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なるようになりますように


「じゃあ、気をつけてな。新しい家は少し西の小さな町にある。少し狭いが、二人で暮らすには十分だろう。くれぐれも長い間家を空けることはするんじゃないぞ」
「もちろん!」

俺は爺ちゃんから地図の書かれた紙を受け取り、懐にそれを仕舞った。この玄関から少し奥にある階段から、なまえちゃんが慌てて下に降りてくる音がした。荷物をまとめていたそうで、彼女の手の中にある巾着袋はたくさん小物を入れているせいか、その綺麗な七宝柄が歪んでいた。

「なまえちゃん!」
「ご、ごめんね、時間かかっちゃって」

さっき怪我した方の足を庇うようにしてとたとたと降りてきたなまえちゃんに、爺ちゃんは元気でな、と声を掛ける。なまえちゃんはまた恥ずかしそうにはい、と返事をした。

「夜は藤の香を焚くのを忘れるんじゃないぞ」
「は、はい」
「あっ、なまえちゃん」
「?」
「俺の背中乗って。足怪我してるでしょ」

俺がそう言うと、なまえちゃんは明らかに動揺した様子を見せた。でも俺はそう言わなきゃ、なまえちゃんは痛い思いをすることになる。たかが陶器の欠片で切っただけだとしても、普通好きな人、しかも奥さんになる人に、そんな思いはさせたくない、と普通なら思うだろ?

「……いいの?」
「!、い、いいよ! もちろん!」

彼女が俺を受け入れてくれただけで、俺の気持ちは一気に弾む。こういうのが「好き」っていう気持ちなのかな。「好き」な人の行動ひとつで、俺の気持ちがこんなにも変わってしまう。なまえちゃんの返事のせいで疲れるくらいに胸がどきどきしているのに、俺は今までにないくらいに嬉しかった。

「重かったらごめんね」
「俺だって鍛えてるんだよ、もうどんな人でも背負ったって全っ然平気だから! さ、乗って!」

俺が上がり框に腰を掛けて背を傾けると、なまえちゃんは恐る恐る俺の首に手を回した。その首に触れる彼女の腕は少し冷たくて気持ちいい。視界の端に映る二本の腕は、いつもは袖で覆われているからか、お餅のように真っ白で柔らかかった。

「では、達者でな。できるだけ早く祝言を挙げてやるから、仲良くな」
「もちろん!」

俺の後ろでなまえちゃんが遠慮がちにこくりと頷く。その拍子に彼女の髪が俺に触れてちょっぴり擽ったかった。





***


「あっ! 見えてきたよなまえちゃん、あそこかな? 俺たちの家」

爺ちゃんの地図に従って、俺たちは西へ向かってしばらく歩いた。爺ちゃんによると、そこには小さな町があるらしい。浅草ほど発展はしていないけれど、雰囲気の暖かな良い町なのだそうだ。藤の花の家も二、三軒あるとのことなので、鬼について知っている人も多いらしい。
やがて目と鼻の距離にまで迫ってきたその家は確かに特別大きいと言う訳でもないが、爺ちゃんの言う通り二人で暮らすには十分だろう。でも何故だかまだ現実味が湧かない。ずっとふわふわと、夢の中にいるような気分だ。

「……なまえちゃん?」
「……」

ふと道中全くなまえちゃんが言葉を発していないことに気づいた俺は後ろの彼女に声をかけた。なまえちゃんは俺の背中に顔を埋めたまま返事をしない。彼女が寝ていないことは音でわかる。でもその音が何処か可笑しかった。心臓の鼓動が早くて乱れている。まるで全速力で走った直後のように。

「なまえちゃん? 大丈夫?」
「……ぜんいつくん」
「どうかした?」
「ごめん」
「えっ!?」

否定を表すその言葉に、先程までの夢の中にいるかのような高揚感は一気に落ち込んだ。思わず足が震え出す。でもなまえちゃんは何ら気にする様子はなく、そのまま話を続ける。次に続いた言葉に、俺は拍子抜けして崩れ落ちそうになった。

「羽織、ぬらしちゃって、ごめんね」
「……えっ?」

もしかして、泣いてる?
そう思い耳をすませば、確かになまえちゃんからは泣く声を押し殺すような嗚咽が聞こえた。
思い返せばさっきからずっと俺はなまえちゃんの音が聞こえないくらいに夢見心地で歩いてた。だから彼女が泣いている音にも気づかなかったのか?
えっ? それ俺最低じゃない? もしかしてなまえちゃん、俺と結婚するの、嫌だった?

「そ、それは全然大丈夫だから、だいじょうぶだから……その、ど、どうして、泣いてるの?」

俺の声は震えていた。半分泣いていた。だってもし 「本当は獪岳さんが良かったの」 なんて言われたら、俺はもう自殺する勢いで泣き喚き、きっと彼女が地面に崩れ落ちる勢いで縋り付くだろう。酷い言葉も浴びせてしまうかもしれない。そういう自信があったから。

「……て」
「へ?」
「うれしくて」

いや違うんだよ。さっきの 「へ?」 は、聞こえなかったんじゃなくて、もう一度、それを聞きたくて。
だって二回は聞かないと、信じられない言葉だったから。今度こそ喜びでどうにかなってしまいそうだったから。

「わたし今、きっとこの世の中のどんなひとにも敵わないくらい、しあわせ。今日も、明日も、きっと生きてる限りずっとそう」

なまえちゃんからは、俺と同じくらい大きな幸せの音がした。

「……俺もおんなじだよ、なまえちゃん」

口付けた黒髪は少しでも力を入れたらちぎれてしまいそうなほど一本一本が細くて柔らかくて、ほんのりと椿油の香りがした。……ああ、愛おしい。ひどいくらいに穏やかな気持ちだ。
本当はずっと自分で言いたかった台詞がある。ばたばたしちゃって言えなかった。だから、今言うね。

「なまえちゃん、改めてになっちゃうけど……」
「……?」

俺は懐に手を入れて、ここに来る前に買ってきたそれを、なまえちゃんに差し出した。椿油とかじゃなくって、もっと小さくて高価で、綺麗なもの。

「……俺と、結婚してください」


片腕でなまえちゃんの体を支え、彼女の左手の薬指に指輪を嵌める。なまえちゃんはよろしくおねがいしますと、泣きながら頷いた。






2019.8.15