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「#幼馴染」のBL小説を読む
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あたたかくてつめたい 前


体が熱い。それなのに身体中を這うような寒気、そして頭痛。体の異常な怠さに、なまえはすぐこれらの症状が熱のせいであるということを悟った。確かに少し前から咳が酷いとは思っていたが、こんなに悪化するとは。
どうにか体を持ち上げて傍の鏡台の引き出しから体温計を取り出し測ってみると、そこには「37.8」の文字。これは昼間には熱がさらに上がってくるだろうと予感した。
しかし生憎今日は善逸がおらず、家にはなまえひとりだった。八時頃に帰るとは言っていたので、少なくともこれ以上熱が上がる前に彼の分の夕飯は作っておかなくては。冷めても食べられるおむすびなんかでいいだろう。彼はなまえの料理に決して文句をつけるような人ではないし、きっと大丈夫。そう確信していたので、なまえは迷いなく立ち上がった。

「(善逸くんが好きなおむすびの具……なんだっけ……)」

ふらふらとした足取りで台所に向かう。そして炊飯器の前に来たところで、やっと彼が好きな握り飯の具が鮭だったと思い出した。後でゆっくり休もう。だから今だけはきちんと家事をやらなきゃ。と、なまえは自分の頬を軽く叩く。しかしもちろんそれで頭痛が止むことはなかった。
異変が起きたのはそのすぐ後だった。
まずは米を炊こうと、なまえは棚から米びつを取り出したその時だ。

「……う、」

普段でも重いと感じるそれを持ち上げた瞬間、急にぐらりと視界が歪んだ。呼吸も苦しくなった。それでも大きく息を吐いて、吸って。ぜえぜえと自分の不自然な呼吸音が聞こえた。
どうしよう、どうしよう。この後洗濯と掃除と、自分の分のご飯も作らなきゃいけないのに。
がたん、となまえの必死の思考を遮るかのように手から米びつが滑り落ちた。蓋が開いて、中から米が床に大量に零れたそのとき、なまえはとうとう意識を手放して、米が散らばった床の上へと倒れ込んだ。

***




額への心地良い冷たさで、なまえは目が覚めた。米の散らかったでこぼこな床で気絶したなまえは何故か敷布団の上にいた。まさか時分が勝手に歩いたということはあるまい。なまえは傍にあった時計を見る。短い針は十一時を指している。外は暗かった。しかしこの部屋は明かりがついていて、台所から何か物音が聞こえる。なまえはそれで善逸は今帰ってきているのだとすぐに理解した。
なまえがゆっくりと起き上がった瞬間、その音はぴたりと止み、と同時にこちらへと向かってくる足音が聞こえ始めた。
やがて襖を丁寧に開けて中に入ってきたのは、やはり善逸だった。

「……なまえちゃん!! 目が覚めたんだね、よかった……!」
「ぜんいつくん」
「か、帰ってきたら台所でなまえちゃんが倒れてて、取り敢えず布団の上に寝かせたはいいけど全然目を覚まさないから……し、しんじゃったらどうしようって……!!」

できるだけ冷静に経緯を説明しようと試みてはいたが、善逸の声色は今にも泣きそうだった。事実、倒れているなまえを見つけた瞬間、善逸はまるで高所から落下するかのような感覚を覚えた。揺さぶっても起きないなまえ。心臓の鼓動する音は聞こえたが不安で不安でどうにかなりそうで、何度も何度も確認した。自分の耳をここまで疑ったのは生まれて初めてだったのだ。

「あ、あの、私が散らかしたお米は、」
「今片付けてるところ。それよりも、なまえちゃん、自分がいつ倒れたか覚えてる?」
「……た、たぶん朝……」
「朝!? じゃあ今日なんにも食べれてないじゃん! 待ってて、お粥作ってくる! なまえちゃんはゆっくり寝ててね」
「ま、まって! 私も、お米の片付、け……」

言い終わる前に、善逸は台所へと走っていってしまった。もちろん善逸は彼女が何を言いたいのかはっきりと理解していたが、体調の悪い人間にそんなことをさせていい訳がないと聞くことを早々諦めた。
しかし、粥を作ろうにも米がない。一体どうするつもりなのだろう。今日は何も食べていないとはいえあまり食欲もないし、台所へ行ってその旨を伝えに行こう。なまえはそう思い立ち、善逸の「ゆっくり寝ててね」という台詞は聞かなかったことにして、額に乗っていた手ぬぐいを傍に置き、布団から抜け出した。まだ熱があり、そして今が夜というのも相まって、布団で温められていた自分の体が一気に冷え込むのを感じた。



「……あ、あれ? 善逸くん? いないの?」

台所に無事着いたところまではよかった。しかしそこに善逸の姿はなかった。もうだいぶ片付いてはいたが、隅っこにぱらぱらと散らばっている米しかそこにはなく、なまえはぺたりとその場に座り込んだ。
みるみる良からぬ想像がなまえの脳内を埋めつくしてゆき、真っ青な顔色のまま愕然としていると、がらりと玄関の戸が開く音がして、なまえははっとした。そこでやっと今の状況に合点がいくと同時に、自分がかなりまずいことをしてしまったのだと理解したのだ。

「え!? は!? なまえちゃん!!? どうしてここにいるの!? ゆっくり寝ててって言ったじゃん!」
「あっ、え、ち、ちがうの、あのね、」
「言い訳は後で聞くから!!」
「ひゃっ!?」

真っ先に台所に向かってきた善逸は座り込んでいるなまえを見るなりぎょっと目を見開いてから、眉にきゅっと皺を寄せてそう捲し立てた。善逸の手には米の入った袋が握られていた。彼はそれを炊飯器のすぐ傍に置き、なまえの膝に手を差し込んだかと思うと、余裕の表情で彼女を横抱きで持ち上げた。さっきまで寒気がしていたはずのなまえの体はぼっと火がついたように熱くなった。

「ぜ、ぜんいつくん、わたしじぶんで歩けるから……!」
「だーめ。なまえちゃん、今度はきっと布団に戻らずに洗濯しに行くだろうから」

なまえには微塵もそんな気はなかったが、確かに言われてみれば自分は今日料理どころか洗濯もしていない。どれだけ彼に迷惑をかけてしまったのだろう。思わずなまえは泣きそうになったが、その音を善逸が聞き逃すはずはなく、「はいはい、余計なこと考えないの!」と釘を刺した。
硝子細工を扱うかのような手つきで善逸はなまえを寝かせ、これまた丁寧に布団を掛ける。そして放置してあった手ぬぐいをそばにあった桶の中の水に付け、ぎゅっと絞る。
ぽたぽたと手ぬぐいから水が垂れる音が、なまえの思考をかき消して、やっと脳がもう休もうよと彼女を諭した。

「……ごめんね」
「なんで謝るの、つらいのはなまえちゃんなんだから」

善逸は絞った手ぬぐいをひたりとなまえの頭に乗せる。ひんやり心地良いそれによって、じわりと滲んだなまえの熱い涙がほんの少しだけぬるくなった。

「えっ!? ど、どうしたの? どこか痛いの? お腹すいた?」

すぐになまえが涙したことに気づいた善逸はおろおろと焦っている様子だったが、どうしてか、なまえにもなぜ自分が泣いているのかが分からなかった。

「わたしも、わかんないけど……大丈夫だよ」
「……ならいいけど。ほら、今日は疲れたでしょ、今度こそはゆっくり寝るんだよ。お粥作るまでまだ時間がかかるから」

善逸は音でなまえが嘘をついていないことを察した。善逸はなまえの涙を指で拭い、するりと頬を撫でる。すると何故だかなまえの体に急にどっと疲れが押し寄せてきて、凄まじい眠気が彼女を包み込んだ。そのまま頭を二、三度撫でられると、いつの間にかなまえは気絶したかのように眠りについていた。
呼吸がゆったりとしたものに切り替わる。善逸はそれに安心して柔らかく微笑むと、足音を立てぬように、そろそろと部屋を去った。




2020.3.10