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やわらかい にくちづけたい


なまえちゃんを見ているとき、つい目を引かれてしまう箇所がある。おはようって顔を覗き込んでくれるときも、ご飯を食べておいしいねって俺に笑いかけてくれるときも、おやすみって優しい声で微笑むときも。俺はついその箇所に目が行ってしまう。桃色で、ぷるぷるして美味しそうで、話す度に形を変えるその場所に。

***



なんとなく、なんとなくだ。今日は雰囲気が違うなと思った。なまえちゃんはいつもほわほわして穏やかな感じがする。でも今日はちょっぴり元気というか、活発というか、そんな感じだ。なんでだろう。

「……あの、善逸くん、もしかして私の顔に何か付いてる?」
「へ?」

隣でお茶を飲んでいたはずのなまえちゃんが遠慮ぎみにこちらを見つめている。どうやら俺はなまえちゃんの顔を凝視しすぎたようだ。少し恥ずかしそうに湯呑みを持つ手の指先をこちょこちょと絡ませている。

「あっ、いや! なんでもないよ! ちょっと今日、雰囲気違うなあと思って!」
「!」

そのとき、なまえちゃんからぱあっと嬉しそうな音が聞こえた。でもその理由が俺には全く分からずしどろもどろになっていると、なまえちゃんがふふ、と笑って顔を綻ばせた。

「実は、ちょっとだけ化粧をしてみたの。今日は紅だけだけど、香山さんからね、おしろいと頬紅も貰っちゃって……」

なるほどそうだったのかと途端に納得した。香山さんは、この前ごみ捨て場にいた奥さんの一人だったはず。
というか俺は、なまえちゃんは化粧品のひとつやふたつ、もう持っているものだと思っていた。贈ろうと考えたこともあったけど、化粧品は減りにくいし、そう考えると場面や気分によって使い分けられる簪なんかのほうがいいんじゃないかと思っていたのだ。
その旨をなまえちゃんに伝えてみると、彼女は遠慮気味に口を開いた。

「善逸くんのお給料だから、こういうのには使っちゃいけないかなって」
「ええっ!? そんなわけないよ! だってだって、自分のお嫁さんがただでさえ可愛いのにもっと可愛くなるんだよ!? 使っちゃいけないわけないでしょ!!」

つい熱弁してしまった。なまえちゃんはその勢いにぽかんとしていたけど、やがてまたくすりと笑った。

「……うん、ふふ、ありがとう。私、善逸くんが気づいてくれるって思わなかったから、すごくうれしい」
「妻の変化に気づかない旦那がいますか!」

いや、そんなの俺ならありえない! と心の中で自答する。
なまえちゃんは「妻」という呼び方に何か思うところがあったのか、ぽっと顔を赤くして、湯呑みをぎゅっと握った。
ここでひとつ、俺の心に小さな悪戯心が生まれた。

「あ、でも」
「?」
「なまえちゃんは照れ屋さんだから、頬紅はあんまりいらないかもね」

少しからかうつもりで言ってみると、なまえちゃんはへっ、と声を漏らして、さらに顔が真っ赤になる。

「そ、それは善逸くんが恥ずかしいことばっかり言うからだよ」
「だって『ご飯美味しいよ』とかほぼ毎回言ってるのに、その度に恥ずかしそうにもじもじしてるし? 可愛いけど」
「そういうところだってば!」

ちゃぷん、と湯呑みの中のお茶が揺れた。なまえちゃんの瞳の中の俺は、心做しかぼんやりとして崩れそうだ。
そのとき、まるで彼女に助け舟を出すかのように、台所の方からぽこぽこと泡が立つような音がしてきた。

「……あっ! 味噌汁温めてたの忘れてた!」

立ち上がろうとするなまえちゃんの腕を俺はとっさに掴んだ。

「なまえちゃん」
「?、どうし……」

ほんの少しの出来心で、俺はぐいとそのまま彼女を引き寄せた。
ちゅ、と唇同士が吸い付く音は、泡の音にかき消されることはなく、小さく部屋に広がった。名残惜しくてわざとゆっくり唇を離すと、なまえちゃんはわなわなと小さく震えていたが、すぐにふるりと俺から視線を外して、台所へと小走りで行ってしまった。
……さすがに怒らせてしまっただろうか。なまえちゃん普段全然怒らないし、調子乗りすぎたかも。うん、絶対そうだ。

さすがに少し焦って、俺はなまえちゃんのいる台所へ向かう。彼女はちょうど温めた味噌汁を味見にしているところだった。俺の方へ振り返ったなまえちゃんの顔の赤みはもう引いていて、怒っている音もしなかった。

「あ、善逸くん」
「なまえちゃ……」
「よかった、善逸くんにも味見してほしかったの。煮詰まってて塩辛いかもしれないけど」

俺が謝る前に、なまえちゃんはわざと被せるように言った。や、やっぱり怒ってる? でもそんな音はしないし。
俺は少し怯えながらも、なまえちゃんが差し出してきた小皿を受け取って、中の味噌汁を口に含んだ。……うん、いつもの味だ。美味しい。でも隣のなまえちゃんの視線が痛くてちょっと気まずい。
でも感想はちゃんと伝えなきゃ、と隣に立っていたなまえちゃんの方を向こうと顔を傾けたそのとき、唇にふに、とした柔らかい刺激を感じた。一瞬だったけど、衝撃すぎて俺は声も出なかった。

「……な、な、なん、」
「……仕返し、かな」

なまえちゃんはそう言ったが、彼女からはどくんどくんと大きく心臓が脈を打つ音が聞こえた。笑顔もなんだかぎこちない。
でもぷつんと何かの糸が切れたような感覚がしたのは確かだった。俺は手からこぼれ落ちそうになった小皿を持ち直して、傍の台に置き直す。そしてずいとなまえちゃんに迫った。彼女は驚いて、一歩二歩と後ずさる。

「え、あ、あの、善逸くん?」
「……今のおかわり、欲しいんだけど」
「まっまって! ちょっと落ち着いて、って、ば」

あっ、となまえちゃんの背中が壁にぶつかり、彼女の顔色がさあっと青ざめる。俺を止めようとしたのかとっさにこちらをのびてきた細い手首を掴んで、俺はなまえちゃんの唇に自分のそれを押し付けた。

「ん、んん」

くぐもった声が聞こえた。どうにか逃げようとしている様子だったので、手首を掴んでいた手を一度離して、彼女の後頭部に回す。逃げられないようにもう片方の手は顎に添えて。
でももちろん呼吸を使う俺と、何も訓練をしていないなまえちゃんの肺活量の差は大きい。だから一度息継ぎの暇をあげて、なまえちゃんがまた何か言う前に口を塞ぐ。それを数回繰り返したとき、不意になまえちゃんが自分の両手を俺の首にまわした。
それはまるで自分から口吸いを求めているかのようで、それをあのなまえちゃんが行っている、というその差に、俺はありえないくらいに気分が高まっていくのを感じた。

「……!、んん、」

ぬるり、と彼女の唇に這わせたそれは、間違いなく俺の舌だった。なまえちゃんの唇は閉じられていたが、扉を叩くかのように何度か舌で押してみると、やがて緊張で強ばっていたそこが和らぐ。直感で分かったその瞬間に舌を入れると、いとも簡単に口内に侵入できた。

「、ぜ、ん、ん、んんっ、ぅ」

さらに口内の奥まで舌を入れる。なまえちゃんの舌はまるでもうひとつの彼女自身のようで、逃げ回るように動くそれを追いかけて追いかけて、俺の舌が捕まえた。それでも必死に抵抗するそこを無理矢理に抑え込むと、今のこの状況のように途端にふにゃりと柔らかくなった。
その間にもぬるぬると普段聞いたら気持ち悪いとしか思えないような音が鼓膜を刺激する。でも今だけはこの音が心地良い。まるで仕留められた兎のように抵抗しなくなったなまえちゃんの舌に遠慮なく自分のを絡ませると、粘液特有の水音が口内に広がった。
そしてくちゅ、と一際大きな音が鳴ったとき、首に回されたなまえちゃんの手の力が急にふわりと抜けた。

「!」

俺が今度こそやりすぎた、と気づいたのは、なまえちゃんがそう腰を抜かして床に倒れ込んだときだった。俺は息切れをほとんど起こしていなかったけど、なまえちゃんはぜえぜえと顔を真っ赤にして苦しそうに呼吸している。顎に添えていた手にはどちらの物か分からない唾液が付着していた。どくん、と自分の心臓が大きく鼓動したのを感じる。やってしまったという焦りからなのか、それとも別の何かからなのかは俺には分からなかった。

「あああなまえちゃん!! ごめ、俺、嫌だったよね、ごめんね、も、もうしないから、嫌わないで……!」

自業自得なのに、勝手に涙が出てくる。なまえちゃんは無意識でなのかは分からないけど、口を手で覆っていて、それでもなんとか呼吸は整ってきたみたいだった。

「き、きらわな、い、けど……」
「……けど?」

「もうしないでほしい」かな。でもなまえちゃんはずっとむにむにと唇を動かしていて何も言ってくれない。唇に乗せていたであろう紅はもうすっかり取れているだろうが、さっきの口吸いのせいでなまえちゃんの唇は真っ赤で、さらに涙目な瞳だとか、赤みが差した目元、そして頬が、彼女を先程よりもまた違う官能的な雰囲気にさせていた。こんな状況なのにそんな彼女を見てまた気持ちが昂ってしまうのが悔しい。


「……、……つ、つぎはもうちょっと、ゆっくりしてほしい、な」


その言葉の意味に、俺はとうとう頭が沸騰しそうだった。






2020.3.4