ずっとこんな日が続けばな
「善逸くん、おかえり!」
任務から帰ると、笑顔のなまえちゃんが出迎えてくれる。そんな習慣になんとか慣れてきた今日この頃。さっきまで油断ならない場所にいたからか、この子の声を聞いた瞬間ほっと力が抜けて、新築特有の木の匂いが鼻を掠めた。
「丁度良かった、ご飯もう出来てるよ! 今日は町の果物屋さんにすっごく美味しそうな桃があってね、あと数日したら食べ頃なんだって! 一緒に食べようね」
「え!? す、すっごい楽しみ! ありがとう!」
桃。桃かあ。なまえちゃんにはものすごく申し訳ないんだけれども、正直今は疲れてそれどころじゃなかった。なんというか、桃そのものよりも、今のなまえちゃんの桃色に染まったほっぺたの方がなんだかすごく……いやこれ以上はよそう。さすがに気色悪いでしょ。いやいやでも、ご飯を食べてお風呂にゆっくり浸かるより、今なまえちゃんを抱きしめた方がよっぽど疲労回復効果があると思うんだ。だってその柔らかさとか温かみは、何よりも特別で大切なものだから。
「……いやいやでもさすがに……うーん……」
「……どうしたの?」
「ヘッ、い、いや! なんでもないよ!」
「善逸くん、疲れてる? ご飯じゃなくてお風呂先にする?」
心配そうに俺を覗き込むなまえちゃんに俺はどぎまぎしてしまって思わず一歩後ずさった。様子がおかしい俺になまえちゃんは不安の音を鳴らしながら首を傾げた。
「ほんとに大丈夫? 怪我したの?」
「し、してないけど……」
「どうしたの? 私に出来ることがあればなんでもするよ?」
なんでも。なんでも……なんでも?
その言葉は俺の頭の中で鐘が響くようにこだまする。いやいや落ち着け我妻善逸! これは言葉の綾というやつだ。なんでもって言ったって本当になんでもしていいわけじゃないんだぞ。いやいやでも、抱きしめることくらい夫婦なら普通の事じゃないのか。というかそれ以上のことをしたってなんらおかしくないだろう。そんな考えがだんだんと自分の思考を侵食していく。そうは言ったっていきなりそんなこと言ったらなまえちゃんがびっくりする。でも抱きしめたい。腕の中に彼女を閉じ込めたい。嗅ぎたい! 抱きしめたい!
「……善逸くん?」
「……抱きしめさせて、ほしいです……」
「えっ!?」
「なまえちゃんは突っ立ってるだけでいいので! 俺が勝手にぎゅってするから! させてください!!」
その日、とうとう俺は恥を捨てることにしたのだった。
***
何これ。なにこれ。柔らかい。小さい。かわいい! 今一瞬で疲れが取れた気がする。ああもう、こんなことならもっと早くにお願いしておけば良かった! こんな無いに等しい恥も早く捨ててしまえば良かった! と願い通りなまえちゃんを抱きしめながら俺は思った。
「俺いま、すっごい幸せ……」
「そ、それはよかった、のかな」
背に回されたその小さな手も少し遠慮ぎみなのが大変かわいい。緊張しているのかどくどくと激しく鼓動しているその心臓の音も可愛らしい。何よりこの柔らかさと温かさが、とてつもなく愛おしかった。
「……善逸くん、うれしい?」
「もちろんうれしいよ。もう疲れ吹っ飛んじゃった。なまえちゃんはすごいなあ、へへ」
俺がそう言ったら、なまえちゃんからふふ、と嬉しそうな声が聞こえた。そのとき彼女の遠慮ぎみに背に回されていた手がぎゅっと強く俺を抱きしめたのを感じて、俺もまた笑みが溢れた。
2019.10.21