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余った一足は誰のもの


善逸がなまえと出会ったのは、自分が己の師匠である桑島に拾われてから間もないときであった。

あの日は一年の中で一番鬼が活動する日、つまり冬至の日のことだ。桑島のかつての同期の息子が、なまえを連れてきたのである。もっともその同期というのはすでに殉職していたが、息子の方は柱ほどの階級ではなかったが呼吸の常中も習得し、中の上と言えるような実力の持ち主だった。


「稀血の子供です。どうかここで育てていただけないでしょうか」
「両親は?」
「鬼に喰われました」
「此処は孤児院ではないのだぞ」
「存じております。しかしここなら柱の警備地区の真ん中に位置していますから、絶対とは言えませんが安全です。隊士にとはいかなくとも、家事などを任せてやれないでしょうか? ……生憎、私も貴方以外に頼れる方がいないのです」


男と桑島のやりとりを善逸は襖の隙間から眺めていた。男の隣には泥と血で汚れた着物を来た少女が暗い面持ちで正座している。

「(俺と同い年か下くらいかな。……爺ちゃん、引き取ってくれるよね? だってそうしなきゃこの女の子の居場所ないじゃん)」

彼女からは深い悲しみの音がした。今にもこの空間から逃げ出して山の崖から飛び降りるんじゃないかというほど危うい音だった。桑島の心音が揺れる。その音が表す意味に、善逸はああよかった、と息をついた。


「……引き受けよう。こんな年端もいかない娘を見捨てるほど、鬼畜ではないのでな」
「!、ありがとうございます! 」


よかったなあ、と男は少女に笑いかけた。彼女は自分の状況をいまいち把握していない様子だったが、男の笑みを見て気分がほぐれたのか、僅かに心音を落ち着かせた。その光景に善逸もほっと胸を撫で下ろした。

桑島は少し前のめりになって、俯き気味のなまえの目をじっと見つめた。


「お嬢さんのなまえは何と言うんじゃ」
「……みょうじなまえです」
「なまえか。良い名前を付けてもらったな。ここは男しかいない家だから、嫌なことがあればすぐ言うんだぞ。……善逸!」
「ひゃいっ!?」


いきなり名前を呼ばれ、善逸は飛び上がった。まさかバレていたなんて。男の方も最初から気づいていたのか、善逸の方を見てくすくすと笑っている。なまえだけが善逸の気配に全く気づかなかったようで、彼の声にぴくりと静かに驚いた。

「話は聞いていたんじゃろう? ここを案内してやりなさい。修行をサボった罰じゃ」
「え、ええ……?」

「(それ、罰っていうより俺にとっては御褒美みたいなもんなんだけど……)」


善逸は女好きである。それに加え街中で出会う女性と目が合ったくらいで勘違いしてしまう単純ぶり。まさに棚から牡丹餅、と言わんばかりの幸運である。

「も、もちろん良いんだけどさ……」
「ほら、行っておいで」


つかなんで爺ちゃんそんなに優しい口調なんだよ! と善逸は桑島に言ってやりたかったが、そんなことを実行してしまえばその瞬間に拳骨が飛んでくるので、それは喉のあたりで留めるしかない。優しく桑島に促されぺこりとこちらに向かって礼をしたなまえは、先程と変わらず不安げな表情だった。

「お、俺は我妻善逸! えっと……なまえちゃんでいいんだよね?」
「う、うん」


まずはこの子の緊張を解してあげないと! と善逸は震える喉を押さえ込んで、明るい口調で彼女に話しかける。彼女の心音が僅かにゆっくりになった。

「じゃあ、まずは庭に行こう! 綺麗なお花もいっぱい咲いてるよ。風も気持ちいいし!」


そう善逸が差し出した手を、なまえは迷いなく握った。実の所、彼が自分の手を差し出したのは完全に無意識にやってしまったことだった。だからその瞬間、善逸はどくんと自分の胸が高鳴るのを感じた。

「(お、俺、女の子と手ぇ握ってる……!?)」
「……どうしたの?」
「!! 、だ、大丈夫だよ!」


ぎゅっとその柔らかい手を握り、善逸は庭へと向かった。ちょうどこちらに日が差す時間帯で、障子すらも貫通して眩しい光が入ってくる。障子を開けばそよそよと心地よい風が舞い込んできた。善逸が庭に降りようと下駄を履こうとした時、あることに気がついた。

「あっ、なまえちゃんの庭用の草履ないよね」
「私はここで見てるだけでも充分だよ」
「……爺ちゃんのはぼろぼろだし……確か玄関に余りが……ごめん、ちょっと待ってて」
「えっ」


善逸はすぐに玄関にある下駄箱のそばへと向かった。自分の予想通りそこには一足だけ余りの草履が収納されていたので、彼はすぐに縁側へと戻ってきた。

「これちょっと埃被ってるから、なまえちゃんは俺のを使って。大きいかもしんないけど」
「いいの?」
「ぜんっぜん大丈夫! 」


彼女は申し訳なさそうにこちらを見やると、恐る恐るその草履に足を通した。続いて善逸も埃を軽くはらい、ついさっき取ってきた草履を履いた。二人で庭の真ん中に歩く。僅かに冷気を含んだ風がなんとも心地良い。広い庭には木が数本と、その周りに白詰草が芝生のように群生している。

「ちょっと殺風景だけど綺麗でしょ。俺も修行から逃げるときはいつも……じゃねえや。そ、そうだ、白詰草で花冠作ってあげるよ、俺得意なんだ!」


一人で勝手に会話に磯んでいる善逸に、なまえは不思議そうに顔を傾ける。善逸はそんな彼女を見て見ぬふりをして、ちょうど白詰草が群生しているあたりにしゃがみこみ、花かんむりを編み始めた。なまえはそこに夢中になっている善逸のもとに駆け寄ると、彼の隣に同じようにしゃがみ込んだ。


「善逸くんは……」
「ん?」
「善逸くんは、鬼狩りさまになりたいの?」
「えっ!?」


おにがりさま。鬼狩りさま。

その言葉はなんだか鬼殺隊という存在を変に神格化しているように感じて、むず痒い気持ちになった。確かに鬼に救われた人々からすればそう呼びたくなるのも自然なことなのかもしれないが、いざ自分がそれを目指して鍛錬に励んでいる、となると、どうも現実味が湧かなかった。そもそも善逸は家族や大切な人の仇をとるためにここにいるわけではなく、本当のことを言うと桑島に無理矢理連れてこられただけなのだ。


「え、えーっと、それは……」
「あっ、嫌なら言わなくてもいいの」

申し訳なさそうに眉を落とすなまえに、善逸もまた同じように申し訳なさで何も言えなかった。きっと彼女は善逸もまた悲しく無慈悲な事情を抱えていると勘違いしているのだろう。

「ご、ごめんね、ありがとう……あっ、花かんむりできたよ、ほら」
「!」


気まずい空気を断ち切るように善逸が花かんむりを差し出すと、なまえの手はぴくりと静止した。なかなかそれに触れてくれない彼女に善逸は不安になって、どきどきと心臓を鳴らした。

「(も、もしかして虫が付いてたとか……?)」

「……ありがとう! すごく可愛い」


予想とはまるで違う反応に善逸は目を丸くした。その間にもなまえは飴細工に触れるように、ゆっくりとした優しい手つきで花かんむりを受け取り、そのまま恐る恐る自分の頭にそれを乗せると、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「どうかな?」
「!、に、似合うよ! すごく似合ってる」

花の妖精みたいだ、と善逸は感じたままに言葉を口にした。しまったと彼は一瞬口を噤んだが、なまえは変わらず頬を赤くしてはにかんでいた。



「……善逸くん、ありがとう」
「え?」
「私、大切な人がみんないなくなって、すごく怖くて、こわくて……もう駄目だと思っていたけれど、貴方のおかげでちょっとだけ、気が楽になった」

一瞬、なまえの音が揺れる。それは今この安全で安らぎのある場所にいる安心感と、当時のことを振り返ってしまったことによる恐怖を含んでいた。

「……私、『稀血』って言うんだって。お母さんの家系もそれらしくて……鬼によく狙われるらしいの。だからいつか私も……」


じわじわとなまえから安心の音が消え、恐怖の音に蝕まれていく。体もかたかたと震えていて、頭に乗った花冠が落ちてしまいそうだった。

「……お、俺!」
「?」


「絶対に、その……俺も鬼狩りさまになって、なまえちゃんを守るよ! 絶対!」


なまえの震える手を、善逸はぎゅ、と優しく包み込んだ。さっきまでぎこちない会話をしていた彼の大胆な行動に、なまえはただ彼の強い眼差しを受け止めることしか出来なかった。何も言わない彼女にやっと自分のしたことに気づいた善逸はみるみる顔を赤く染めて、ぱっと手を離す。

「ご、ごめん! その、触るつもりはなかったというか……」


必死に弁解しようとする彼に、なまえはふ、と笑みが零れた。


「……ありがとう、善逸くん」



そのとき聞こえたなまえの音に、善逸ははっとした。

「(ああ、よかった)」

彼女から、幸せの音がした。恐怖の音はこの音に包み込まれたみたいにすっかりとなくなっていて。勝手に笑みが漏れて、自然と二人は笑い合っていた。

その光景を、様子を見に来た桑島となまえを連れてきた男は微笑ましそうに見つめていたのだった。




2019.5.14