていた。だが、声色からこちらが感情が察することができるくらいには声帯は衰えていないようだった。彼の近くにはぽつりと写真の額縁が置かれている。四、五つくらいの小さな少女、おそらく優里だ。その両脇には、小さな子供を持つには少し遅い年齢に見える両親と思える人物。


写真を凝視していることに俺がやっと気付いたときには、悲しそうな笑みを漏らす優里の父がいた。



「ほんとうに、申し訳ないよ。あの子には苦労をかけさせてばかりだ。うちはなかなか子供ができなくて、近所からの圧力でこんな山にまで追い返されちまった。やっと優里が産まれても一人っ子で寂しい思いをさせた」
「……」

確かにこの時代に一人っ子とは珍しかった。思えば周りの柱も誰かしら兄弟がいる者もたくさんいた。


ただひとつだけ、気になったことがあった。彼はさっき「近所からの圧力」 と言ったが、この山の近くに町はない。町と言える場所は山を降りた一里ほど先にあるはず。とても近所と言える距離ではないが。

……いや、違う。町はないが、その残骸はあった。不自然なほどに残された多くの空き家が。


「この辺りに、町があったのですか?」

まさかと思い問うてみると、彼の答えは予想通りだった。


「……鬼に襲われたんだよ。鬼が山を降りるのに使った道は俺達の家から離れていたから助かったんだ。だが、優里とよく遊んでくれた町の子供達は、みんな駄目だったよ」

ああ、これが優里が鬼狩りになった理由なのか。

そう、今まで聞く気もなかった彼女のその動機を今知った。その町の大人は自分たちを山へ追いやったというのに、子供は純粋だ。そんなこと、小さな頃の優里は知らされでもしない限り恨むこともなかったのだろう。


「そのまま優里は鬼狩りになった。でも、彼奴は給料はほとんど自分のためには使わなかった。俺達がこんな有様だからな。妻は最近呆けてるし、俺は病でほぼ寝たきり。金を沢山払って良い介護士さんを雇ってくれたんだ」

鳶が鷹を生むとはこのことだと思ったよ、と瞳を潤ませた優里の父は申し訳なさそうに呟いた。

「彼奴はいつも『私がやりたいだけ』つって笑ってくれるんだけどな、俺はもうこの言葉を彼奴が小さいときから何百回言われたか」

優里の父が涙を堪えながら鼻をすすった。無意識に自分の眉間にも皺が寄ってしまったのは知るまでもなかった。


そんなとき、これに紛れて誰かのすすり泣く音が聞こえた。



最初、これは優里の父が泣いているのだと思った。だが違う。これが聞こえているのは外からだ。




彼が写真を手に取ってぼーっとそれを見つめている隙に、振り向いて廊下に出られる襖の方を見ると、ほんの少しだけ隙間が空いている。そこからちらりと見えたのは、見覚えのある優里の羽織だった。それを着ているのはまぎれもなく本人だし、今聞こえている嗚咽もおそらく。

「……」
「ああ、長い話をしてしまったね、もう遅いから、君はもう寝なさい」


今襖を開けたら、優里と優里の父が鉢合わせしてしまう。

なぜかそれは駄目だと確信してしまった自分がいて、気づけば口が勝手に動いていた。この優里の様子を見て察せないほど自分の脳は鈍感ではなかったらしい。

「……貴方が大丈夫でしたら、もう少し、優里の話を聞かせていただけませんか」

これにはさすがに彼も動揺したようで、ひどい咳をしたと思うと、今にも太陽が登ってきそうなくらいの眩しい笑顔を浮かべた。彼が優里を語っている隙に優里がこの部屋の前から離れてくれれば俺も寝られる。


「勿論! 君になら何でも話そう!」






……そう思っていたのだが、部屋の前の優里の気配が消えた後、二時間も話が続くとは俺は考えもしていなかったのだった。


2018.10.26





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