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鴉が私を睨んでいる

一目惚れ、というものだったと思う。私が炭治郎に恋をしたのは。

“お前は将来炎柱になるんだ”

私は鬼狩りの家系だった。父は二十七歳のときに怪我で隊士を引退したが、その後母を娶り、私が生まれた。父は炎の呼吸で甲まで上り詰めたものの、当時対抗心を抱いていた今の煉獄杏寿郎様の父である槇寿郎様に一足早く柱の地位を先取りされてしまい、投げやりになっていたところで鬼に怪我を負わされたのだという。その苦い思いは唯一の娘である私を串刺しにするようだった。幼少期から厳しい稽古をつけられて、ほかの女の子みたいに子供っぽい簪やかわいい着物を身につけてお洒落することも出来なかった。母の言葉と毎日作ってくれる食事だけが唯一の楽しみだったっけ。父は私を炎柱にしたかったらしいが、私が鬼殺隊に入った時にはもう杏寿郎様は柱に就任されていた。現在の師範、甘露寺様の継子になると報告した時にあまり文句を言われなかったのはこれのおかげだと思う。師範は自分の事のように喜んでくださった。
修行はやはり厳しいものだったが、そのおかげで私は炎の呼吸と言うよりも師範が編み出した恋の呼吸の方が体に合っているとも知れた。


「ごめん、ぎりぎりだった! 大丈夫か!?」


だから派生元とはいえ、体に合っていない炎の呼吸のまま選別に挑んだ私は体力があまりなかったこともあり、選別か終了する最後の夜に、戦いの途中で息切れを起こして鬼に殺されかけた。肩を切り裂かれて、体制を崩して今度は鳩尾、という間一髪のところであの人、炭治郎が助けてくれたのだ。それまで見ていた走馬灯がぱっと崩れるように消えて、私の目の前には鬼じゃなくて、水色の着物を着た背中があった。

「君、名前は?」
「……乙未。恵花、乙未……」
「そうか! 俺は竈門炭治郎! よく頑張ったな乙未! もう大丈夫だ!」

炭治郎の声と足はちょっぴり震えていた。それに、頭には包帯も巻かれている。怖いのに、怪我をしているのに、どうしてそこまでして私を助けてくれるの。でも彼は無理矢理に刀を構え、ひゅうう、と息を吸って、水が流れるような滑らかな太刀筋で鬼を葬った。

「肩から出血してるな」

鬼が崩れきるのを確認すると、炭治郎は私の方へ向き直って、懐から包帯を取りだした。

「早く止血しよう、傷が深そうだ。放っておいたら危ない。もう目眩がしてるだろう」
「……、」

一生懸命自分を誤魔化していたけど、それは事実だった。地面に腰をついていても頭にぐらぐらと揺さぶるような感覚。なんとか体を抓ってみたりして頭を覚まそうとしたけど、体にまとわりつくようにそのどろどろとしたものは私の飲み込もうとするのをやめず、中途半端に意識があるせいでそれがとにかく気持ち悪かった。

「大丈夫だ。俺が夜が明けるまで見守るから、無理に意識を保とうとしなくていいんだよ。包帯も俺が巻いておくから」

その優しい声は、それまでの眠気をとろんとした柔らかいものにしてくれた。意識がそれに包み込まれていく。ぼんやりとした視界の中に炭治郎の赤みを帯びた瞳が、目を閉じても私の瞼に焼きついていた。



***


「(……あれ?)」

目が覚めると、炭治郎はいなかった。いつの間にか私の体は木にもたれかかっていて、肩には包帯が巻かれていた。染み込んだ血は固まって茶色っぽく変色してごわごわしている。
目の前には新品の包帯と思われるものが一巻あって、傍には地面に指で書いたような文字があった。

“起きたら包帯を取り替えるように”

私は泣きそうになった。自分の事ですら精一杯だった私には、彼みたいなことなんてとてもできない。知ってる、こういう人は 「困っている人を助けるのは当たり前だ」 だとか、そういう眩しすぎる言葉を決まって言うのよ。だから私は、そういう場合じゃないはずなのに、ここで炭治郎に恋をしてしまったことに、罪悪感の海で溺れてしまいそうだった。そういうつもりで助けたんじゃないって分かってるのに、こんなところでそういう感情を抱いてしまう自分が嫌だった。結局私は選別が終わっても炭治郎にお礼のひとつすら言えずに、選別から戻ってしまった。
ずっと罪悪感に苛まれていた私を助けてくださったのが、師範だった。

“貴方も甘いもの好きなの? 私も!”

同じ隊服を来ていたせいで、(師範の服は胸がかなり開いてはいるが)たまたま訪れた甘味処で後から来た連れだと勘違いされたのだきっかけだった。でもそれのおかげで私は師範と何度も会うようになった。甘いものや、今までできなかったお洒落についてのお話もたくさんした。楽しかった。あるとき、炭治郎くんに一目惚れしてしまったことを話した(もちろん彼の名前は伏せたけれど)。命が掛かっている場でこんな感情を彼に抱いてしまったことにも師範は私を冷たい目で見ることはなかった。寧ろ、「そんなことされたら私だってキュンとしちゃうわ!」 ときらきらした瞳でもっと話してとお願いされた記憶さえある。

そんなある日、私は師範が柱の階級なのだと知った。それまでは階級が三つくらい上の先輩だと思っていた。「柱のお仕事でね……」 と何気ない師範のお話で初めて知ったのだ。でも彼女が柱だと知った途端態度を変えるのはあまりにも失礼だ。今更甘露寺様、とか恋柱様、などと呼んでもこの人の性格なら戸惑うだけ。そう思って態度を全く変えずにいた結果、なぜかすごく仲良くなってしまって。あろうことは私の継子にならない? と誘いまで受けてしまった。最初は何かの間違いかと思った。まずよく考えてみて欲しい。元々柱の方に失礼な態度をしていた私が得をしているのがまずおかしい。この人はただの先輩、とかいう度合いではないのだ。
だから初めはお断りした。当時の師範には悲しそうな顔をさせてしまったが、これで良いと思ってた。だって柱の継子になるなら、私なんかより炭治郎みたいな正直で優しくて強い人の方がずっとずっと相応しいから。



……と、思っていたのが私の運の尽きだった。

「お前か、甘露寺を泣かせたのは」


藤の家で休んでいたら鬼の形相をした蛇柱が尋ねてくるなんて誰が思っただろうか。シャー、と蛇が威嚇する声を出して、私をさらに震え上がらせた。分厚くて丈夫な隊服がそのときだけは恋しかった。

「……い、伊黒様は、私が甘露寺さんの継子の話をお断りしたことに怒っているのでしょうか……?」
「そうに決まってるだろうが」
「わ、わたしは、自分が甘露寺さんの継子にふさわしくないと思って、だから、その、お断りしただけで……」
「それを決めるのは甘露寺だろうお前じゃない」

ギロりと私を睨んだ伊黒様の眼光には物凄い殺意が込められていた。彼にくっついている蛇も今にも襲いかかってきそうだった。

「……な、ならわたしはどうすればいいんですか」
「甘露寺の継子になればいい。それで全部解決だろうが」

強くない癖に頭まで悪いなんて残念な奴だな、と伊黒様はため息をついて、ほんの少しだけ雰囲気を柔らかくした。
でもその瞬間、私は胸に落ちたような感覚がした。そうだ、そうだよ、私はちっとも強くなんかない。柱や先輩と比べれば地面を這う虫みたいに弱くてちっぽけな存在。柱の人達みたいに少しでも強くならなきゃならないのに。そもそも伊黒様がさっきおっしゃったではないか。甘露寺様の継子に相応しいか判断するのは他でもない甘露寺様自身だろう。

途端に私は自責の念に駆られ、気づけば伊黒様が思わず後ずさるくらいの勢いで私は言った。

「かっ甘露寺さんは今どこにいらっしゃいますか!」
「お前、今更だとは思わないのか」
「思います、とても」
「……すぐそこの団子屋だ」
「ありがとうございます!」

私が伊黒様の傍を通り過ぎようとしたとき、突然強い力で着物の裾を引っ張られた。

「おい、これも持っていけ」
「えっ?」
「さっさと受け取れ」

彼が私に押し付けたのは少し大きい巾着袋だった。慌てていた私はそれをすぐに受け取り懐に入れて、団子屋へと急いだ。巾着袋から聞こえる音とその重さを、私が気にかける暇はなかった。

「甘露寺さん!」

お店の中に入ると、すぐに分かった。びく、と一瞬その桃色と黄緑色の頭を揺らしたのは、紛れもなく甘露寺さん、師範だったから。

「甘露寺さん、ごめんなさい! 私、今思えばすごく失礼なことしてました、本当に本当にごめんなさい!」
「……え? え? 乙未ちゃん?」


「わたしを、継子にしてくださいませんか!」








当時の私は、この後師範が泣いてしまうということも、なんと彼女が嬉しさのあまりお団子を数百本平らげてしまうことも知る由もなかった。因みに、伊黒様が渡してくださった巾着袋の中身は頭痛がするくらいの大量のお金だったので、辛うじて私は事なきを得たのだった。





2019.10.6

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