本当は、冨岡さんが私に気を使ってくれていたことくらい気づいていた。お風呂から戻ってお父さんの部屋から聞こえてきた話につい聞き耳を立ててしまって、気づけば泣きそうな自分がいた。お父さんは話がとても長いから、あれから何時間も拘束されてしまっていたのには本当に申し訳なかった。だから、近いうちにちゃんとお礼を言おうと思っていた。
「お父さん、なんで歩いてるの! ちゃんと寝ておかないと!」
「いやあ、昨晩義勇くんとお喋りをしていてね、すっきりしたからか調子がいいんだよ」
はっはっはと大きくてとても上品とは言えない笑い声を上げながら、お父さんはその大きな手で頭を掻いた。冨岡さんのことを下の名前で読んでいるし、お父さんの中では随分仲良く話をしていたつもりなのだろう。
「私達はもう行きます。短い間でしたが、お世話になりました」
「優里をお願いね、義勇さん。優里も頑張ってね」
「うん。じゃあ、またいつか帰ってくるから」
軽く手を振ると、両親はにこりと微笑んだ。その笑顔を見るのは本当に久しぶりで、今までここへ帰るのを遠慮していた自分がひどく情けなくなった。
いつか帰ってくるから。
そんな言葉を言った途端に死ぬ羽目にならなくて良かったと心底思う。思っていたよりもだいぶ気が緩んでいたみたいだ。
「腕の傷が深いですね。二針縫いましょう」
「……」
淡々とした口調で告げられた自分のこの傷の状態に思わずため息をつきたくなった。この位の怪我はたぶん三度目で、この治療が私は一番嫌いだった。
「いきなり腕が伸びてくるなんて思わなかったんですよ……」
「後から言っても仕方ないだろう」
相手はとても雑魚鬼なんていえない程の鬼だった。よって、丈夫な隊服も意味をなさず、簡単に貫通してしまったのである。
「一番にがてなんですよ、いちばん」
冨岡さんがすぐに鴉に伝えて胡蝶さんを連れてきてくれた。それにはとても感謝している。でも、でも!
「これくらいの傷はありがちですから。麻酔は残念ながら使えないんです」
分かってる、分かってるけど。確かに麻酔はとても貴重だし、鬼殺隊ではこの傷以上の怪我を負う人も少なくない。だから、麻酔はできるだけその人たちのために使ってあげないといけない。
「……わかりました……」
「……まあ、気持ちは分かります。冨岡さん、優里さんの手を握ってあげてください」
俺が? と言うように冨岡さんが確認するように自分を指さす。胡蝶さんがゆっくり頷くと、彼は遠慮気味に私に近づいた。え、と私が固まってしまったのはその瞬間だけで、いつもならあの冨岡さんが、と意外に思ったりだとか何かしら反応したと思うが、今の私にはそんな余裕はなかった。
「はやく、してください! 怖いんです!」
「……ああ」
冨岡さんが私の手をゆるく握った時、人の肌特有のぬるい温かさを感じた。このときに私は本当に冨岡さんと手を繋いでしまったのだと今になって自覚した。しかし、それのおかげか一瞬安心することができたのか、最後に大きく深呼吸をした。
冨岡さんの手がぎゅっと強く私の手を握ったとき、間髪入れずに強烈な痛みがざくりと腕を刺す。ぐっと歯を噛み締めて、冨岡さんの手を握り締めた。足がばたばた勝手に動いて、なんとか体が痛みを発散させようと必死で機能しようとしているのが分かった。何故か涙は出なくて、気持ち悪い冷や汗がじわりと髪を濡らしていく。
「〜〜!」
たった二針なのに、時間はとてもゆっくり進んでいるように感じた。痛みがしつこく自分を追ってくる。悶えこんでなんとか痛みに耐えていたら胡蝶さんの 「終わりましたよ」 という優しい声が聞こえた。
「終わっ、たぁー……」
汗が風にあたって少し寒い。冨岡さんと握りあった手も汗で濡れていて、今更ながら恥ずかしくなった。さっさと立ち上がろうと離した手で地面を押そうとしたとき、なかなか腰に力が入ってこないことに気付いた。止まりかけていた冷や汗がまた滲み始める。
「え、ちょっとまって、あの……腰、抜けちゃったみたいです」
「……」
「な、何してるんですか冨岡さん、なにをするつもりなんですか、え、ええ……!?」
こんなにも鼓動が早いのは鬼と戦ったときを除けば冨岡さんと一緒に夜を過ごしたときぶりだろうか。今だって冨岡さんが原因だけど。
「も、もう大丈夫なので、降ろしてくださいませんか」
「それは嘘だろう、全然大丈夫じゃない」
「ごめんなさい、生憎私は手が塞がっていますので。恥ずかしいとは思いますが、我慢してください」
冨岡さんの背中に背負われているこの状況に、これが今日一番の最悪の出来事だと確信した。二人だけのときならまだマシだったのになあ。ここから蝶屋敷が比較的近いこともあって、隠の方を呼ぶのには少々気が引けたのだが、こんなことになると分かっていたなら絶対に呼んでいたのに。
「幸い大きな怪我はそれだけですから。時間が経てば抜糸しないといけないので、また蝶屋敷に来てくださいね」
胡蝶さんによると今晩は蝶屋敷で過ごさなければならないらしい。あそこで過ごすのは何ヶ月ぶりだろうか。冨岡さんと旅をするようになってから怪我を負う頻度が異常に少なくなったから、やっぱり柱の方々の力は凄まじいものだと思う。
「しのぶ様! おかえりなさいませ。そちらの方は冨岡様と、ええと、そちらの方は……」
「天方優里です。お久しぶりです、アオイさん」
「!、ここに来られたことがあったのですね。大変失礼しました」
何ヶ月も会っていないのだし、そんな相手を忘れてしまうのは普通の人でもよくあるのだろう。いや、そうだと信じたい。そうだよね。
そんな自問自答を繰り返しながらベッドに身を任せたとき、私は冨岡さんにお礼を言うタイミングを逃したのだとやっと悟ったのであった。
「お父さん、なんで歩いてるの! ちゃんと寝ておかないと!」
「いやあ、昨晩義勇くんとお喋りをしていてね、すっきりしたからか調子がいいんだよ」
はっはっはと大きくてとても上品とは言えない笑い声を上げながら、お父さんはその大きな手で頭を掻いた。冨岡さんのことを下の名前で読んでいるし、お父さんの中では随分仲良く話をしていたつもりなのだろう。
「私達はもう行きます。短い間でしたが、お世話になりました」
「優里をお願いね、義勇さん。優里も頑張ってね」
「うん。じゃあ、またいつか帰ってくるから」
軽く手を振ると、両親はにこりと微笑んだ。その笑顔を見るのは本当に久しぶりで、今までここへ帰るのを遠慮していた自分がひどく情けなくなった。
いつか帰ってくるから。
そんな言葉を言った途端に死ぬ羽目にならなくて良かったと心底思う。思っていたよりもだいぶ気が緩んでいたみたいだ。
「腕の傷が深いですね。二針縫いましょう」
「……」
淡々とした口調で告げられた自分のこの傷の状態に思わずため息をつきたくなった。この位の怪我はたぶん三度目で、この治療が私は一番嫌いだった。
「いきなり腕が伸びてくるなんて思わなかったんですよ……」
「後から言っても仕方ないだろう」
相手はとても雑魚鬼なんていえない程の鬼だった。よって、丈夫な隊服も意味をなさず、簡単に貫通してしまったのである。
「一番にがてなんですよ、いちばん」
冨岡さんがすぐに鴉に伝えて胡蝶さんを連れてきてくれた。それにはとても感謝している。でも、でも!
「これくらいの傷はありがちですから。麻酔は残念ながら使えないんです」
分かってる、分かってるけど。確かに麻酔はとても貴重だし、鬼殺隊ではこの傷以上の怪我を負う人も少なくない。だから、麻酔はできるだけその人たちのために使ってあげないといけない。
「……わかりました……」
「……まあ、気持ちは分かります。冨岡さん、優里さんの手を握ってあげてください」
俺が? と言うように冨岡さんが確認するように自分を指さす。胡蝶さんがゆっくり頷くと、彼は遠慮気味に私に近づいた。え、と私が固まってしまったのはその瞬間だけで、いつもならあの冨岡さんが、と意外に思ったりだとか何かしら反応したと思うが、今の私にはそんな余裕はなかった。
「はやく、してください! 怖いんです!」
「……ああ」
冨岡さんが私の手をゆるく握った時、人の肌特有のぬるい温かさを感じた。このときに私は本当に冨岡さんと手を繋いでしまったのだと今になって自覚した。しかし、それのおかげか一瞬安心することができたのか、最後に大きく深呼吸をした。
冨岡さんの手がぎゅっと強く私の手を握ったとき、間髪入れずに強烈な痛みがざくりと腕を刺す。ぐっと歯を噛み締めて、冨岡さんの手を握り締めた。足がばたばた勝手に動いて、なんとか体が痛みを発散させようと必死で機能しようとしているのが分かった。何故か涙は出なくて、気持ち悪い冷や汗がじわりと髪を濡らしていく。
「〜〜!」
たった二針なのに、時間はとてもゆっくり進んでいるように感じた。痛みがしつこく自分を追ってくる。悶えこんでなんとか痛みに耐えていたら胡蝶さんの 「終わりましたよ」 という優しい声が聞こえた。
「終わっ、たぁー……」
汗が風にあたって少し寒い。冨岡さんと握りあった手も汗で濡れていて、今更ながら恥ずかしくなった。さっさと立ち上がろうと離した手で地面を押そうとしたとき、なかなか腰に力が入ってこないことに気付いた。止まりかけていた冷や汗がまた滲み始める。
「え、ちょっとまって、あの……腰、抜けちゃったみたいです」
「……」
「な、何してるんですか冨岡さん、なにをするつもりなんですか、え、ええ……!?」
こんなにも鼓動が早いのは鬼と戦ったときを除けば冨岡さんと一緒に夜を過ごしたときぶりだろうか。今だって冨岡さんが原因だけど。
「も、もう大丈夫なので、降ろしてくださいませんか」
「それは嘘だろう、全然大丈夫じゃない」
「ごめんなさい、生憎私は手が塞がっていますので。恥ずかしいとは思いますが、我慢してください」
冨岡さんの背中に背負われているこの状況に、これが今日一番の最悪の出来事だと確信した。二人だけのときならまだマシだったのになあ。ここから蝶屋敷が比較的近いこともあって、隠の方を呼ぶのには少々気が引けたのだが、こんなことになると分かっていたなら絶対に呼んでいたのに。
「幸い大きな怪我はそれだけですから。時間が経てば抜糸しないといけないので、また蝶屋敷に来てくださいね」
胡蝶さんによると今晩は蝶屋敷で過ごさなければならないらしい。あそこで過ごすのは何ヶ月ぶりだろうか。冨岡さんと旅をするようになってから怪我を負う頻度が異常に少なくなったから、やっぱり柱の方々の力は凄まじいものだと思う。
「しのぶ様! おかえりなさいませ。そちらの方は冨岡様と、ええと、そちらの方は……」
「天方優里です。お久しぶりです、アオイさん」
「!、ここに来られたことがあったのですね。大変失礼しました」
何ヶ月も会っていないのだし、そんな相手を忘れてしまうのは普通の人でもよくあるのだろう。いや、そうだと信じたい。そうだよね。
そんな自問自答を繰り返しながらベッドに身を任せたとき、私は冨岡さんにお礼を言うタイミングを逃したのだとやっと悟ったのであった。
いつも場面転換が多くて申し訳ないです。この話の中に 「冨岡さんと一緒に夜を過ごしたとき」 という文がありますが、そのお話は実際にどこかに置いてありますので、時間がある方はぜひ探してみてくださいね!
2018.10.30